2013年9月28日土曜日

100号記念③「函館で私が売っているものは『自閉症療育』です」

<函館の地域性>
函館市、北斗市、七飯町のいろいろな公共施設に、『てらっこ塾』のポスター、パンフレットを置かせていただいています。
いずれの場所でも、短い期間でパンフレットがなくなるため、補充に回っています。
置かせていただいたパンフレットの枚数と無くなるスピードを考えると、『てらっこ塾』を利用する人数の伸びに比例していないように感じます。
8月に載った北海道新聞の記事を見た、という反響も多くいただきました。
『てらっこ塾』のホームページも、多くの人に訪れていただいています。

半年間、営業活動をしていて、それぞれの地域には、それぞれの地域性があることを感じます。
私の出身地である福岡県では、新しいお店やサービスが始まると、すぐに利用者が増えます。
福岡県の人は、好奇心が強い人が多く、自分の意思をはっきり持っている人が多いです。
そのため、新しいお店やサービスが始まると、すぐに飛びつき、自分で確かめようとします。
お店の方としたら、すぐにお客さんが集まるので良いように思えますが、福岡の人は"飽きっぽい"ところもあります。
ですから、開店早々お客さんが集まるものの、すぐに閑古鳥が鳴く、ということも珍しくありません。

私が子どものころ、住んでいた東京ではまた別の地域性があります。
東京には、お店や物が溢れています。
たくさんお店や物があるので、ほとんど差がない状況です。
では、どんなお店が流行るかというと、"行列"ができている店です。
お店や物が溢れた東京では、個人でものの良しあしを判断することが困難です。
ですから、"行列"のできているという事実が個人の判断に影響を及ぼします。
「味は変えていないが、テレビに出たら行列ができた」なんて話もよく聞きます。
東京でよく目にする近くに空いているお店があるのに、わざわざ行列のできているお店に並ぶ人たちの姿は、こういった地域性があります。
地方から東京に出てきた人が、行列に敢えて並ぼうとする東京の人たちの行動に驚くのも無理がありません。

話が逸れてしまいましたが、函館の地域性です。
上に書いたように、『てらっこ塾』に興味はあるのですが、なかなか利用するところまでいきません。
興味はあっても、利用するには誰か背中を押してくれる人が必要です。
実際、『てらっこ塾』を利用していただいているみなさんの多くは、「誰かの紹介」がほとんどです。
営業に行っても感じることがあります。
私が民間で自閉症支援を行っていることを伝えると、ほとんどの方が驚きます。
また、ポスターやパンフレット、話を聞いていただくためには、行政のバックアップがあるのかをよく尋ねられます。
この事業、サービス、人が良いか悪いかを判断するのは、自分ではなく、行政などの権威なのだなと感じることが多くありました。

私は地域性にケチをつけるつもりはありません。
福岡だって、東京だって、函館だって、過程に違いはありますが、良いものしか残らないという点では共通しています。
函館の人は、最初は警戒される場合が多いですが、一度仲良くなると、仕事からプライベートまで、大変お世話をしていただけます。
また、その「一度認めたらすべて受け入れる」という人間性は魅力だと思います。
どんな商売だったとしても、地域の人たちの文化に合わせることが必要だと思っています。
目の前にいるお客さんに対し、真摯に向き合い、最高のサービスを提供することが、新しいお客さんにつながっていくのだと考えています。

我が子の可能性を信じない親御さんはいないと思います。
我が子の未来を心配しない親御さんはいないと思います。
我が子の笑顔を見たくない親御さんはいないと思います。
そのような函館に住む自閉症のお子さんを持つ親御さんたちのために、これからも地道に力を尽くしていきたいと思います。
まだまだ力不足な私ですが、今後とも力を貸していただければと思います。
「自閉症のままで生きられる地域・社会」を目指して、地域のみなさんとつながっていきたいです。


この『てらっこ塾瓦版』のブログも、100号を突破しました!
文章がわかりにくかったり、違う意見を持たれる方もいらっしゃると思います。
読んでいただける皆さんの何か考えるきっかけになってもらえたらと思い、ブログを書き続けています。
大変嬉しいことに、どのブログの記事も30~50人くらいの方たちに読んでいただいています。
多い記事では、100人くらいの方たちが読んでくださったものもあります。
そのような皆さんに感謝の気持ちを伝えたいと思います。
『てらっこ塾瓦版』をいつも読んでいただき、ありがとうございました。
一人ひとりの行動が私の励みになっています。
これからも勉強や経験を通して学ばせていただいたことをみなさんに還元していきたいと考えています。
いつの日か、ブログを読んでいただいている皆さんと、別の方法でつながっていけることを楽しみにしています!

