2013年12月31日火曜日

一歩踏み出した2013

このままだと来年の大河「軍師官兵衛」が始まってしまうと思い、溜まっていた「八重の桜」を一気に見ました。
その「八重の桜」最終回で、主人公の八重さんが言っていたセリフが印象に残りました。
「新しいことを始めると、必ず批判する人が出てくるものです」

「特別支援教育があるから必要がないこと」だとは、私は思いません。
家庭での療育を手伝う人が必要です。
学校で学んだことを家庭に般化させる人が必要です。
自閉症の人たちも、学校以外でも学びたいと思っている人もいます。
学校を卒業したら、必ず就職できる、必ず施設に入れる世の中ではなくなりました。
学校と違うことを教えられては困るというなら、お互い強みを生かして、より良い教育のために力を合わせていけばよいのではないでしょうか。

「儲からないことを何でわざわざするのか?」と尋ねられることもありました。
儲けられることが仕事の価値を決めることではありません。
世の中で必要な仕事だからこそ、やる価値があるのだと思います。
新しい仕事が、新しい価値観を生み出し、新しい未来を作りだすことがあるのではないでしょうか。

起業してからというもの、地域からの視線を感じます。
本当に価値のあることなのか?
どれくらい知識と専門性をもった人物なのか?
自分たちの組織にとってプラスの存在になるのか?マイナスの存在になるのか?
うまくいくのか?いつまでもつのか?
『てらっこ塾』の動向を気にしている人たちが、少なからずいることがわかります。

新しいことを始めることは、本当に大変なことだと感じる2013年でした。
しかし、この2013年に踏み出した一歩が、将来、「自閉症のままで生きられる地域、社会」という目標へと続いていく道になると信じ、2014年も励んでいきます。
実績のない『てらっこ塾』を利用し、応援して頂いた皆さま、本当にありがとうございました!
2014年も可能な限り前を向き、一歩ずつ足を前に出していきたいと思います。

2013年12月30日月曜日

強度行動障害の人と関わって見えてきたこと

施設で働いていたとき、強度行動障害の人たちの支援に携わっていました。
各地から"強度行動障害"ということで入所されてきていましたが、そのほとんどの人たちが「作られた強度行動障害」であると感じていました。
「作られた強度行動障害」とは、本人の器質的な理由ではなく、今まで歩んできた環境の影響を受け、行動障害が作られてしまった、という意味です。

強度行動障害が作られる理由には、
①一貫性のない支援、行き当たりばったりの支援によって、本人の頭の中がぐちゃぐちゃになってしまったため
②反対に、適切な支援をまったく受けてこなかったばっかりに、誤学習が何重にも積み重なってしまったため
というような大きく分けて2通りの理由がある、と私は感じていました。
「強度行動障害がある」と言われて入所されてきた人たちの多くは、本人の評価に基づいた支援を行っていくと、徐々に落ち着きを取り戻し、生活に支障がないくらいまでになっていました。
また中には、入所された当日にすぐに落ち着き、「本当に強度行動障害がある人?」と思うようなこともありました。

自閉症の人たちに強度行動障害が多い理由は、視覚的に記憶したことは特に強く残り、消去することが困難、ということがあります。
「自閉症と知らずに子育てされてきた」「感覚の違いについて配慮されてこなかった」「他の障害と同じように療育されてきた」「自閉症の療育の仕方が、親御さんに教えられてこなかった」など、様々な理由から本人に適切な療育が届かなかった場合、適切ではない行動や自分なりの行動を身につけてしまいます。
その極端な結果として、"強度行動障害"と呼ばれるような状態になるのだと考えています。

行動障害がある人に対して、どのように支援を行っていけば良いのか?
それは一人ひとり違うので、一概に言うことはできません。
しかし、支援の基本的な考え方としては、
◎ストレスを支援の根拠にしないこと(ストレスは見えないため)
◎行動障害にばかり目を向けない(支援が進まなくなる。本人の強みを伸ばしていくという方向性)
となります。
*もちろん、精神科の薬を活用することもありますが、これはあくまで補助という考え方です。
多量の薬を飲めば、行動障害がなくなると言いますか、行動障害ができない状態までに持っていくことは可能です。
しかし、これでは「何のための支援か」「本人の生活の質はこれでいいのか」という疑問が出ます。
精神科の薬の力を借りている間に、環境の調整や本人への療育を行うことが第一です。

そして強度行動障害に関して、最後にどうしても書かなければならないことがあります。
それは、強度行動障害の人の中には、本人の器質として激しい感覚過敏や衝動性などを持っている人たちがいることです。
この人たちの話を保護者の方からお聞きすると、物心つく前から他の子ども(自閉症の子どもとも)とは違う行動が見られていたと言います。
とてもここでは語ることができないくらいのご苦労を、本人はもちろんのこと、家族も抱えてきたということがあります。
アメリカのノースカロライナ州では、自閉症の95%の人たちが地域で生活していると言います。
しかし、残りの5%の人たちは精神科の病棟で生活をしている。
このことを日本の強度行動障害を持つ人たちに当てはめることはできませんが、数パーセントの割合で、本人の器質的な要因から強度行動障害になる、ということがあるのではと考えられます。

2013年12月25日水曜日

発達障害科があればいいのに・・・

現在の障害者雇用制度ですと、発達障害の人は「精神障害者」の中に含まれています。
これはどう考えてもおかしい。
国が「発達障害=精神障害」と誤った認識を広めてしまっている、と言えないでしょうか?

