2014年3月23日日曜日

特別支援学校に通う子ども達に"進学"の機会を!

どうして特別支援学校に通う子ども達は、18歳で卒業し、社会へと出ていかなければならないのだろう


同世代の子ども達の多くは、大学や専門学校へと進学し

専門的な知識や技能を学び

アルバイトをして働くことを学び

一人暮らしを始め、自立を学ぶ

同世代の子ども達は、高校を卒業したあと、ゆっくり社会へ出ていくための準備を行っている

それだったら、特別支援学校に通う子ども達だって、このような期間が必要ではないだろうか


現在の特別支援学校に専門学校のような機能を持たせても良い

高等部を卒業した子ども達の中で、希望者は数年間、延長して教育が受けられるようにしても良い

新たに特別支援学校の専門学校を作っても良い

現在ある専門学校に、特別なニーズがある子ども達も通えるようにしても良い


十分な準備が整っていないまま、高等部を卒業し、社会へ出されていく子ども達を見るたびに思う

特別支援学校に通う子ども達に"進学"の機会を!

2014年3月16日日曜日

禁止事項を伝えるにはどうしたら良い?

"禁止事項"をもう少し掘り下げてみると、それは「〇〇しない」という"約束"だといえます。
「〇〇しない」というのは、ただの文字でしかありません。
この文字に効力を持たせるには、マイナスの要因をくっつける必要があります。

ここで、ある知的障害を持つ自閉症のお子さんがいる保護者の方の実践例を紹介します。
このお子さんは、トイレに靴下などをよく流していました。
そこでお母さんは、お子さんに対し「トイレにトイレットペーパー以外は流しません」という約束を伝えました。
禁止事項を伝えたあとも、やっぱりトイレに物を流してしまう。
そのとき、お母さんは「あなたが約束を破るなら、私も約束を破る」と言って、買ってあげる予定だったおもちゃを買うことを止めました。
これ以降、トイレに物を流す行動が無くなりました。

この実践例のポイントを解説します。
まずは「トイレにトイレットペーパー以外は流しません」というただの文字に効力を持たせたことです。
この約束事を破ると、マイナスなことが起きる(おもちゃが買ってもらえなくなった)ということを経験したため、「約束事を破る=よくないこと」ということを本人にとって分かりやすい具体的な手段で伝えた点にあります。

そして、"罰"を与えたのではなく、"契約破棄"という状況にしたことも重要なポイントです。
ここで、トイレに靴下を流したときに、夕食を抜きにしたり、本人が大切にしているおもちゃを取り上げたりしたら、これはただの"罰"を与えているだけです。
本人にとっては、ただショックなだけで、意味がわかりません。
それは、何もしなくても通常なら得られるものが取り上げられてしまうからです。
ですから、「おもちゃを買ってあげる」という特別な契約を破棄する方法をとっています。
罰を与え続けることは、一般的な感覚を持つ支援者なら辛くなり行うことができません。
また、罰を与え続けることは、罰がないと動けない人間を作ることになりますし、徐々に慣れてくるので、罰のレベルを上げていく必要が出てきます。

この実践例は、あくまでこのお子さんに対しうまくいっただけで、他のお子さんに当てはまるとは言えません。
大前提の考え方は、『禁止事項への対応の仕方』に書いたものになります。
どうしても禁止事項を伝えたい、わかってもらいたい場合には、文字にマイナスなことをくっつけて、「ルールを守れないことは、良くないこと」と、本人に分かりやすい、具体的な手段で伝える方法もあると思います。
いわゆる「ダメなものは、ダメ!」ということを自閉症の子どもに伝える方法。
本人に「やんない方がいいな」と思ってもらう方法の紹介でした。

ちなみに、実践例のお母さんは、最初はお子さんが泣いて大変だったそうですが、そこで揺るがず、約束していたおもちゃは買いませんでした(10年くらい経ちましたが、そのときに約束した特定のおもちゃは今だに買っていません)。

禁止事項への対応の仕方

自閉症の人たちは、一般的な善悪で物事を判断するよりも、自分の内から湧き出る自然な欲求に従って行動しているように見えることがあります。
特に知的障害を持っている方や子どもの場合です。

例え、友だちを叩いてしまうようなことがあっても、良いことをしている、悪いことをしている、というような視点からではなく、「叩きたい」という内的な欲求から行動している場合があります。
そして多くの場合、友だちを叩くことで得られること(ex.友だちが振り向いてくれる、先生の注目を集められる)が本人の欲求を満たしてくれることになります。

本人は「悪いことをしても、自分の欲求を満たしてやろう」と考えているのではなく、ただ自分の欲求を満たす方法が、一般通念上、「悪いことであった」ということにすぎません。
ですから、自分の欲求を満たせるなら他の方法でも構いません。

支援者は、本人の内的な欲求を分析し、「叩くよりも、こんな方法でも欲求を満たすことができるよ」と適切な方法へと導くことが大切です。
ポイントは、ここでいう「叩く」行動よりも、容易に、素早く、本人の要求を満たせる手段を提示することです。

