泥だらけの靴

4月から保育園に通い始めた息子。
毎日、「よくこんなに汚してこれるね」というぐらい服や靴を泥だらけにして帰ってきます。
泥だらけの衣類の洗濯は大変ですが、五感を使っていろいろな感覚を養っている貴重な時間だと思っています。

「そっと持って」とか、「ザラザラしているね」とか、具体的に表現出来ない言葉。
このような言葉を理解したり、想像できたりするには、やはり五感を通して経験することが大切だと言われています。
タンポポの綿毛が飛ばないように"そっと"持ったという経験。
タンポポの茎を触ったときの"ザラザラ"という触り心地。
将来、傷ついた友だちがいたとき、「そっとしてあげてね」と言われたら、子どものときに経験した"タンポポの綿毛"と結びつき、感覚として理解することができる。
子どものときの五感を使った経験は、感情や表現の幅を広げることにつながっていきます。

自閉症の人たちは、定型発達の人たちとは異なる"感覚の違い"を持っています。
同じようにタンポポを持ったとしても、茎のザラザラしている触覚の刺激を過度に受け取ってしまったり、反対に指の感覚がまったく無かったり。
これでは持っていることに注目がいっていない場合があり、そのため記憶に残っていないこともあります。

また何事も見たままで具体的に捉える傾向がありますので、"そっと"持とうが、"強く"持とうが、持っていることには変わりないので、「持っている」という認識しかない場合もあります。
1対1対応で捉える傾向もありますので、タンポポを持っているときに「そっと持ってね」と言われると、「そっと持つ」=「タンポポを持つこと」というように結びつけることもあります。
こうなると、傷ついた友だちがいたときの「そっとしてあげてね」の意味がちんぷんかんぷんになってしまいます。

定型発達の子ども達ですと様々な経験を通して"感覚"を学んでいきますが、自閉症の子ども達は、同じような経験をしたとしても、感覚の幅を広げることがうまくできないこともあります。
こうなると、結果的に感情や表現の幅が狭かったり、それらの違いを理解することが苦手だったりすることにつながっていきます。
自閉症の人たちは幼少期から様々な"違い"がありますので、ただ「刺激を与えて経験させればよい」というのではなく、きちんと計画を立てて感覚を豊かにし、伸ばしていけるような取り組みをする必要がある、と私は考えています。

【函館公園の桜】
すまいるを利用してくれる子どもと職員で行ってきました☆

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