当事者の方が言っていました。
「内科、外科のように、発達障害科があればいいのに・・・」と。
発達障害に気づかれるのは、精神科。
発達障害の診断を受けるのも、精神科。
心身の不調を改善するのも、精神科。
「発達障害の人は、精神病の一種と思われても仕方がない状況ですね」と言っていました。

発達障害は脳の機能の違いであり、治療して治るものではありません。
就職の際、"精神疾患がある"という前提で話をされる場合が多いとも聞きます。
そんな一言一言に傷ついている発達障害の人は少なくありません。

発達障害の人たちは、見えない障害を持っています。
ですから、一般の人たちに正しく理解してもらうことが難しい上に、現代の日本の状況が本人たちをさらに苦しめてしまっています。
「発達障害科があればいいのに」という言葉の裏には、発達障害の人たちを取り巻く環境の課題が存在しています。

2013年12月21日土曜日

集団は学習する場ではなく、実践する場

集団行動の苦手な子や他人と一緒に活動することが苦手な子を、集団の中で指導しようとすることはあまりお勧めできません。
集団の中は刺激がたくさんあって、集中して学習することが難しい環境であります。

また他人との関わりが苦手な子は、対人関係の発達が実年齢よりも低い場合があります。
他人の側にいられるようになるのは、1、2歳です。
他人を意識し、遊びを共有できるようになるのは、3歳くらいからです。
ルールを守ることのできる年齢は、だいたい4、5歳です。
他人とやり取りができるようになるのは、これ以降になります。

実年齢が高かったとしても、対人関係の発達年齢が低い場合、集団の中で指導しようとする内容自体が本人に合っていないこともあります。
他人のことを十分に意識することができない子に対し、いきなり他人とやり取りすることは、本人の負担になりますし、身につくとも考えられません。

文字が書けない子に対し、いきなり文章を書くことを学習したりしません。
しかし、対人関係の学習においては、いきなり集団の中に入れて、練習をしてしまうことがあります。

対人関係は自閉症の中核的な障害の部分です。
ですから、本人が集中できる環境の中で、教える人と1対1で個別に学習を進めること。
そして、必ず本人の対人関係の発達のレベルに合わせた内容から、段階的に学習していくことが大切です。
集団はあくまで新しいことを学習する場所ではなく、個別に学んだことを応用し、実践する場だと言えます。

2013年12月19日木曜日

フィクションです☆

今日も朝から雪が降り続いている。
こんな天気だと、役所に来る人は限られていてあまりいない。
真っ白な街を見ながら、「いつになったらやむのか」とため息をつく。

新幹線の開業による経済効果もあるだろう。
しかし、その効果も何年も続くものではない。
市の財政の立て直しは、依然待ったなしの状況だ。

新幹線に熱を上げるのも、裏を返せば観光都市の宿命か。
素晴らしい自然や食べ物はあるけれど、観光客が来てくれなければお金は落ちていかない。
今は、中国、台湾など、アジアの富裕層が来ているが、国際状況によっては今後も確実なお客さんであり続けるとは言えない。
顧客拡大のため、水産物、農産物を外に売り出そうとしても、そもそも地元の働き手が減っている。
若者たちは職を求め、地元を離れていくことに歯止めがきかない。

地元の子どもは減り、年輩者が増え続ける。
まずます医療、介護の支出は増えるばかりである。
また、経済状況の悪さから、生活保護費の増加も頭を悩ませる。

新しい産業が生まれる可能性は少ない。
だったら、支出を減らしていくしか選択肢は残されていない。
果たしてどこから手をつけていけばよいのか。
まあ、どこから手をつけたとしても、このご時世、批判が出るのは致し方ない。
でも、できることなら票が逃げていくことは避けたい、というのが本音だ。

そういえば、地元に変わった若者がいる、とある市議から話を聞いたことがあった。
なんでもそいつが言うには、発達障害の人たちの力を生かせる仕組みを作れば、市の財政支出を減らせる、と言っているらしい。
どうせ福祉関係者なのだろう。
でも、本当に支出を減らせるなら・・・。

まあ、減らせなかったとしても、「障害を持った人たちの支援に取り組んでいる」というのは、次の選挙につながるアピールにもなる。
次の瞬間、市長室の電話を手にしていた。

「生活保護を受けている人の中には、発達障害の人たちも多くいるそうです。彼らは知的障害を持っていない人も多く、大学を出ている人もたくさんいます。しかし、周囲の無理解であったり、適切な支援や教育を受けてこなかったりしたために、仕事をすることが難しい状況にいます」
「また、精神科の薬を飲んでいる人が多くいます。でも、発達障害は精神病ではないので、本来なら飲む必要がないのに飲んでいる場合がほとんどです。適切な教育と支援があれば、本来飲む必要がないものとのことです」
「早く発達障害に気づき、適切な教育を低年齢のうちから受けられるようにすれば、そうでなかった場合と比べて、生涯にかかる医療、福祉のお金がはるかに少なくて済むというのが、世界の常識になっているそうです。また、それだけではなく、発達障害の人たちは大変真面目で、一つのことに集中して取り組むことができるので、適切な教育と支援があれば、働いて納税者になれる可能性が高いということでした」

「納税者」という言葉が引っかかる。
障害者=福祉という頭しかなかった男には。

大学院まで出た男である。
頭の回転は早い。
福祉が担わないといけないと考えていた人たちが、働いて納税者になる。
この時点で支出から収入になる。
若い働き手を必要としているのだから、労働力の確保にもつながる。
また小さい話かもしれないが、働いて収入が得られるようになったら、住居も必要になるだろう。
あちこちにある空き家の解消にもなる。
自立した生活には、経済活動も伴う。
地元経済界の人たちにも悪い話ではない。
そして何よりも自分の実績となる。
福祉関係者の票は少なくない。
議論の様子は逐一流し続けよう。

仕組みを作るくらい大して金はかからない。
サービスも民間委託にすれば、何かあっても矛先が直接自分に向くことはないだろう。
電話を置き、窓の外に目をやると、雲の間から薄日が差していた。