『禁止事項を伝えるにはどうしたら良い?』に続きます。

2014年3月15日土曜日

禁止事項が増え続ける"負のスパイラル"

 こういった自閉症の人の視点を理解していないと、負のスパイラルに陥ってしまうことがあります。

「友だちを叩かなくなったけれど、今度はキックするようになった。だから、『友だちをキックしません』という禁止事項も加えよう」
などといって、キックに関する禁止事項を加える。
そうしているうちに、今度はチョップするようになり、チョップを禁止したら、噛みつくようになる・・・。
気が付いたら、禁止事項が教室中に貼ってあるような状態に。

また、「一部の友だちを叩かなくなったけれど、まだ叩いてしまう子がいる。だから、叩いてはいけない人の写真を撮って、禁止事項の下に貼っておけばいいんだ」
などといって、クラスメイトの写真を撮り、先生の写真を撮り、どんどん貼っていく。
クラスが替わったり、新たに叩く人がいたら、その写真を加えていく・・・。

時々、禁止すること自体が目的になってしまっていると感じる支援を目にすることがあります。
上記のような負のスパイラルに陥ってしまうと、永遠に問題は解決しないでしょう。
すべての禁止事項を書き表すことはできないからです。
また、支援される立場から見て、禁止事項だらけの支援、世界をどのように感じるでしょうか。
私だったら、そんな人に支援してもらいたくありませんし、そんな禁止事項ばかりの世界では疲れ果て、逃げ出したくなります。
目的は禁止事項をやらなくすることではなく、望ましい行動を身につけることのはずです。

「自閉症の人には、文字に書いて見せれば良い」
というような表面的な理解だけで支援を行っている人は少なくありません。
上記のような場合ですと、文字に書いて禁止するのではなく、叩いてしまう行為の背景を分析すること。
そして、禁止事項ではなく、望ましい行動(ex.上手な友だちとの関わり方、意思の伝え方)を教えること。
この2つの視点が、自閉症の方たちへの支援の基本になると、私は考えています。

『禁止事項への対応の仕方』に続きます。

禁止事項が伝わらない理由

禁止事項を視覚的に伝える方法は、人によっては誤ったメッセージを受け取りかねません。

例えば、「友だちを叩きません」という禁止事項を紙に書いて、掲示したとします。
この禁止事項を見て、「友だちを叩いてはいけないんだ。今度からしないようにしよう」と思う人もいるかもしれません。
しかし、人によっては「友だちを叩いてはいけないんだ。だったら、キックしても良いんだ」というように受け取る人もいます。
支援者としたら、暴力行為全般を禁止しているつもりかもしれませんが、本人から見たら「だって、キックは禁止事項になってないもん」と思っているでしょう。

この他の誤ったメッセージの受け取り方として考えられることは、
友だちを叩いてはいけないなら、"先生"や"友だちとは思っていないクラスメイト"なら良い。
この禁止事項が掲示してある場所では叩いてはいけないけれど、"他の教室"や"家"、"外出先"なら良い
などが考えられます。

自閉症の人たちは字義通りに意味を受け取る傾向があります。
ですから、私たちが「友だちを叩きません」という文字を見たとき、「人に対する暴力行為を禁止しているんだな」というように、文字に表されていない禁止事項を書いた人の"意図"や"社会通念"などを想像する一方で、自閉症の人たちはそのことに注目できず、文字通りの意味で受け取ることが多々あるのです。
そしてこのような場合に、定型発達の人たちは「禁止事項が伝わっていない」と判断してしまうのです。

『禁止事項が増え続ける"負のスパイラル"』へと続きます。

2014年3月14日金曜日

この支援方法を想像して、モヤモヤした方のみお読みください

「言ってはいけない言葉を言わなかったので、ご褒美をあげる」
この支援方法を想像してみて、気持ちがモヤモヤした方のみ読み進めてください↓

自閉症支援は
「褒めて伸ばす」
「失敗経験をさせない」
「成功体験の積み重ねていくことが大切」
などの言葉が独り歩きしている気がしています。
もちろん、言っていることは正しいですし、私も自閉症支援の基本的な考えとして頭に入れ、実践しています。
しかし、どうも深い意味も分からないで、「とにかく褒めて、失敗経験をさせない」というような頭で支援を実践している人が少なくないように思えます。
冒頭に書いた例がその典型です。
私は褒めるポイントがずれているように感じます。

では、なぜ冒頭の支援方法がずれているのでしょうか?
それは、本来は言うべきではない言葉を言わないという"通常の状態"に対し、ご褒美を与えることがおかしいからです。
ご褒美は、望ましい行動をしたときや頑張ったときに与えられるもの。

また、知的に障害を持つ自閉症の子どもさんの場合、何に対してご褒美が与えられているのかがわからないと思います。
100歩譲って、四六時中、言ってはいけないNGワードを言い続けているならわかります。
そうでなければ、NGワードを言っていないときも一日の中でたくさんあるのですから、それに対しても常にご褒美を与え続ける必要が出てきます。
しかし、実際にすべてのときにご褒美を与え続けることができないのですから、結局何に対してのご褒美かが、本人には伝わりづらいと思います。

