2014年11月28日金曜日

脳を整えて、スキルを教える

てらっこ塾を始めた当初より、生きる上で必要なスキルを教えることを中心に考え、実践していました。
しかし、近頃ではスキルを教えるだけでは不十分であると考えるようになりました。

依頼があるときは、「〇〇のスキルを身に付けさせてほしい」という話なのですが、いざ目の前に行ってみると、スキルを教えられる状態でない場合が多くあります。
シンプルに表現すると、「脳が疲れている」と感じるのです。

脳が疲れているということは、身体が疲れている、または気持ちが疲れていることです。
脳と身体、心はつながっていますので。
私が尋ねると、ほぼ全員が「身体が疲れている」「気持ちが落ち込んでいる」など、身体か、気持ちの面での不調を訴えます。
このように脳が疲労状態ですと、こちらが教えようとしていることを受け入れられなかったり、教わっていることのごく一部しか本人に入っていきません。
もちろん、集中の持続も難しくなります。
反対に、脳の疲労がとれている状態ですと、こちらが教えることをスポンジが水を吸うごとくどんどん吸収していきます。
また前向きな考え方にもなっているので、興味関心が広がりやすく、「こうなりたい」というような将来に目が向きやすく、療育にもとても協力的になります。
このような経験を度々するようになりました。

「脳の疲労」を感じ、意識するようになってから、スキルを教えることの前に、脳を整えることにも取り組むようにしました。
脳の疲労をとるためには、一定のリズムのある運動が効果があります。
またストレッチや身体を意識して緩めることを通して、身体をリラックスさせることで、脳をリラックスさせることを目指します。
そして自閉症の人は、身体の変なところに緊張感があったり、身体の使い方がぎこちないことがあるので、バランス感覚を養うことをしたり、目と手の協応をするような動きを行います。
そうすることで、自閉症タイプの脳が苦手な部分を刺激していきます。

自閉症の人は、脳が情報を処理するときに多大なエネルギーを使うこと、そして情報処理の過程に苦手さがあることは研究からわかっています。
つまり定型発達の人よりも疲れやすい脳を持っているのが、自閉症の人たちだと思います。

一時期、考え方を変えるためのアプローチに重点を置いたことがありました。
しかし、なかなか効果が出ず、変化が見られるまで時間もかかりました。
あるとき、「だったら、身体の方を変えればよいのでは」と考えるようになりました。
行動することで、気持ちが変わっていくということは、自閉症支援に限らず、私たちが生きていくなかで実感することだと思います。

身体をリラックスさせ、苦手な部分を刺激することを通して脳を良い状態に整えます。
「脳を整える」と「スキルを教える」はセットであると考え、実践するようになったてらっこ塾2年目です。

2014年11月26日水曜日

「その人の中に入れる支援者」を目指しています!

自閉症支援で必要な力を挙げるとすれば、私は第一に「想像する力」を挙げます。

私はセッションしているときに、「目の前にいる人になりたい」と思うことがよくあります。
そうすれば、その人がどのようにこの世界を捉えているか、が分かり、望ましい方向へ導くことができるからです。
しかし、実際にそのようなことはできません。
私は自閉症の人とは異なるタイプの脳を持っていますので、自閉症の人の世界を覗くには想像するしかありません。
想像するためには、自閉症に関する知識や経験、そして多くの自閉症の方たちと実際に接する必要があります。

いくら研鑽や経験を重ねたとしても、目の前にいる人のことをすべて正確に想像することはできません。
ですから、支援を組み立てていくときには"仮説"と"検証"を繰り返します。
現在の本人の状況や環境、過去の学習や様子から、その言動の理由の仮説を立て、実際の支援を行います。
そして支援がうまくいけば、仮説が正しかったと判断し、そうでなければ、仮説に誤りがあったと考えます。
自閉症の人は実態と支援がピッタリあったときに、ポジティブな変化が見られます。
そのために何度も仮説を立て、検証する必要があります。

日頃から想像力を養うため、物事の理由を考えるようにしています。
この道がまっすぐではないのは、昔は川だったからではないだろうか。
北海道の家には塀がないのは、除雪を考えてのことではないだろうか。
あの人の言動の背景、いつもと違う様子には何があったのだろうか、など。
また、専門バカになっては反対に想像の幅を狭めてしまうと思いますので、自閉症支援以外のことにも興味関心を持ち、学ぶ姿勢を大切にしています。

このブログを書く理由の一つに、私の経験を共有したいと考えたからです。
私の支援方法や考え方がすべて正しいとは思っていません。
でも、みなさんの目の前にいる人の支援を考える上での1つの仮説になるのでは、と思っています。
まったく何から支援を始めたらよいか分からないと思っている方のヒントになってもらえたら嬉しいです。
そして、過去に一緒に働いていた仲間たちに、その当時、きちんと教えられなかったことを伝え、応援し続けられることを願っています。

私が目指す究極の支援者は「その人の中に入れる支援者」です。
そのためにも、想像力を養っていきたいと考えています。

2014年11月11日火曜日

"支援学校免許"の保有率は教育の質の担保になるのか?