てらっこ塾代表 大久保

100号記念②「成人期は独りぼっち」

<成人期の苦労>
成人期のお子さんを持つ保護者の方たちに共通しているのは、みなさん"孤独感"をお持ちだということです。
「学校を卒業したら、相談する人がいない」
「相談する人がいても、実際に支援してくれる人はいなくて、困ったことがあっても、すべて家族が対応しなければならない」
「学校を卒業したら、保護者同士の付き合いも減った」
「私の身体に何かあったら・・・」
など、保護者の方たちの話から私は"孤独感"を感じます。
中には、「早く学校を卒業したいと思っていましたが、実際に学校を卒業してしまうと、まだ学校に通っていたときの方が幸せだった」とおっしゃっていた方もいました。

成人になったからと言って、支援が必要なくなるわけではありません。
自閉症支援は、一生涯必要な物であり、続いていくものです。
学校の方でも、「卒業後でも相談してください。サポートします」という姿勢を見せてくれるところが増えましたが、保護者の方からすると、「実際は頼みづらい」と言います。
卒業後、福祉施設を利用できている方でも、「利用させてもらっているだけでありがたいのに、施設以外のことは相談しづらい・・・」と言います。

また「支援者同士の意思の疎通がうまくいかない」という話もよく聞きます。
学校と福祉施設。
福祉施設と保護者。
成人期では、支援の中心が「教育」から「福祉」へと変わりますが、その「福祉」の方の現状は、学校のように物質的にも、心理的にも、余裕がない状態ですので、なかなかコミュニケーションがうまくとれません。
「支援者同士の意思の疎通がうまくいかない」という点は、教育と福祉のさまざまなギャップに原因があるのだと思います。

最近、30歳を過ぎた息子の不祥事を有名人の父親が謝罪している様子が報道されていました。
海外ではあり得ない光景だということです。
成人期のお子さんを持つ保護者の方たちの"孤独感"は、「子どものことは親が責任を持つ」といった日本独特の文化に起因しているのでは、と感じます。
成人期の支援については、本人たちへのサポートはもちろんのこと、保護者の方たちに対してのサポートについても早急に構築していく必要があると感じています。

100号記念①「先輩ママと若いママ」

『てらっこ塾』を立ち上げて、半年。
なかなかうまくいかないことが多く、試行錯誤の毎日でした。
どちらかというと、大変なことが多かった日々でしたが、濃密な時間であり、多くのことを学ばせてもらったと感じています。
「地域に新しい自閉症の人たちのためのサービスを作り上げていく」という今までとは別の角度から、自閉症支援を見ることができたと思います。
そこで、半年が経って、私が感じたこと、気が付いたことを今回、紹介させていただきたいと思います。

<子どもの年齢による違い>
一言で言うと、子どもの年齢や学年が上がることと比例して、保護者の方たちの危機感が高くなっていると感じます。
小学生くらいの子どもを持つ保護者の方は、本人が学校に通えていることや学校で楽しそうに過ごしていることに満足している場合が多いと感じます。
卒業までまだ年数がありますので、卒業後の子どもの姿を想像することが難しく、また次々新しいことを覚え、成長している過程ですので、そこまで将来のことを考えたり、危機感を持たれていなかったりするのも当然だと思います。

しかし、子どもが中学生くらいになると、急に将来の不安や危機感を持たれる保護者の方が増えます。
それは「学校生活も残り半分を過ぎた」という事実に直面するからだと思います。
思春期になり、子どもが心身ともに落ち着かなくなり、身体が小さかったときは、親がコントロールできた行動も、それが難しくなること。
そして、小学生くらいまではあまり言われてこなかった子どものマイナスな面を耳にするようになることも影響していると思います。
やはり将来の進路が近くなってくると、学校の方でも現実的な話をしなくてはならなくなります。
ですから、積極的には触れてこなかった部分についても、目や耳にする機会が増えてきます。