2013年12月18日水曜日

生きやすさにつながっていくかどうか

「敢えて診断を受ける利点が見つからない」
自分が発達障害ではないか、と思われている方が私に話してくれたこと。
私は「確かにそうだな」と心の中で思った。

診断を受ければ、サービスや金銭的な補助を手に入れられる。
でも、発達障害の当事者の方たちは、サービスやお金だけを求めているわけではない。
本当に求めているものは、"生きやすさ"ではないだろうか、と疑問が投げかけられた。

生きづらさは、障害自体からくるものと、社会からくるものがある。
障害自体は、診断を受けてもなくなるものではない。
社会も、診断を受けてもかわるものではない。

障害自体は、消えてなくならないもの。
本人が障害と上手に付き合っていくしかない。
だったら、そんな本人たちを温かく応援する環境、社会が本当に求められていることではないか。

専門家は診断を勧める。
でも、診断も、サービスも、お金も、本人の生きづらさを解決していく1つの方法に過ぎない。
大切なのは、本人にとってその選択が"生きやすさ"につながっていくかどうかだ。

2013年12月17日火曜日

修行僧のような子育て

支援者の発言が保護者の方たちを苦しめていることはないだろうか、と思うことがあります。

「自閉症の人たちは視覚的な手だてが必要」
「否定的な声がけではなく、肯定的な声がけをすることが大切」
「問題行動は、素早く対応する」
「良いところに目を向ける」

でも、保護者のみなさん全員が、パソコンを使うこと、工作すること、絵を描くこと、手だてのアイディアを創造することが得意なわけではありません。
保護者の方だって、疲れているときもあれば、余裕がないときもあります。
だから、いつだって肯定的な声がけができるわけではなく、時には感情的に否定的な声がけをしてしまうことがあっても当然です。
問題行動が素早く対応できるのなら、最初から困ってませんし、相談なんかしません。
良いところに目を向けようと頭では分かっていても、できないことがついつい目に入ってしまう。
それは親だったら自然なことですよね。
だって、子どもに対する期待や希望があるからこそ、「できないことができるようになってほしい」と願うのですから。

支援者は、保護者の方から助言を求められたとき、その保護者の方個人と向き合い、毎日の生活を想像しながら助言することが大切だと考えています。
保護者は自閉症の専門家ではないので、自閉症の子どもの支援だけできるわけではありません。
家事もしなければなりませんし、兄弟がいれば兄弟の世話もしなければなりません。
保護者の方だって、友達付き合いもありますし、気分転換のできる自分の時間、ゴロゴロして休む時間も必要です。
そんな当たり前の生活を想像できない支援者になってはいけないと思っています。

支援者の中には、自分と同じ目線で助言をしてしまう人もいます。
自分たちと同じように支援をすることを求めたり、子どもにマイナスなことが起きると保護者の支援力不足を理由に挙げたりする人もいます。
お金をもらって支援をしている者と、保護者の方たちは根本的に状況が違います。
また、支援者は他人だからこそ、子どもを客観的に見れるのであって、我が子に対してだったら主観が入るのは当然です。

ある勉強会で隣に座っていたお母さんがボソッと言った独り言が、とても印象に残っています。
「私が修行僧のようにならなくてはいけないのね」
私はこの一言を聞いたとき、ドキッとしました。
定型発達の子どもを持つ保護者の方からは聞かれない言葉だと思いました。
本来、子育ては辛いこと、大変なこともありますが、楽しいことや喜びも同じように存在するものだと思います。
それが修行僧のように、いろいろな欲から離れ、動じない心を持たなければと、保護者の方に思わせてしまっている。
こんな悲しいことはありません。

私は定型発達の子どもと同じように、自閉症や発達障害の子どもを持つ保護者の方たちにも、子育ての楽しみや喜びの部分も感じてほしいと思っています。
親にとっての一番の喜びは、子どもの成長だと思います。
ですから私は、療育を通して子どもの成長を感じてもらい、保護者の方が参加できる楽しい療育を行っていきたいと考えています。
そして何よりも、自閉症のお子さんの親ではなく、一人の人として、保護者の方の毎日の生活も大切にできる支援者になりたいと考えています。
保護者の方を疲れさせる存在ではなく、楽にさせてあげられる存在に。

2013年12月16日月曜日

助言通りにやっているのに・・・

「相談機関に通っているんですけど・・・」
「〇〇先生から言われたとおりにやっているんですけど・・・」

最近、このような保護者の方たちの"本音"をよく耳にします。
保護者の方たちは、みなさん我が子のことで必死です。
必死だからこそ、専門家に助言を求め、時間を割いて専門機関に通います。
しかし、その助言や方法通りにやっているのに、うまくいかない、状況が変わらない・・・。

私が知る限り、相談されている専門家の方たちは、豊富な知識と経験を持っています。
では、なぜ助言されたとおりに行っても、うまくいかないのでしょうか?

まず考えられるのは、「本人の実態が掴みづらい」という理由です。
自閉症の特性として、状況や環境によって見せる姿が異なる、ということがあります。
家で困っている行動も、専門機関に行くと行動として現れないということはよくあります。
自閉症の人たちは、状況や環境の影響を大きく受けますので、場所が変わってしまえば、行動も変わる場合があります。
ですから、目の前に子どもがいたとしても、保護者の方の話でしか行動を知ることができません。
自閉症の人たちの行動は、実際に行っている場面を見なければ、どんなに優秀な専門家であったとしても、正確に本人のことを知ることはできません。
影響を与えている状況や環境を見ないで、また本人の実際の様子を見ないで、専門家は助言をしなければならない、ということが理由として考えられます。

2つ目に考えられることは、「本人の変化が考慮されていない」という理由です。
助言は、あくまで助言を求められた時点での助言です。
本人の様子は日々変わります。
気分が良い日もあれば、悪い日もある。
昨日、できていなかったことが、今日できるようになる。
ある保護者の方は、何年もの間、専門家から言われたとおりのことを行っていた、ということがありました。
相談できる専門機関は限られており、相談と相談の期間が開いてしまうことはよくあることです。
支援は本人の様子に合わせて、柔軟に変化させていく必要があります。
ですから、相談した時点から時間が経ってしまうと、実態に合わない支援になっている場合もあります。

