2013年7月16日火曜日

公教育も投資

それが公的な教育であったとしても、子どもの未来への投資だと思う。
みんなから集めた税金で賄われているのだから、掛けた時間とお金に見合う結果が求められる。

小学生の我が子が、学校で読み書きなど基礎的な学力を身につけてこなければ、学校へ改善を求めるだろう。
では、特別支援学校の高等部を卒業した我が子が、生活する上で必要なスキルやコミュニケーションのスキルを身につけていなかったとしたら・・・。

普通学校と比べて、手厚い教員配置とスペースの確保。
小学部に入学してから高等部卒業までの12年間、時間と人数とお金をかけて教育が行われている状況。
高等部を卒業したとき、身の回りのことに関するスキルを身につけていないのは親の責任になるのだろうか?
高等部を卒業したとき、自傷や不適応行動が改善されていないのは障害だからしょうがないのだろうか?
入学した姿と卒業した姿が大きさ以外変わらないというのはあまりにも悲しすぎる。
「卒業後は、はいっ、福祉へ」というのでは、やむを終えない理由がない場合、12年間の教育は何だったんだろうかと思ってしまう。

障害のあるなしに関わらず、学校に対しては同じ見方をしても良いと思う。
学校は決して子どもを預かってくれる場所ではない。
子どもたちの未来を作るための教育が行われる場所である、と。

保護者の方たちは我慢する必要がないと思う。
親として子どもに期待することは当然の感情であり、適切な教育が受けられていないときには改善を求めても良いと思う。
アメリカのように保護者の方たちが、訴訟を起こすまでは必要がないと思うが。


卒業後、我が子のすべての生活を一人で抱え込んでしまっている保護者の方たちと接するたびに、私が思ってしまうことでした。

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