これが高校生くらいになると、さらに危機感が増してきます。
一日、一日、卒業が近づいてきます。
学校でも現実的な話ばかりになります。
卒業後は今までのように学校が何でもやってくれて、守ってくれるわけではありません。
この事実に直面したとき、保護者の方は二手に分かれます。
「残り少ないから、今のうちに1つでもできることを増やそう」と思う人と、諦めてしまう人です。
(また意外にも、「卒業後は福祉施設に入れる」と思っている人も少なからずいらっしゃいました。お話を伺うと、誰も「福祉施設の利用者がいっぱいで、今後ますます利用できなくなる」「北海道はこれ以上施設は増やさない方針」という事実について教えてくれなかった、とおっしゃっていました。昔から道南には大きな福祉法人があったという歴史も影響しているのかもしれません)

子どもの年齢が低い保護者の方でも、将来を見据えて、「今、何をすべきか」と常に考えている人もいます。
その人たちに共通していることは、先輩ママの話を聞いた、成人した自閉症の人の生活を実際に見た、という経験があることでした。
やはり「成人期の我が子の姿をイメージさせてくれる人がいる」ことが、特に若い保護者の方たちに大きな影響を与えるのだと思いました。
「そんな知り合いいません」という若い保護者の方たちの声もお聞きしますので、どうにか先輩ママと若いママたちをつなぐ活動ができないかな、と思っています。

2013年9月25日水曜日

手が抜けないことが悩みです

"手を抜けないこと"が悩み、とお話をいただくことがあります。
何事も真面目に捉えてしまうため、何気ない会話にも全力で応え、勉強や仕事などすべてに全力投球してしまう。
「悩みというより、良いことじゃない!」「うちの子と比べてうらやましい」などと感じてしまいそうですが、実際は困ったことがあります。

想像してみてください。
もし、朝起きてから夜寝るまでのすべての出来事に全力を使っていたら、頭も体も疲れてしまって仕方がありません。
朝起きて、歯を磨くのも全力。
ご飯を食べるのも全力。
ご飯中の何気ない会話にも全力。
登校、出勤の道のりも全力・・・。
このような力の使い方をしていると、学校や職場に着いた頃には、もうヘトヘトです。
自閉症の人たちは、やらなくてはいけないことは真面目に取り組みますので、学校や職場でも一生懸命勉強をしたり、働いたりします。
そして、一日が終わって帰宅すると、とてつもない心身の疲労が・・・。

「何事にも一生懸命全力で取り組むことは良いことだ」という意見もあります。
しかし、それでは学校も仕事も日々の生活自体も続けていくことができません。
また、当面何とか日々の生活を続けることができても、いつかその"無理"が形を変えて表れてきます。

私たちは力の加減ができるから、日々の生活を安定して送ることができます。
仕事や家事も、集中してやるところと手を抜くところがあるから、続けていくことができるのです。
自閉症の人たちの目から見ると、「定型発達の人たちは"手を抜く能力"を持っている」と言えると思います。

では、上手に"手が抜けない"自閉症の人たちはどうすれば良いのでしょうか?
それは、意図的に「休息」を日課の中に入れることだと思います。
日々の生活の中に、学校や仕事で過ごす時間に「休息」を入れます。
「休息」は、個人に合った内容と環境の上に成り立ちます。
自分で日課の管理ができない自閉症の人に対しても、支援者が「休息」を意識して日課の中に入れることが大切だと思います。

自閉症の人たちが何事にも"手を抜かないこと"は、私たちが見習うべき素晴らしい能力だと思います。
"手を抜けないこと"自体が問題なのではありません。
"手を抜けなく"ても大丈夫な状況にないことが問題だと思います。
その自閉症の人たちの持つ素晴らしい能力を存分に発揮できるような日課や環境を調整することが大切だと考えています。

自閉症のままで生きられる地域・社会を目指す『てらっこ塾』

2013年9月19日木曜日

「問題行動は、事前に対応」って知ってますけど・・・

「問題行動は、起こる前に対応することが大切」とよく言われますし、私もそのように教わりました。
実際、いろいろな自閉症の人たちの支援に携わってみて感じることは、「問題行動が起きてから、その行動を減らすことは難しい」ということです。
やはり問題行動は、事前に手を打っておくことが一番だと私も実感しています。
しかし、その一方で「問題行動につながる行動を予想し、未然に対応することも難しい」ということも感じます。