3つ目は、 「行動の背景には要因が複数関係している」という理由です。
例えば、人に対して手が出てしまうことを相談した場合。
手が出てしまった理由は、単に「嫌だったから」という感情的な理由だけではないと考えられます。
その背景には、拒否をうまく伝えられないといったこと、感情をうまくコントロールできなかったこと、衝動的な特性を持っていたり、過去の学習からやってしまったということがあるかもしれません。
行動のきっかけは1つかもしれませんが、行動に至る要因は複数あると考えることが一般的です。
ですから、決められた時間内に、その複数の要因を確認し、それぞれの要因に対し助言することは、現実的には難しいと言えます。

専門家を信じ、我が子のことを相談する。
でも、それでも変化がないことにショックを受けたり、「どうせ変わらない」と諦めたりする。
このような保護者の方たちは少なくないのでは、と感じました。
本人の真の姿は、実際の場面で、ゆっくり時間を掛けて確認していかなければ、見ることはできません。
本人に合った支援を行うには、本人の状態や成長に合わせて、柔軟に変化させていく必要があります。
決して専門家に力がないわけでも、子どもがダメなわけでも、自分自身の能力がないわけでもないということを、みなさんに知っていただきたいと思っています。

2013年12月12日木曜日

交際が発展していかない理由!?

保護者の方たちの集まりに参加させて頂くと、「やっぱり男と女は、脳のタイプが違うな~」と感じることがあります。

女性の方たちは、「こんな大変なことがあった」「うんうん、うちも前にあった」「そうなのよね~」などと、共感を求めている様子が伺えます。
一方、男性の方たちは、「こんなときは、こうした方が良い」「これをやったらダメだった」「今後どうしていきますかね?」など、常に結論を出そうとする様子が伺えます。
女性は、男性の何かと結論を求める話を聞きながら、「もっとゆっくり話を聞いて」「結論よりも、ただ聞いて欲しいんだから」と、
男性は、女性の結論のない、あっちこっちに飛ぶ話を聞きながら、「何が言いたいんだかわからない」「そんな話じゃ状況は変わらないだろう」なんてお互いに感じているかもしれません(笑)

自閉症の人たちの脳は、男女ともに「男性の脳のタイプ」に似ていることがわかっています。
私はこの「男性の脳のタイプ」に似ていることが、自閉症の人たちがなかなか男女交際に発展していかない要因になっているのではないか、と考えています。

例えば、異性とデートに出掛けたとします。
相手から「この食事おいしいね」と言われたら、男性脳のタイプの自閉症の人は「私はあなたのハンバーグを食べていないから、おいしいかどうかはわかりません」と、事実に対し真面目に答える。
また、「私のステーキの焼き加減は良いのですが、このサラダはイマイチですね。それと、イマイチと言えば、あの店員の態度・・・」などと雰囲気を壊しかねないことを言ってしまう。
この場合、相手が求めていることは、「おいしい食事が食べられる時間を一緒に過ごせて幸せ☆」という共感ですので、"あなたと一緒に食事ができて嬉しい"という気持ちを表現する方がモテると思います。

食事が終わったあと、「これからどうしよっか?」などと言われても、「選択肢は3つあると思います。1つ目は電車で帰る。2つ目はタクシーで帰る。3つ目は歩いて帰る」などと結論を導き出そうとする傾向もあります。
この場合、例え本当に帰りたかったとしても、「あなたと一緒にいることは楽しい。でも、明日も仕事があるんだ」とワンクッション入れてから断ったり、「次の休日に映画に行こうか?」など、別の提案をすることの方がモテると思います。
これはある意味、テクニックとして学ぶことなのかもしれませんが。

自閉症の人たち本人は、いたって真面目ですし、誠実に相手と向き合っています。
しかし、脳のタイプの特性のため、言葉を字義通りにとってしまったり、相手の気持ちに気が付くことが苦手だったりします。
結果として、会話が続かなかったり、相手が求めていることに応じられなかったりして、交際が発展していかないということもあります。

恋人や夫婦、家族の会話は、何か答えや結論、議論を求めているのではなく、共感することが最大の目的となっている場合がほとんどです。
会話には、相手や場面によって、共感が重視されることや結論を出すことが求められることがあるということを、自閉症の人たちに教えていくことは大切だと思います。
本来、誠実で真面目な方たちですので、異性との付き合い方もきちんと学べば、交際が発展していける機会も増えていくと思っています。

私自身も、常日頃、妻より重ね重ねご指導ご鞭撻を賜っているところです。
「全部の会話に結論はいらないの。ただ聞いてほしいんだから!」と(笑)
自閉症の方たちの支援だけでなく、家族や恋人との会話の参考にしていただければと思います♪

*過去の記事『自閉症と恋愛、結婚』もよろしければご覧ください♪

2013年12月11日水曜日

⑦私が性教育の重要さを訴える理由

私は、どんな子どもたちも、性被害者になってほしくありませんし、性加害者になってほしくもありません。
しかし、性被害、性加害にならないためだけに、性教育の重要さを訴えているわけではありません。

性について正しい知識や技能を身につけること。
これ自体は、社会の中で生きていく上で重要なスキルです。

でも、性教育を突き詰めていけば、
自分と他人の身体を大切にすること
自分と他人の気持ちを大切にすること
自分と他人の命を大切にすること
につながっていくのだと考えています。

性を楽しむ人生は難しいかもしれません。
でも、自分の性を大切にできる人生を送ることができると思っています。

性について前向きに考えられることは、生について前向きになれること。
せっかくこの世に生まれてきた命。
子どもたちには、いつまでも自分の命を好きでいてほしいじゃないですか!