今朝の朝日新聞に「特別支援教育 足りぬ先生」という記事が掲載されていました。
その記事によると、「昨年度の"支援学校免許"の保有率は、特別支援学校で71.5%、特別支援学級で30.5%にとどまっている(*特別支援学級は支援学校免許保有の定めはない)」とのことでした。
発達障害等の診断を受ける子どもの増加に、教育現場が追い付いていないといえます。

特別支援教育に携わる先生の"支援学校免許"保有率100%が望ましいかもしれません。
でも、免許の保有=教育の質の担保、と言われれば・・・。

地域で活動をしていると、いろいろなお話しをいろいろな立場の人から聞きます。
また実際に利用してくれる子どもの支援をしてみると、学校でどのような指導を受け、対応されているのかが手に取るようにわかります。
そこで気が付く課題は、その先生が"支援学校免許"を持っているかではなく、"柔軟な頭"を持っているかという点だと感じます。

"支援学校免許"を持っていなくても、そして通常学級の経験しかなくても、良い教育ができる先生はいます。
(もちろん、"支援学校免許"を持っている先生の中に、素晴らしい実践をされる先生はたくさんいます)
実際にその先生が担当している子どもは精神状態が安定していますし、成長していることも見て分かります。
そのような先生に共通しているのが、子どもに合わせて柔軟に教育の方法や内容を変えることができ、そして何よりも他者からの意見に耳を傾け、取り入れることができる頭の持ち主です。
反対に、子どもが学校に行きたくなくなり、全然成長が見られなくなるような場合は、先生や学校のシステムなどに"固さ"が見られるときだと感じています。

ですから、免許うんぬんの話ではなく、専門家を教育現場に入れ、きちんとそのアドバイスを教育内容、指導方法に取り入れるような"決まり"を作る方が意味のあることだと考えています。
システム作りだけでは、今のように現場の先生が「やらない」ということも起きますので、しっかりとした"決まり"が日本にも必要です!

2014年11月9日日曜日

曖昧にひきこもるのではなく、時間を決めてひきこもる

自閉症や発達障害という診断を受けている人で、不登校やひきこもり状態である人の支援に携わることもあります。
私は不登校やひこもりを専門に学んでいるわけではありませんので、やはり自閉症支援の視点からアプローチしています。

不登校やひきこもりの当事者の方と接すると、「脳が疲れやすい人たち」ではないかと感じます。
本人たちは周囲の刺激を遮断することによって心身を休めている。
それがその方の防衛手段であり、回復手段なのだと思います。

本人が必要だから不登校やひきこもり状態になっているとは言え、その状態を無制限に続けること、続けられる環境は本人にとってマイナスなことが多いと思います。
無制限ということは、時間が決まっていないということであり、このような曖昧な状態は自閉症の人が不安に感じることでもあります。
この方は不登校やひきこもりの人ではありませんが、「楽しいことをいくらでもやって良いよ」と言われると、とても不安に感じ、楽しめなくなってしまう、と言っていた人がいます。
どんなに楽しいことでも、終わりが見えない曖昧な状況は、かえって自閉症の人を不安にさせることがあるのだと思います。

「不登校やひきこもり状態である」ということは、そういった状態が必要だから行っている、と私は解釈しています。
ですから、その状態を本人から取り上げることはやってはいけませんし、ますますそういった状態に固執してしまう危険性が出てくると思います。
きちんと本人がわかる形で明確にルールを決め、脳をしっかり休めることのできる環境と時間を確保することが大事であり、そういった時間がきちんと生活の中に確保できれば、次のステップへと進んでいけるのだと考えています。

不登校やひきこもり状態が長期化している方たちの様子を見聞きすると、家族も、本人も、曖昧にひきこもっている場合が多いように感じます。
いつ刺激を受けるか分からない状態だと、常に刺激に備え、ひきこもる必要が出てくるのではないでしょうか。

"ネガティブな出来事"を"過去の経験"にする

自閉症の人たちとお話をしていると、過去の出来事を長く引きずっている人が多くいることが分かります。
背景には、時間という「抽象的な概念を捉えること」が苦手だという特性と関連があると思います。
また「記憶の違い」もありますので、強いインパクトを受けたことがらについて詳細に、生々しく記憶されるという特性とも関連があると思います。