"問題につながる行動"を完全に防ごうと思ったら、あれもこれも行動の制限を加えることになります。
「将来、少しでも問題行動につながる可能性があるものの芽を摘んでおこう」と思ったら、極端なことを言えば、「何もさせない」という結論に近づいていきます。
でも、本人の生活の質や将来を考えたら、いろいろな経験や学びをさせたいし、可能性を信じ、挑戦もさせてあげたいと思うことは、自然なことだと思います。

また、いくら気をつけていたとしても、成長の過程の中で、いろいろな人と関わることになるし、それぞれの環境の中で刺激を受けることになります。
そして、どうしてかはわかりませんが、覚えてほしくない行動に限って、よく覚えてしまいます(笑)
このように、問題行動につながる行動を完全に防ぐことは難しいと思います。

理想は置いといて、現実としてはみなさん"起きてしまった問題行動"に対して、「どのように対応していったら良いか」について一番知りたいのではないでしょうか??

成長する過程の中で、「まったく問題がありません」「心配なこともありません」と言える家族や支援者はほとんどいないと思います。
自閉症の人たちは、定型発達の人とは脳の違いがありますので、刺激の受け取り方も、物事の捉え方も、感覚や運動機能にも、定型発達の人とは異なる困難さがあります。
ですから、成長の過程で、定型発達の人が多数派なこの世界の中で、自閉症の人に問題となる行動が表れることは自然なことだと思います。
だったら「問題行動が出たときに、どのように解決、改善を目指していくか」について答えられたり、一緒に対応できる専門家が必要なのではないでしょうか?

現代の自閉症の子どもを持つ保護者の人たちは、そこら辺の支援者より、専門的な知識と情熱を持っていると感じることが多くあります。
保護者のみなさんは、「問題行動は事前に対応する」という言葉は知っています。
そんな保護者のみなさんが本当に求めているのは、問題行動が起きたときに、一緒に解決、改善へと向かっていけるパートナーだと思います。
様々な自閉症の専門家が「問題行動は事前に対応する」と言っているのは、それだけ問題行動に対応することが難しいという意味の裏返しだと考えています。

過去の経験や自閉症に関する専門的な知識や技能が、みなさんのお役に立てるかもしれません。
一緒に悩み、解決、改善に向けて歩みだしましょう!
家族だけで悩まず、家庭だけで抱えず、「てらっこ塾」にご連絡ください☆
家庭の中で起きた問題は、家庭という場所で解決、改善していくことが近道です!!

2013年9月17日火曜日

どうして片づけられないのだろう?

自閉症の人たちのイメージだと、「物の位置や向き、置く場所にこだわりがあり、きちっと整理、整頓している」姿を思い浮かべる人も多いと思います。
でも、そのような自閉症の人たちがたくさんいる一方で、「片づけることが苦手」という人たちも多くいます。
そのような"片づけられない"ことの背景には、どのようなことが考えられるのでしょうか?

①「何から片づけるの?」
 自閉症の特性として、複数ある情報を捉えたあと、その複数の情報を頭の中でうまく整理して、処理することが苦手です。もっと具体的に言うと、優先順位をつけたり、「まずこれから片づけて、次にこれを片づける」というように計画を立て、実行したりすることが苦手です。ですから、片づけるものが複数あると、情報の多さの方に圧倒されてしまい、どこから手を付けていいか、どうやって進めていくか、分からなくなってしまいます。このような人の場合、一気に片づけるのではなく、片づける場所や物を限定したりすると、片づけられることがあります。

②「どこを片づけたらいいの?」
 扉などがあり、部屋と部屋の境界線が完全に分かれていると、片づける範囲がわかるのですが、境界線のない空間では、「どこを片づけるのか」「どこまで片づけたらいいのか」がわからないことがあります。片づける範囲がわからないと、動くことができません。また、①の理由のように、範囲が決まっていないと、複数の情報に圧倒されてしまいます。片づける空間を本人が見てわかるような方法で伝えると、情報が限定され、片づけられるかもしれません。

③「どこに片づけたらいいの?」
 片づける場所が明確に決まっていますか?②の理由のように、「だいたいこの辺」では自閉症の人たちは理解できません。片づける場所の自由があるよりも、「これは、この場所に置く」というように限定した方が、自閉症の人たちの好みに合っていると思います。「本はこの本棚に」で片づけられる人もいますし、中には「この本は本棚の2段目に置く」というようにより限定された方が良い人もいます。また、片づける場所に「本」や「ミニカー」、「お絵かきセット」などを文字や絵で示し、具体的に伝える方法がわかりやすい、という人もいます。ちなみに玩具などを1つの箱の中にぐちゃっと入っているような無秩序な状態を気持ち悪く感じる自閉症の人もいます。