⑥知的障害がある子にも同様に教えるの?

 「知的障害がある子にも同様に教えるの?」
と思われるかもしれません。

本人に性的な関心があるのかわからない。
ルールの理解が難しい。
複雑な手順がわかりづらいなど。

私自身も知的障害のある自閉症の人たちと接していて、大変悩みました。
施設で働いていたとき、私は陰部を触っている利用者の方を見かけると、注意していました。
しかし、注意しても、すぐに陰部を触り始めます。
このとき、私は気が付きました。
性は、人間の本能の部分であり、否定することではない。
教える部分は、社会性の部分であると。

知的障害を持っている方たちにルールを教えることは難しいと思います。
ですから、彼らに分かりやすいように、正しい行動に導くようにしていました。
陰部を触ったら、手を洗うことを伝える。
人前で触っていたら、自分の部屋に誘導し、望ましい場所を教える。
衣類を汚してしまったら、新しいものに着替えるように伝えるなど。
性行為自体ではなく、社会性の部分に注目するように支援していました。
私は直接支援していませんが、中にはスケジュールにマスターベーションの予定を入れて、望ましい時間を伝えていた人もいました。

本人に性的な関心があるのか、わからない場合が多いので、私は陰部を触わるなど、性的な関心が出てきたと判断できない場合に、積極的に教えることはしませんでした。
また、性的な欲求は、何をしていいのかわからない空白の時間や、活動自体が本人にとって魅力的でない場合に見られることがありますので、活動の見直しもしました。
そして、性的な欲求も、いわゆる一つのエネルギーですので、身体を動かすことなどを日課に取り入れ、発散させることも有効だと考えていました。

知的障害のある自閉症の方たちは、個人差が特に大きいと言えます。
ですから、実際に子どもにお会いしていない私が書く文章ですので、あくまで一つの考え方、参考程度に読んでいただければと思います。

⑤寝ている子は正しく丁寧に起こす

「寝ている子は起こすな」と性教育について言われます。
確かに、本人が知らなかったことを教えるのですから、教えたことでその行動をするようになるでしょう。

もしかしたら、陰部を触るようになるかもしれません。
異性の身体に興味が出て、見たいという衝動にかられるかもしれません。

しかし、これらは性に関する自然な目覚めです。
その行動自体に問題があるのではありません。
問題なのは、その社会性、ルールの未学習の部分です。
このことを混同してしまっている支援者が多くいます。

また人を傷つける行為や自分の健康を害する行為は、初めから教える必要はないと思います。
でも、繰り返しになりますが、性に関する部分は人間の本能の部分であり、成長の過程の一つ。
性衝動をうまくコントロールできるようにすることは、社会の中で生きていく上で、子どもも、大人も関係なく大切なことです。

「障害があるから教えない」「障害があるからどうせわからないだろう」
というような考え方は明らかに間違っていると思います。
障害のあるなしに関わらず、社会の中で生きていくために、心身が健康な毎日が送れるために、とても大切なことです。
障害があるからこそ、一人ひとりに合わせて、丁寧に教えていく必要があります。

性行動と社会性の部分は、分けて考えること。
社会性の部分は、小さいときから継続して教えていくこと。
障害があるからこそ、性について丁寧に教えていくこと。
私が強調したいポイントです。

④誤った性情報を目にする前に

自閉症の人たちは、一度学んだことを修正したり、物事や価値観を複数の視点で捉えることが苦手です。
ということは、初めに学んだことを身につける可能性が高いということになります。
しかし、初めに学んだ性に関する情報が"正しい"とは限りません。

学校や家庭で教わる性教育以外のほとんどの性に関する情報は、間違ったものだと言えます。
すぐに出会ってキスはしません。
手が触れたからといって、すぐにベッドに行きません。
過激なことを喜ぶ女性は現実にはいません。
セックス=愛情ではありません。
「お金をもらって性行為。みんなやっているよ」なんていう嘘の広告・・・。

マンガや雑誌、インターネットやアダルトビデオなど、性が誇張されて表現されたり、実際の気持ちとは関係なく、誇張されています。
私たちが自然に気が付くこのような点も、言葉や行動の意味をいろいろな視点に立って捉えることが苦手な自閉症の人は、本当の意味に気づかず、そのまま鵜呑みしてしまうことがあります。
自閉症の人たちは、形やパターンで学習することは得意です。
ですから、そのままモデルにし、実際の場面で望ましくない行動をしてしまうことがあります。

男の子も、女の子も、誤った知識が入る前に、正しい知識、望ましい行動を教えることが大事なことになります。

③性教育は父親を逃げさせたらダメ(笑)

自閉症の人たちの学び方は、視覚的に、具体的に学ぶことです。
形やパターンで覚えることが得意な反面、応用することが苦手です。
自閉症支援に携わっている人たちは、みなさん理解しているはずなのに、性教育になると、この基本を外れてしまう場合があります。

それぞれ絵を理解することが得意な子、写真を理解することが得意な子、具体物で理解することが得意な子がいるはずなのに、いつもイラストタッチの絵が使われます。
いくら写真、具体物での理解が得意といっても、公教育の中で取り扱うことが難しい現状がありますので、仕方がないことです。
また同様の理由から、具体的、実践的に教えるには、内容の限界があります。
いくら大切だからと言って、避妊具をつけてみる、マスターベーションをしてみる、なんていうのは無理です。
(しかし、自閉症の人たちの学び方から言ったら、この方法が一番なのですが・・・)

そうなると、やっぱりイラストを使い、知識の習得を重視する教育になってしまいます。
知識で得たことを応用することが苦手なのに、です。

では、どうすれば良いのでしょうか?
やっぱり男の子だったら父親。
女の子だったら母親が教えていくことが一番だと思います。
今の世の中を見渡すと、自閉症の人たちの学び方に合った視覚的、具体的、実践的な性教育ができるのは親しかいません。
「父親が療育に積極的でない」と言ってられません。
今まで療育に積極的だった父親は更に積極的になってもらい、今まで積極的ではなかった父親なら、「ここで協力しなければどこで協力するんだ~」「息子に教えられるのはあんただけだよ(炎)」と迫るしかありません。

