2013年12月17日火曜日

修行僧のような子育て

支援者の発言が保護者の方たちを苦しめていることはないだろうか、と思うことがあります。

「自閉症の人たちは視覚的な手だてが必要」
「否定的な声がけではなく、肯定的な声がけをすることが大切」
「問題行動は、素早く対応する」
「良いところに目を向ける」

でも、保護者のみなさん全員が、パソコンを使うこと、工作すること、絵を描くこと、手だてのアイディアを創造することが得意なわけではありません。
保護者の方だって、疲れているときもあれば、余裕がないときもあります。
だから、いつだって肯定的な声がけができるわけではなく、時には感情的に否定的な声がけをしてしまうことがあっても当然です。
問題行動が素早く対応できるのなら、最初から困ってませんし、相談なんかしません。
良いところに目を向けようと頭では分かっていても、できないことがついつい目に入ってしまう。
それは親だったら自然なことですよね。
だって、子どもに対する期待や希望があるからこそ、「できないことができるようになってほしい」と願うのですから。

支援者は、保護者の方から助言を求められたとき、その保護者の方個人と向き合い、毎日の生活を想像しながら助言することが大切だと考えています。
保護者は自閉症の専門家ではないので、自閉症の子どもの支援だけできるわけではありません。
家事もしなければなりませんし、兄弟がいれば兄弟の世話もしなければなりません。
保護者の方だって、友達付き合いもありますし、気分転換のできる自分の時間、ゴロゴロして休む時間も必要です。
そんな当たり前の生活を想像できない支援者になってはいけないと思っています。

支援者の中には、自分と同じ目線で助言をしてしまう人もいます。
自分たちと同じように支援をすることを求めたり、子どもにマイナスなことが起きると保護者の支援力不足を理由に挙げたりする人もいます。
お金をもらって支援をしている者と、保護者の方たちは根本的に状況が違います。
また、支援者は他人だからこそ、子どもを客観的に見れるのであって、我が子に対してだったら主観が入るのは当然です。

ある勉強会で隣に座っていたお母さんがボソッと言った独り言が、とても印象に残っています。
「私が修行僧のようにならなくてはいけないのね」
私はこの一言を聞いたとき、ドキッとしました。
定型発達の子どもを持つ保護者の方からは聞かれない言葉だと思いました。
本来、子育ては辛いこと、大変なこともありますが、楽しいことや喜びも同じように存在するものだと思います。
それが修行僧のように、いろいろな欲から離れ、動じない心を持たなければと、保護者の方に思わせてしまっている。
こんな悲しいことはありません。

私は定型発達の子どもと同じように、自閉症や発達障害の子どもを持つ保護者の方たちにも、子育ての楽しみや喜びの部分も感じてほしいと思っています。
親にとっての一番の喜びは、子どもの成長だと思います。
ですから私は、療育を通して子どもの成長を感じてもらい、保護者の方が参加できる楽しい療育を行っていきたいと考えています。
そして何よりも、自閉症のお子さんの親ではなく、一人の人として、保護者の方の毎日の生活も大切にできる支援者になりたいと考えています。
保護者の方を疲れさせる存在ではなく、楽にさせてあげられる存在に。

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