④「いつ片づけるの?」
 言われないと、いつまで経っても片づけない人もいます。それは、「いつ片づけるか」「いつまでに片づけるか」などがわからないためです。片づける時間に決まりはありません。定型発達の人たちは、「そろそろ片づけないと」と状況から想像し、片付けを始めます。自閉症の人は、状況から"片付けるタイミング"を想像することが苦手なので、やらないだけだと考えられます。このような場合、片づける日時を決めて、明確なルールを設けると、自ら片づけられるかもしれません。

⑤「片づける意義はなに?」
 なぜ、私たちは片付けを行うのでしょうか?物の場所が把握できていて、必要なときにすぐに取り出せるなら、きちんと棚などに入っていなくても良いのでは。私の知っている人で、他の人が見たら、床やテーブル上などに雑然と物が置かれていて、とてもきれいな部屋に見えない人がいます。でも、その人はすべて物のある場所を把握しているのです。「物が整理、整頓されていると、気持ちがイイ」などという抽象的な意義では、自閉症の人たちは理解できません。私たちは物をきちんと片づけていないと、後から「どこにいった」などと、慌ててしまうことがありますが、自閉症の人の記憶力は優れているので、私の知り合いのように困らない人もいます。「なぜ、片づけるのか」については、本人がわかり、納得できる理由を伝えると、片づけることの動機づけにつながると思います。

①~⑤のように、片づけられない背景について考えられるものを記述しました。
この他にもあるかもしれませんし、①~⑤の中の複数が絡み合っている人もいると思います。
ただ、どのような理由が背景にあったとしても、自閉症の特性が影響していることは確かだと思います。

「複数ある情報をうまく処理することが苦手」
「目に見えないものや抽象的なことを想像することが苦手」
というような違いが自閉症の人にはあります。
決して、さぼっているわけでも、だらしない性格なわけでもありません。

私たち支援者は、自閉症の特性に合わせて、
「片づける物や場所を限定し、情報を少なくすること」
「片づける場所や位置、時間、意義などは具体的に伝えること」
を一人ひとりに合わせて行えれば、以前よりも片づけられるようになると思います。

昨日の夕方、函館の空に現れたダブル・レインボー☆

2013年9月15日日曜日

カリキュラムも、時間割も、教室も、すべて取っ払って!

カリキュラムが先に決まっているのではなく、すべては個人から始まる学びの場が作れないだろうか?

何を学ぶかは、本人が決める。
もし、本人が決められないのなら、保護者の希望から始めればいい。

学ぶ時間だって、本人が決める。
みんなが一斉に朝から学ばなくても良い。
朝から学んだ方が身につきやすいなら、そうすればいいし、午後から学んだ方がよく覚えられるなら午後からでも良い。

集中力だって一人ひとり違うはず。
5分しか集中力が持たないなら、5分単位での学びを繰り返せばいい。
2時間でも、3時間でも学び続けられるなら、とことん学ばせてあげたい。
5分しか集中できない人を45分学び続けさせることも、何時間でも学びたい人を45分で切り上げさせることも、本人にとっては同じくらい辛いことだと思う。
だったら、みんな同じな時間割を無くせないだろうか?
本人たちが自分だけの時間割を作っていけばいい。

教える人間も決まっていなくてもいい。
地域を見渡せば、その道に通じた人がいるだろう。
本人が学びたいことは、その道の専門家から教わればいい。
ただ、自閉症の人とその専門家が直接つながるには難しい部分もあるため、その間に立つ"自閉症"に関する専門家は必要。

カリキュラムも、時間割も、教室も、すべて取っ払って、本人が『今』、そして『未来』に必要なことをとことん学べる場を作っていきたい!
これが私の目標だし、自閉症の人たちの学び方に合っていると思っている。
「てらっこ塾」はそのための1歩だぁ~!!

