"違い"が身近になる時代

息子が大人になったとき、外国の人と同じように、障害を持った人とも当たり前のように一緒に働くことになると思う。
子どもの数自体は減っているが、障害を持った子どもの割合は増えている。
この傾向は今後も続いていくだろう。
働く若い人たちが減るのだから、障害を持った人たちの働く力が今よりも必要になっていくからだ。

もうすでに障害を持った人たちが利用できる施設はほとんどなくなっている。
今後も施設自体がどんどん増えるということは考えにくく、障害を持った人たちは地域のグループホームやケアホーム、また自分でアパートを借りてサービスを受けながら生活する人が主流になっていくと予想できる。
そうなれば、現在の私たちよりも障害を持った人たちが身近な存在になり、一緒に地域のコミュニティーを築いていくパートナーとなるだろう。

息子には成長していく中で、障害を持った人と関わる機会を多くもたせたいと思っている。
そして経験と同時に、障害について"教える"ということも大事にしていきたい。
幼い頃は何も気にすることなく、障害を持った人と関わる息子も、いつか自分との違いに気が付くときが来るだろう。
そんなとき、その違いを遠ざけるか、知ろうとするかでそのあとが違ってくると思う。
違いに気が付いたとき、何故その違いがあるのかを知ることができれば、自分にとって相手は特別で遠い存在にはならないだろう。

息子たちの時代は、多種多様な価値観、文化を持つ人たちと一緒に社会を作っていくことになると思う。
今よりも"違い"が身近な時代になる。
障害も外国との文化の違いくらいの認識に変わっていくだろう。
自分との違いを理解し、違いがある人たちとうまく協同していく力が求められる時代は、もうそこまで来ている。
これから健常児と呼ばれる子どもたちに、障害について正しい知識を教えられる人材が求められてくると思う。
健常児も、障害を持った子も、共に学びあえ、プラスの経験ができる機会が提供できるようなサービスも行っていきたいと考えている。

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