とは言っても、学校の先生は教えるプロですし、学校で性教育をしっかりやってもらうことも大切です。
また、親以外にも、自分の身体や性について相談できる人を作ることは大切だと思います。
先生から指導やアドバイスをもらい、父親に協力してもらう。
それぞれ役割分担をしながら、性教育を進めていくことが一番です。

②性の話題は明るくね☆

また、大人たちの心構えとして、性について取り上げるときに、子どもたちに"マイナスな印象を与えないようにする"ことが大切だと思います。

自閉症や発達障害の人たちは、相手の気持ちを察することが苦手と言われますが、このようないつもと違う大人の雰囲気はすぐに察してしまいます。
例え言っていることが分からなかったとしても、「何だかよくないことを話している」「あまり話してはいけないことなんだ」というようなマイナスの感情を抱くことがあります。
そうなると、自分の身体や気持ちに変化があったとき、性に関する興味や関心が出てきたときに、「自分は悪いことをしている」「いけない人間なんだ」というように考えてしまう危険性があります。
これが倫理上やってはいけないことを教わったなら問題はないでしょう。
しかし、性に関する気持ちの変化、身体の変化はみんな誰でも訪れることです。
何も悪いことをしているわけではありません。

本来なら、身体の変化や性に関する目覚めは、喜ばしい成長の1ページのはずです。
身長が大きくなる、声が変わる、できなかったことができるようになる・・・。
これらと何ら変わらない成長の一つであり、子どもから大人に変わっていく大切なイベントとも言えます。

まずは性について教えていく入口のところで、子どもたちにマイナスな感情を与えないようにする必要があります。
最初に、マイナスの感情を持ってしまったばっかりに、自然に訪れる心身の変化、性に関する興味を受け入れられず、罪悪感に苛まれてしまった子どももいます。
自閉症の子どもたちは、忘れることが苦手です。
また、自ら考えを修正していくことも苦手です。
自閉症療育の基本は、準備をしっかりして、最初を大切にすることです。

私たち大人が、性についてオープンな環境で育ってきませんでした。
ですから、まずは性についてはオープンで、明るく話ができるように意識し、努力していくことが求められるのです。

①性情報をコントロールできない社会

昨晩、性教育について考えていることをブログに書いたところ、朝の時点でいつもの倍以上の方たちに見て頂いていました。
それだけ障害を持った子どもたちと性教育について関心が高いという表れなのかもしれません。
あまり表だって実践しているところもありませんし、立場上これらの内容について発言しにくい職業の方たちもいらっしゃいます。
また、私自身よくお聞きすることですが、息子がいるお母さんたちから「男性のことについてわからないし、教えられない」ということもあると思います。
そこで私が経験や学んだ範囲で、障害を持った子どもと性についての考えを述べ、みなさんが考えるきっかけにして頂きたいと考えました。


私たちが子どもだった頃に受けた性教育で何か覚えていることはありますでしょうか?
私が子どもだった頃は、ちょうどエイズの問題にスポットライトが当たっていた時期でしたので、エイズについての講演会を学校で聞いた記憶があります。
そのとき、避妊について話がありましたが、具体的な方法については話されていなかった記憶があります。
また学校の保健体育の授業でも、性についての授業もありましたが、「精子と卵子が出会って・・・」「二次性徴とは・・・」という基本的な話が主だったように記憶しています。
避妊やマスターベーションの仕方など、実践的な話はありませんでしたし、教える先生の方もいつも違う雰囲気で、年に数回という形で授業が行われていました。
どちらかというと性教育は積極的に行われていませんでしたし、社会もそれで良かったのかもしれません。

しかし、今はその社会が変わっています。
電車の中吊り広告に、性を刺激する表現。
テレビをつければ、ドラマでも、CMでも男女は抱きしめ合う。
マンガや雑誌も簡単に手に入り、インターネットを開けばすぐに性情報にアクセスできます。
一人一台の携帯電話、フィルタリングを巧みにすり抜ける出会い系もあります。

「このような社会が悪いんだ」と言っても何も変わりません。
性情報は、私たちが子どもだった頃と比べて、誰でも簡単に手が届くようになっています。
誤った性情報を完全に手の届かない場所に追いやることは不可能です。
今、子どもと接している大人たちは、子どもが男の子でも、女の子でも、障害があったとしても、なかったとしても、まずは"きちんと性について教える"という心構えが大切だと考えています。

2013年12月10日火曜日

障害を持った子どもと性教育

「高等養護の女子学生が男といなくなった」
このような話は、珍しくない話です。

人から愛されたい、触れあいたい、認められたい、安心を得たい・・・。
このような感情は、人が持つ自然な感情です。
しかし、知的障害や発達障害の人は状況を踏まえ判断することや、行動の結果や言葉の裏を想像すること、社会的な対人面に苦手さを持っていることから、誤った選択をしてしまうことがあります。

今晩、NHKハートネットで放送されたような性産業に足を踏み入れてしまう場合もあります。
知的障害があったり、学校を中退していたりして就職ができない。
家を飛び出してしまってお金がない。
このようなやむを得ない状況や環境が性産業に引っ張っていくこともあります。
また、その障害ゆえの対人面の苦手さから、相手の言葉を字義どおりに受け取り、その裏の意味を読み取れず、性産業の人間に騙され引っ張られてしまうこともあります。

いつも傷つくのは弱い立場の人たちです。
この状況は変えていかなければなりません。
出演者の方が指摘されていたように、
社会の差別や偏見を無くすこと。
自由度が低く、制限の多い福祉をもっと魅力的なものにすること。
障害者の就職について、支援はもちろん、給料の面でも改善することなどが大切だと思います。
そして、私はこの他に特別支援教育の中で、性についてきちんと取り上げ、具体的に指導することが大切だと考えています。