2013年9月12日木曜日

自閉症の人特有の注意の向け方

この文章を読んでいるあなたの周りには、いろいろな刺激があると思います。
窓の外から聞こえてくる車の音。
太陽や照明の光。
パソコンや携帯を触る指の感触。
食事や香水のにおいもするかもしれません。
でも、あなたはそれらの刺激に注意を奪われることなく、この文字を読むことができます。
でも、自閉症の人の中には、周りの刺激に注意を奪われて、この文字を読むことになかなか集中できない人もいます。

定型発達の人と自閉症の人では、「注意の向け方が異なっている」と言われています。
私たちは注目するものを自分自身で決めています。
例えば、誰かと会話しているとき、周囲がどんなに騒々しくても、相手の話を聞くことができます。
そのとき、周囲の声や音は耳に入っているはずなのに聞こえません。
これは自分自身で注意を向けるものを決め、優先して刺激を受け取ることができるからです。

一方、自閉症の人は注目するものを自分自身で決めることができないことがあります。
上の例と同じように、誰かと会話をしているとき、隣から会話が聞こえてくれば、そちらの方に注意が向き、また、食べ物の匂いがしたら、そちらの方に注意が向いてしまいます。
このように、自閉症の人は自分自身で注意を向けるものを決めることが難しく、周りから入ってくる刺激に次々と受け取ってしまいます。

何に注意を向けるかを定型発達の人が"内面"で決めているのに対し、自閉症の人は"外部"が決めてしまうことがあります。
私たちは周囲の刺激を取捨選択し、優先順位をつけて受け取っています。
でも、自閉症の人たちは、すべての刺激を全部同じ順位として受け取ってしまうのです。
本当は相手の話に注目したいのに、周りの話し声や蛍光灯の光にも次々と注目してしまうのです。
それが本人の意思とは関係なく。

こういった特性からも、自閉症の人たちの生きづらさを感じます。
このような自閉症の人たち特有の捉え方をイメージできることと、本人の代わりに私たちが不要な刺激を制御することが大切だと考えています。

2013年9月10日火曜日

"見た目"って大切じゃない??

男性は坊主頭で、女性はショートカット

短い髪の方が頭を洗いやすいし、清潔にも保ちやすい

自閉症の人の中には、髪を切られる感覚が苦手な人もいる

自閉症の人の中には、「他人からどう見られているか」に気づくことが苦手な人もいる

支援者も支援しやすいし、本人もあまり気にしないなら、どんな髪型でもいいのかな


成人の自閉症の人たちは、実年齢よりも年齢が高く見えることがある

そのような人たちは、同じくらいの年齢の人たちが行っているケアをしていないことが多い

女性ならスキンケアが重要だし、化粧をしない分、紫外線を直に受けてしまう肌

男性も頭皮や顔の脂をしっかり取る必要があるし、運動しなければすぐに大きくなるお腹周り

同年代の人たちが行っているケアをしていなければ、実年齢よりも年齢が高く見られてしまうことは仕方がないよね


"見た目"って、本人や支援者からしたら優先順位が低いことかもしれない

でも、その他の人からしたら、"印象"って大事じゃないかな

多くの人たちは、自分の印象を気にするし、よく見られたいと思っているよね

だったら、自閉症の人たちも同じじゃないかな

自閉症の人たちが他者の視点に気づくことが苦手なら、"見た目"や"印象"の大切さや良い保ち方も伝えていく必要があるんじゃないかな

2013年9月9日月曜日

使わない構造化はゴミ箱へ!?

「構造化された支援がなくても、できているからいらないじゃないか」と言う人がいます。
最初は必要だった手順書を見なくても、行動ができるようになったり、コミュニケーションカードを用いなくても、自分の意思が伝えられたりすることはよく見られることです。
確かに、この人たちは構造化された支援を使っていません。
ですが、だからといって「もう必要がない」「ゴミ箱へ」ということにはなりません。

自閉症の人たちは、定型発達の私たち以上に心身の影響を受けやすい、と言えます。
心身ともに安定しているときは、問題なく行えていることも、心身の状態が悪くなると、行うのに時間がかかったり、中にはまったくできなくなったりすることもあります。
気分が落ち込んでいたり、気になることがあったり、身体が疲れたりしていると、判断や理解に時間がかかったり、身体を動かすこと自体がスムーズにできなくなったりすることがあります。

そんなとき、構造化された支援が本人の判断、理解、行動を助けます。
構造化された支援は、情報をわかりやすく示してくれるので、本人が行う判断と理解の量を減らし、身体を動かすことに集中ができます。
また、その行動自体もわかりやすいので、判断力や理解力の低下によって導かれた不安な気持ちを打消し、自信を持って行動することができます。

