2013年7月24日水曜日

自閉症の人にとっての"心の教育"とは

人は、悲しい気持ちになるから涙が出るのではなく、涙が出るから悲しい気持ちになるそうだ。
感情よりも先に行動がくるとのこと。
そう言われれば、転んで足から血が出たとき、血が出たあとに痛いという気持ちがやってくる。
フラットな感情のとき、「辛い」と言っていたらどんどん辛くなってくる。
反対に、笑顔で笑っていれば、いつの間にか楽しい気持ちになる。
「辛いときこそ、笑ってみよう!」というのは、理に適っているようだ。


自閉症の人は、気持ちの面で誤解されやすい。
「ありがとう」と口では言っているのに、顔が笑っていなかったり、相手とは別の方を見ていたりする。
自閉症の人たちは、自然に表情を作ることが苦手で、表情を作るのにも意識しなければならないし、人によっては顔のどこの筋肉を動かすか、など表情を作る練習が必要な人もいる。
相手からすると、「本当に喜んでいるの?」と思われてしまうことがある。

相手から叱られているとき、笑うことがある。
自閉症の人たちは、気持ちにおいても"0"か"100"であり、楽しいときには大きな声で笑い、悲しいときには激しく泣くことがある。
喜びと悲しみの間の微妙な気持ちの表現が苦手な人が多い。
だから本当は困っているのに笑ってしまうことがある。
また、自分が相手からどう見られているかに注目が向きづらいため、相手から期待されている表現と異なる場合がある。
叱っている方からすると、「反省しているの?」「ふざけているの?」と誤解されてしまうことがある。


いろいろなところで、自閉症の人たちに対する"心の教育"が叫ばれている。
私も(自閉症の人たちに限らず)心理面の成長を促す教育は大切だと考えている。
しかし、そのプロセスにおいて、私が良いと考え実践している方法は、一般的に行われているものとは異なっている。

なぜ「ありがとう」と言うのか意味を教えるよりも、「ありがとう」を言うときの動きを教えることに重きを置く。
相手の目を見る→「ありがとう」と言う→頭を斜め45度まで下げる→2秒数えたら頭を元の位置に戻す。
叱られていることの意味や反省という倫理面を教えるよりも、叱られているときの態度を教えることに重きを置く。
顔を30度くらい下げ、床の方を見て話を聞く(顔を見ると、顔を見ることに集中してしまい、話の内容に注意が向きづらいため。また、相手から見て、反省しているように見えるため)。

このように、私は物事の"意味"より先に"行動"を教える。
何故なら、自閉症の人たちは物事の概念を捉えることは苦手だが、形やパターンで覚えることが得意だからである。
中には行動の意味を理解できる人もいるが(その人には意味も後から教える)、相手からは本人の気持ちを見ることはできないため、求められる動きを教えるという、より実践的な指導に重きを置いている。


心が伴っていない行動は意味がないと考える人は意外に多い。
しかし、私たちの生活の中でも、自分たちの行動すべてに心がこもっているかと言われればどうだろうか?
職場での「おはよう」、町の中での「ありがとう」すべてに、私たちは心を込めて言っているのだろうか??

私が考える"心の教育"は、相手や社会から求められる適切な行動ができること。
それによって、みんなから認められ、ときに褒められるといった経験を通し、自分に自信を持って人生を歩んでいけることが心の成長につながると考えている。
最初に書いたように「行動のあとから、気持ちがやってくる」と思っている。

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