性教育については、未だに「寝ている子は起こすな」が主流の考えです。
しかし、寝ている子も成長とともにいずれは起きます。
その起きた時に、何も知らない、教わっていない状態だと、本能のままに行動してしまったり、誤った選択をしてしまう危険性があります。
定型発達の子どもたちと違い、自ら学ぶことは苦手ですし、言葉や文字で教わった知識を実際の場面に応用することも苦手です。
また、誤った性に関する情報も、そのまま鵜呑みにしてしまう可能性もあります。
これだけ性の情報が溢れていて、すぐに手が届く現代では、正しい情報と知識を彼らの学び方に合わせ具体的に教えていく必要があると思います。
性に関するトラブルも突き詰めていけば、対人面の苦手さからくるものです。
性に関する知識や技能はもちろんのこと、対人面についても、思春期を迎える前に、彼らが誤った知識を身につけてしまう前に、具体的に学んでいく必要があると考えています。

特別支援に関わる教員も、支援者も、保護者の方たちも、日々の生活の中で、子どもたちの性に関する学びの重要さに気が付いています。
本気で性教育について取り組まなければ、傷つく子どもたちが増えるばかりです。
もう見て見ないふりをするのはやめなければなりません。
「障害を持った子どもと性」について、大人たちが真剣に考え、一刻も早く取り組んでいかなければならないのです!

*性教育についての考え方を書いた他の文章もよろしければご覧ください♪
『①性情報をコントロールできない社会』
『②性の話題は明るくね☆』
『③性教育は父親を逃げさせたらダメ(笑)』
『④誤った性情報を目にする前に』
『⑤寝ている子は正しく丁寧に起こす』
『⑥知的障害がある子にも同様に教えるの?』
『⑦私が性教育の重要さを訴える理由』

2013年12月9日月曜日

障害を隠している人たち

この仕事を始めてから、「実は私、アスペなんです」「発達障害なんです」と話して掛けてきてくれる人とお会いするようになりました。
88人に1人の割合で、自閉症スペクトラム障害の人がいると言われていますので、特別驚くことではありませんが、自分が自閉症や発達障害であることについて周りにオープンにしていない人が多いことに驚いています。
何故、周囲に自分の障害について話していないか、という理由はそれぞれです。
就職ができなくなる、というような社会的な不利益のため。
親や家族が認めてくれない、というような事情のため。
差別や偏見といった無理解のため。
ある方は「診断を受ける利点があるとは思えない」と言っていました。

近頃、仕事の関係で視覚障害、聴覚障害の方たちと関わる機会が増えました。
視覚障害の人たちは、「全然見えないんだよ」「右目だけが見えない」「見えるには見えるけど、見える部分が狭いんだ」などと自ら言ってくれます。
聴覚障害の人たちも同様に、聞こえないことを話してくれます。
視覚、聴覚障害の人たちは、自分の障害についてオープンです。
自閉症の人たちと同じように、見た目では分からない障害なのに。

他の障害を持っている人と比べて、自閉症、発達障害の人たちが自分の障害について語らないのには、そこに不利益が生じるからだと考えています。
障害について話したとしても、障害のことを正しく理解してもらえない。
また、仕事に就きづらくなる、いじめられるなど。

視覚や聴覚に障害のある方、身体に不自由がある方などは、障害のない私たちでも障害の苦労やどのようにサポートしたら良いのか、想像しやすいということがあります。
一方、自閉症、発達障害の人たちの苦労や望まれるサポートは、想像しにくい。

自閉症、発達障害が悪いことではないのに、隠して生活をしている人が多くいます。
彼らが当たり前のように地域で暮らしていける社会にしなくてはならないと思っています。
それには自閉症、発達障害について理解の輪を広げていくことが大切です。
他の障害や障害のない人と同じように、自分のことを隠す必要がない地域、社会を目指していかなければ、と当事者の方たちとお話しするたびに思っています。
「自閉症のままで生きられる地域、社会」を。

2013年12月5日木曜日

やりとりがパターン化しないように

「一度始めたら、やり続けなくてはならなくなる」
と言うお話を保護者の方たちからよく聞きます。

例えば、"褒める"ということ。
食器洗いを手伝ってくれたときに、「ありがとう」と言ったら、それ以降、食器洗いをするたびに「ありがとう」を求め、言われないとしまいには怒り出すというお話を聞いたことがあります。

家族としては、手伝ってくれたことに対し、感謝の気持ちを伝えることは自然だと思います。
お話を聞くと、最初のころは「ありがとう」と言われることに喜ぶ様子があったそうです。
しかし、徐々に「ありがとう」を求めるようになってきた・・・。

これは食器洗いのあとの「ありがとう」が、本人の中で一つのパターン化してしまった結果ではないかと考えられます。
その場面は見ていないので想像になりますが、家族も同じようなタイミングで、同じ言葉(「ありがとう」)を繰り返したために、自閉症の人たちの好みであるパターン化に引っ張られていってしまったと思われます。

自閉症の人が全員こうなるとは言えませんが、いろいろなことがパターン化しやすい方と接するときは、こちら側の反応も考える必要があります。
上記の食器洗いのあとの「ありがとう」の場合ですと、「ありがとう」以外に「助かったよ」「お母さんは嬉しい気持ちになった」など、感謝の気持ちを伝える言葉を変えたり、言うタイミングや人を変えるとパターン化しづらくなります。
パターン化しないということは、本来の意味である感謝の気持ちを"伝える"と"受け取る"の交流を続けられるということです。