私が準備した手順書をいつもは見ないのですが、疲れたときなど、体調がすぐれなくなると、手順書を1つ1つ確認しながら行う方がいます。
いつもだったら簡単にできることでも、心身の状態が整わないと、いつもの力を発揮できないことがその様子から伺えます。
そんなときのために、構造化された支援がバックアップ機能として必要となるのです。

「自閉症の人たちは、調子が悪くなったとき、五感の中で最後まで機能が残るのは"視覚"である」と言われています。
見て分かる形で情報を整理し、提示する方法は、自閉症の人たちが調子が良いときも、悪いときも助けてくれる方法です。
「いつもできているから」ではなく、「調子が悪いときのために」という考え方も大切ですね。

2013年9月4日水曜日

健康の比重は?

「病気しないで、いつまでも健康な人生を送りたい」と多くの人は願う。
でも、お酒を飲みすぎてしまうこともあるし、夜遅くにご飯を食べることもある。
ついつい食べてしまう甘いものに、止めようと思ってもなかなか止められないタバコ。
朝までカラオケで盛り上がり、3日と続かない運動に、ダイエット。
人は誰しも健康的な生活を望んでいるはずなのに、それとは真逆な生活をすることも多い。

いつまでも健康な生活を送りたいのなら、規則正しい生活をし、食事も質素なものに。
運動も毎日続け、嗜好品とは決別すれば良い。
でも、こんな生活を一生送りたいと考えている人は少ないだろう。
みんな健康は得たいが、「健康を得ることが人生の目的ではない」と思う。

日本の障害者福祉の世界は、「"健康"に比重をかけすぎているのではないか」と思うことがある。
365日、規則正しい生活に、食事や嗜好品の徹底した管理。
確かに、利用してくれる人たちの健康は大事だし、このご時世、何かあったらすぐに責任が問われ、大問題へとつながりかねない。
しかし、利用者の目を通して、日々の生活を見ることも大切ではないだろうか。
自分だったら、このような毎日を過ごしていきたいのか・・・。
私だったら、いくら健康で長生きできたとしても、制限が多い毎日を過ごしたいとは思わない。
それだったら、寿命は短くなっても、嗜好品を楽しみたい。

障害を持った人たちは、自分で健康を管理することが苦手な人も多く、サポートが必要な部分だと思う。
でも、"健康"は豊かな人生を送られるための要素の1つではないか。
人生をトータルで考え、様々な要素のバランスを取ることが、個人の豊かな人生へとつながっていくと私は考えている。

2013年9月3日火曜日

自閉症と恋愛、結婚

私は、自閉症の人たちもどんどん恋愛すれば良いし、希望する人は結婚したら良い、と思っています。
人を好きになる気持ちは自然な感情だと思いますし、その人と一緒に人生を歩みたいと思うことも自然な流れだと思います。
しかし、日本特有の文化なのかもしれません。
あまり恋愛や結婚について積極的に教えようとはしませんし、その話題に触れることも憚られる、といった雰囲気があります。
私も恋愛や結婚について、「本人が希望しているなら、自閉症の人たちもどんどんすれば良い」なんて発言すると、相手は驚いた反応をすることがよくあります。

私は何もすべての自閉症の人たちが恋愛や結婚をすれば良い、と言っているのではありません。
本人たちが持つ自然な感情を周りが抑えるのではなく、応援できるような環境を作りたい、と私は考えています。

自閉症の人たちの恋愛や結婚に対し、積極的ではない意見を持つ人の気持ちもわかります。
確かに恋愛や結婚をしたからと言って、それを継続することは難しく、結婚に関して言えば、お互いに責任が出てきますし、生活を送っていくには様々な手続き、契約、管理等、いろいろと行わなければならないことがあります。
また、一方的に気持ちを向けてしまうことや性に関するトラブルなど、心配なことも出てきます。
しかし、私はどちらの点も支援によって乗り越えられるのではないか、と考えています。

結婚生活をすべて2人だけの力で成り立たせることは難しいかもしれません。
だったら、手助けが必要な部分はサービスを受ければ良い、と思います。
「結婚=完全な自立」といったイメージがあり、他人が結婚生活を手助けすることは、「そもそも結婚自体が無理だった」という考えも出てくるかもしれません。
しかし、「サービスを受ければ、2人の望む生活ができる」という考え方もできるのではないでしょうか。

