「明日、ママがいない」が注目されている今

「明日、ママがいない」のドラマが、児童養護施設の子どもたちや職員たちへの偏見や誤解を招くとして、関係する団体や機関などから放送中止や内容改善が求められているといいます。
私もドラマを観ましたが、過剰な表現が多く、偏見や誤解を持ってしまう視聴者もいるのではないか、と感じました。
でも、このドラマが放送されることにより、児童養護施設について興味を持った人がいるかもしれない。
中には、初めて児童養護施設の存在に気が付いた人がいるかもしれない。
また、ドラマとはいえ子どもたちの姿に、心を動かされた人がいるかもしれない、と私は想像しました。

偏見や誤解は、様々な"世界"にも存在しています。
私が関わっている障害を持った人たちの"世界"もそうです。
少し変な動きをしたり、場の空気にそぐわないことをすると、「自閉」や「アスペ」などと言う人がいます。
周囲の偏見や誤解に傷つく障害を持った人もいますし、障害に対する誤った認識を持っている人もいます。
しかし、それでも私は知らないよりは少しでも、誤ったとしても、知ってもらっているだけマシだと思っています。

このように感じるのは、私が見えない障害を持っている発達障害の人たちと関わっているからかもしれません。
彼らは周囲から気づかれないことにより、普通を求められたり、「怠けている」「馬鹿にしている」など、誤ったメッセージを相手が受け取ってしまうことがあります。
それにより、彼らは傷つき、普通になれない自分を責めたりすることもあります。
ですから知らないよりは周囲が「もしかしたら」と思ってくれるだけで、少しは傷つくことが減るかもしれないと思っています。

ドラマやマンガ、またテレビでの発言や一部の事件などで、発達障害を持った人たちのことが誇張されたり、誤った認識で表現されたりすることがあります。
でも、そんなときは、良くも悪くも一般的な人たちが注目している状態だと言えます。
ですから、表現の訂正を求めるだけではなく、注目を集めている間に「実際はこうです!」という正しいメッセージを発信していくことが、関わっている人間の役割であるように感じています。

今回の「明日、ママがいない」というドラマが話題になったことにより、新聞やメディアなどで、児童養護施設について取り上げられることが多くなりました。
そのことにより、私のように児童養護施設について調べたり、考えたりした人は少なくないと思います。
望ましい形で啓発できることが一番ですが、このような場合でも批判するだけではなく、正しい情報を発信し続けることが大切ではないか、と私は考えました。
多くの人たちに存在を気付いてもらわない限り、悪い方向へと向かうことはないかもしれませんが、良い方向へと向かうこともなくなってしまうのです。

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