保護者の方の中には、「何かを始めるとやり続けなくてはならなくなるので、何もやらない」と言われる方ややっていたことがパターン化されてしまうと、それに付き合い切れなくなるので、途中でやめてしまうという方がいます。
こうなってしまうと、本人にとっても、家族にとっても、勿体ないことだと思いますので、「自閉症の人はパターン化を好むこと」と「反応の仕方に種類を持たせておくこと」を頭に入れておくと良いと思います。

2013年12月4日水曜日

可能性を信じ続ける仕事

私の仕事を一言でいうと、自閉症の人たちの"可能性を信じ続ける仕事"だと思っている。

「言葉は話せないだろう」
「勉強はできないだろう」
「将来も独りで自立することはできないだろう」
「就職は無理だろう」

人生を歩んでいく中で、可能性を否定され続ける本人、そして家族。

可能性を信じ続けられない支援者は、もともとその人に「可能性がなかった」と言う。

支援者は自閉症の人たちの可能性を信じ続けられる人でなければならないと思う。
可能性を信じ続けているから、できなくても別の方法を考えつくことができる。
可能性を信じ続けているから、真の本人の姿に出会うことができる。
可能性を信じ続けられる支援者が、自閉症の人たちの真のパートナーになることができる。

可能性を信じ続けた先に、新たなアイディア、新たな未来が待っている。
自閉症の人たちに可能性がないのではない。
できないのは、本人に合っていない支援を行っていたから。
できないのは、本人の可能性を信じ続けられない支援者だから。

『てらっこ塾』は、可能性を否定され続けた自閉症の人たちにこそ利用してほしい。
私はあきらめない。
私は可能性を信じ続ける。
小さいときから、ずっと我が子の可能性を信じ続ける家族のように。

2013年12月3日火曜日

発達障害の人たちが精神科を避ける理由

「精神科の薬を飲んでいると就職できないから、精神科にかかることを避けている」
というような発達障害の当事者の方やご家族の話をよく聞きます。
私はこのような話を聞くたびに、「精神科の服用と仕事のスキルとは関連がない」と思いますし、必要な薬を飲むことができない当事者や家族のことを考えると、いたたまれない気持ちになってしまいます。
精神科の薬を飲むことは悪いことでない。
精神科の薬を飲まないといけない状況になったのは、本人のせいではない。

そもそも生まれつきの脳の違いがありますので、気分の浮き沈みがあったり、疲れやすかったり、ストレスを感じやすかったりします。
ですから、これらの症状を緩和するために、精神科の薬を飲むことがあるのです。
これは本人がどうのこうのという問題ではなく、脳の違いですので仕方がないことだと思います。

また発達障害の人たちは、見た目は定型発達の人と何ら変わりはありませんので、理解されないことが多々あります。
周囲の無理解によって、傷ついたり、ストレスを感じ続けたりすることで精神科の薬が必要になる。
この場合は明らかに周囲の方に問題があります。

企業の方が精神科の薬の副作用を心配する気持ちはわかります。
しかし、副作用の症状は事前に把握し対処しておくことはできますし、仕事に支障が出るくらいの薬を飲んでいる場合は本人の気持ちが就職に意識が向いていないと思います。

発達障害の人で夜が眠れなくて、睡眠薬を服用している人はたくさんいます。
夜眠れないために飲む睡眠薬はいけないことなのでしょうか?
仕事ができないなら、それは障害のあるなしに関わらず働くことはできません。
しかし、働く前に"精神科を飲んでいる"ために、入口に立つこともできない状況はおかしいと思います。
このような社会が、直接的ではないかもしれませんが、発達障害の人たちが精神科の薬に頼ることを遠ざけ、結果的に自分自身で苦しみ、さらに就職できないといった負のスパイラルを生み出していることを私たちは知る必要があると考えています。

2013年12月2日月曜日

発達障害の人と支援者をセットで雇う

精神科の薬を飲んでいることや経歴に空白の期間があることは、発達障害の人たちの就職をさらに難しいものにしている。
また就職できたとしても、十分な仕事や賃金を与えられなかったり、職場の人たちの無理解だったりが発達障害の人たちを離職へと導くことがある。
働く意欲や能力は十分持っているのに、働くことや働き続けることが難しい現状。
このような現状が、発達障害の人たちの自立を妨げている。

ひきこもりの人たちの中には、発達障害の人たちも多くいる。
彼らに仕事があれば、ひきこもりの状態から脱することができ、企業や地域の力として、また納税者として活躍できるのではないかと思うことが多い。

「定型発達の人でも働く場所がないのだから、発達障害の人が働くことはもっと難しい」という話をよく聞く。
ここには偏見がある。
「発達障害の人たちは、定型発達の人たちよりも仕事ができない、劣る」

確かに定型発達の人と比べると、苦手なところは多くある。
しかし、それと同じくらい定型発達の人よりも優れているところも多くある。
発達障害というだけで、仕事ができないという偏見はなくしていかなければならない。

では、どうやってその偏見をなくしていくのか?
一番早い方法は、実際に働くところを見てもらうということだろう。
彼らの大変正確で、真面目な働きぶりを見れば、企業のためになる人材だということがわかる。
企業の人たちに、発達障害について説明をし、即理解というのは無理がある。

ある親御さんが言っていたアイディア。
「発達障害の人たちを雇うとき、支援者も一緒に雇う」というシステムを作る。
確かに、これが実現できたら、発達障害の人たちは安心して働くことができる。
企業の人は、自分の仕事以外に、発達障害の人たちのフォローをしなくて良くなる。
そうなれば、発達障害の人たちの就労のハードルは下がるだろう。

地域に働く意欲と能力を持った発達障害の人たちが多くいる。
この人たちの力を地域のために活かせるようにするために、『てらっこ塾』に何ができるだろうか。
私に経営学の知識があるなら、発達障害の人専門の派遣会社を作るのだが。
働きたい発達障害の人の面接、研修、就職後のフォローをひとまとめにしたサービスでも作るとするかな。