一方的な恋愛感情や性のトラブルは、自閉症の特性の部分や誤学習、未学習が関係している、と思います。
一方的な恋愛感情の根本は、自閉症の特性でもある社会性の違いの部分です。
相手の気持ちを読み取ることが苦手だったり、コミュニケーションがうまくとれなかったり。
また、性のトラブルはテレビやインターネットなどの情報を、それが例え歪んだ知識や情報であったとしても、「これが正しいんだ」と誤学習してしまったり、まったくの無知であったために引き起こされることも考えられます。
しかし、本来は教えられたルールや方法をきちんと守ることが得意な自閉症の人たちです。
正しい知識や方法を支援者が教えることにより、トラブルは減り、望ましい関係を築くことができるようになるのではないでしょうか。

知的障害を持っていない自閉症の人たちが注目を浴びるようになったのは、ここ10年くらいなものです。
じゃあ、それ以前の知的障害を持っていない自閉症の人たちはみんな恋愛も、結婚もしていなかったか、と言えばどうでしょうか。
恋愛や結婚を選択するのは、本人自身だと思います。
その選択肢を本人の手から遠ざけることを目指すのではなく、選んだときのために正しい知識と方法を教えることを目指すべきではないでしょうか。
自閉症の部分に支援が必要なだけであって、人間の部分は定型発達の人とは変わりません。

*関連した内容の『交際が発展していかない理由!?』もよろしければご覧ください♪

2013年9月1日日曜日

長所を伸ばすか?短所を無くすか?

どちらの方向性が良いのか、人によって意見が割れる。
ある人は、「長所を伸ばすことによって、短所が目立たなくなる」と言い、またある人は、「短所が大きいと、長所まで消してしまう」と言う。
人付き合いが苦手で、身の回りのことがまったくできないが、一つ人より優れた才能を持っているだけで、周囲から称賛される人がいる。
反対に、重大な短所があるばっかりに、表に出られず、才能まで否定される人もいる。
どちらの方向性が良いとは言い切れず、そのバランスが重要なのかもしれない。

しかし、自閉症の人たちの支援については、「長所を伸ばす」方が望ましい、と私は考えている。
その理由は2つある。

1つ目の理由は、自閉症の人たちの捉え方の違いがあることだ。
例えば、服のチャックがうまく閉められない人がいるとする。
そんな場合、服のチャックが閉められるようになるため、親や教師から指摘されたり、練習させられたりすることがある。
定型発達の人なら、「服のチャックが閉められることは必要なことなんだ」「お母さんは、私にチャックが閉められるようになってほしいと願っているんだ」というように、指摘や練習の背景にある意図を読み取ることができる。
しかし、自閉症の人たちの場合、定型発達の人とは違う捉え方をする場合がある。
自閉症の人たちの中には、相手の視点を想像することが苦手な人が多くいる。
そのような人たちは、なぜ指摘や練習がさせられるのか、意図をうまく捉えることができない。
そうなると、「自分が苦手としていることをただやらさせられている」と感じてしまう。
実際に、「この人は、自分をいじめているんだ」と捉えてしまった自閉症の人もいる。
自閉症の人たちは、定型発達の人とは違う捉え方をするので、短所ばかり注目する支援はあまり望ましいとは言えず、短所を無くすような支援を行う場合でも配慮が必要である。

2つ目の理由は、苦手な理由が自閉症の特性に関連したものがあることだ。
なぜ、それが苦手なのか、その理由はいろいろある。
ただやりたくないのか、苦手意識があるのか、教わったことがないのか・・・。
このような理由なら、努力してできるようになるかもしれない。
しかし、その苦手さが自閉症の特性からきているなら、努力だけでは乗り越えられない。
上で挙げた「服のチャック」の例なら、身体をうまくコントロールできないことや指先の感覚がうまく把握できないことなどといった自閉症の特性が影響していることも考えられる。
その場合、いくら練習してもできるようにならない場合がある。
よって、苦手な理由が自閉症の特性からくるものである場合があるため、短所ではなく、長所を伸ばす方が望ましい、と考えている。

あるお母さんが「仕事の全部はできないけれど、この子が得意な部分だけやらせてもらえれば、普通の人と同じように、またはそれ以上に働けるのに」と言っていた。
私もそのお母さんと同じように、長所に注目し、その長所を伸ばし、生かしていくことが、自閉症の人たちを輝かせることにつながる、と考えている。
「得意なことを得意な人がとことんやる」方が自閉症の人たちに合っているのだ、と私は思っている。