最悪なのが、「これが言ってはいけない言葉です」と言って、紙などにNGワードを書いて見せる支援です。
ただでも、本人はNGワードを言いたいという欲求を持っているのに、自閉症の人たちにインパクトを与える視覚的にNGワードを見せてしまう。
そうなれば、余計に気になるし、注目を向けさせてしまう結果になるでしょう。
これは例えるなら、目の前に好物のケーキがあるのに、「ケーキは食べてはだめだよ」と言われているようなものです。

みなさん、街を歩いていて、急に「あなたはNGワードを言わなかったので、ご褒美をあげます!」と言われたら、どう感じますか?
こんなトンチンカンなことは、現実にはあり得ない話です。
例え、子どもが学校などで言ってはいけない言葉を言っているのなら、"言ってはいけない言葉"に注目させるのではなく、"言っていい言葉"に注目させるような支援をするべきです。
自閉症の人たちを望ましい行動へと導くことが、支援の基本なのですから。

いかがでしたか。
モヤモヤは晴れましたでしょうか?

2014年3月8日土曜日

登校してランニング、授業でもランニング、給食のあともランニング・・・

「就職するためには体力が必要なんですよね?」と保護者の方から尋ねられることが多いです。
特に特別支援学校に通っているお子さんのお母さんたちから。
一般的な高校や大学に通っているお子さんのお母さんたちからはほとんど聞きません。

どうもお母さんたちのお話を聞いていると、体力がないと夏場にバテてしまったり、毎日働くことができない、という情報を刷り込まれている様子があります。
確かに体力はある方が良いに決まっていますし、不健康だと仕事は続けられません。
でも、体力面ばかりに注目しすぎるのは・・・。

仕事に必要な体力は、仕事に就いてから付いてくるのでは、と思っています。
就職した初めの頃は、朝の早起きも、営業の外回りもとにかく辛い。
でも、時間が経って慣れてくればどうってことはなくなる、という経験はないでしょうか?
仕事を続けている中で、"その仕事の身体になる"というようなこと。

やっぱり仕事が続けられるかどうかは、仕事自体が好きかどうか、ということだと思います。
特に自閉症の人たちは、仕事をする"意義"のような抽象的なことに対する理解は苦手です。
だから、苦手な仕事や好きではない仕事は、素直にやりたくないと感じるので続きません。
また、今やっている仕事がどんな意味や価値があるのか、が分かりにくい仕事も続けていくことは難しいと言えます。
給料という具体的なものが最大の動機づけという方もいますが、やっぱり続けるには「仕事自体が好き」という点が重要であり、本人にとっても分かりやすい動機づけになると思います。

就活中の学生に、「就職するために体力をつけるような運動をしていますか?」と尋ねても、ほとんどの学生はそんなことに注目すらしていないと思います。
それだったら、特別支援学校に通っている学生たちも一緒ではないでしょうか?
定型発達の学生たちと同じように、就職に必要なことは、その仕事に必要な技能や知識を身につけることだと思います。

厳しい言い方かもしれませんが、体力がいくらあっても、働くために必要な技能と知識がない人は、どこも雇ってはくれません。
昔の養護学校のような「とにかく校庭を走る」というような教育から脱却しなければならないと考えています。
あくまで体力作りは健康的な生活を送るために必要なことであり、就職できるかどうかとは分けて考えるべきだ、と私は思っています。

例え体力がなかったとしても、好きな仕事に就くことができれば、仕事も続くだろうし、その仕事に合った身体にもなってくると思います。
ですから、私たち支援者は子どもたち一人ひとりに合った仕事を見つけることが重要になってくるのです。

2014年3月5日水曜日

生物学的な生きづらさ、社会的な生きづらさ

ある人が「医学の進歩により、将来的には自閉症が治るかもしれない」と言った。
私はそれを聞いて、「そんな世界は面白くないな」と思った。

自閉症の人たちが持つ感覚の過敏性や衝動性などは、新薬や治療法の確立により無くなるなら、それに越したことはない。
でも、自閉症の人たちの注意の向け方や考え方などは、無くなってほしくないと思う。

世の中に定型発達の脳の使い方をする人しかいなかったら、それこそつまらない世の中になる。
一つのことに情熱を傾けたり、決められたルールや順序をきちんと守ろうとする姿勢。
同じものを見ても、別の角度から物事を捉えるユニークな視点。

私は自閉症の人たちと接する中で、彼らの姿勢から教わることは多いと思っている。
また、彼らのユニークな視点が新たな発見と発想につながり、世の中をワクワクさせてくれていると感じている。

生きづらさを感じている自閉症の人たちから、私はお叱りを受けるかもしれない。
しかし、生きづらさには"自閉症"からくる部分と、"社会"からくる部分があると思う。
「生物学的な生きづらさ」は、できるだけ早く医学の進歩により良くなって欲しいと思う。
「社会的な生きづらさ」は、自閉症の人たちの視点を生かせる社会にしていければ良いと思う。

私が生きているうちには、自閉症を根本から治療する方法は確立されないだろう。
だから私は「社会的な生きづらさ」を改善することが役割だと思っている。