そういった様子やお話を聞くと、フラッシュバックやPTSDなどが思い浮かびますが、私は医師や心理士ではありませんので、自閉症支援の考え方でアプローチしています。
私が行うことは、簡単に表現すると「ネガティブな出来事を"過去"の経験にする」ということです。

私たちが見ると、すでに"過去の出来事"だと思われるのですが、本人からしたら現在進行形のような捉え方をしているといったことがあります。
そんなときは、本人の中で「時間の整理ができていない状態」であると考え、「現在、過去、未来」を一緒に整理しています。
人それぞれ違うのですが、具体的に整理することが有効だと考えています。
そして、本人からしたら"現在進行形"の出来事を"過去"に位置づけられるような支援を行います。

自閉症の人たちは、「忘れることができない」という特性を持っています。
ネガティブな出来事を、特にインパクトの強い出来事ならなおさら"忘れる"という支援は、自閉症の人たちには合っていない方法だと思います。
ですから、きちんと整理して向き合えるような支援を目指しています。
いろいろな方と接して感じるのですが、"ネガティブな出来事"を"過去の経験"へと移せた瞬間から未来へと足を進めていけるのだと思います。

2014年11月6日木曜日

発達障害の人たちの中から被害者も、加害者も出さないように!

先週、書いたブログ『井出草平氏の「アスペルガー症候群の難題」(光文社新書)を読んで』のアクセス数が1,000近くになりました。
著者である井出草平氏が、このブログをツイートして頂いたことを始め、他にも著名な方たちに紹介して頂いた結果だと思います。
そして、それ以上に、この「発達障害と触法行為」という事柄に対しての社会(特に関係者の間)の関心が強いことの表れだと思います。

ある親御さんは、私に「この子を犯罪者にはしたくないんです」と言って、支援を求めてきています。
この親御さん以外にも、「このままいったら・・・」「今は年齢が低いので、済まされているけれど・・・」などと言い、切実な問題として訴えてこられる方たちがいます。

また、支援している立場の者の中でも、「学校を卒業したら犯罪を起こすんじゃないか」「施設内だから大きな問題にはならないけれど」「地域には出せない・・・」などという会話が聞かれます。
実際、一般の人なら逮捕や検挙されるようなことを起こしてしまった人も知っています。

これまでの自閉症啓発の仕方や私の住む地域の文化と歴史というのも関係し、発達障害と触法行為を結びつけることを拒絶し、反発する親御さんは多数であり、その親御さんを先導している支援者もたくさんいます。
しかし、親御さんの中には、「いま起きている問題」「将来起きるかもしれない不安」に目をそらさずに向き合い、どうにかしようと行動している方たちもいます。
また、現場の支援者たちも早急に対応しなければならない、と肌身で日々、実感している者が多数います。

私は自閉症の方たちの支援、療育を生業にしていますが、もし私自身、そして家族が被害に遭ったら、例え発達障害を持っていたとしてもその加害者のことを許すことはできません。
これが一般的な人の感覚であり、どんな人も安心した生活を送りたいと願っています。
だからこそ、せめて私が関わっている自閉症の人たちにはもちろん被害者にも、加害者にもなってほしくないと思い、支援に携わっています。

結論ありきの揚げ足取りをしているときではないというのが、私の実感でもあります。
切実な課題意識を持った親御さん、現場の支援者たちの声が、今までの啓発の流れを変える力があると思います。
そのきっかけを作って頂いた井出氏に感謝し、声の大きな人に負けないようにしなければなりません!

前回のブログの繰り返しになりますが、目の前にいる自閉症の人たちを被害者にも、加害者にもならないように導くことが支援者の使命の1つであり、その積み重ねが定型発達の人たちと自閉症の人たちが共生する真の社会を築いていく道だと考えています。
発達障害の人から『触法行為』というワードを遠ざければ遠ざける程、社会からも遠ざけてしまうように感じるのは私だけではないはずです。
発達障害と触法行為を結びつける、つけないではなく、「今後、発達障害を持った人の中から犯罪を起こしてしまう人を出さない」ということが、私たちが目を向けるべきポイントです!

相談に来ない自閉症の人たち

あるスクールカウンセラーの方とお話をして、改めて自閉症の人たちにとって"相談する"ということは難しいんだなと思いました。
学校や生活の中でトラブルがあったとしても、実際に相談に来る人はほとんどいないそうです。
私の仕事の依頼でも、本人からの相談がくる場合はほとんどなく、周囲が本人が困っていることに気が付き、連絡されてくる場合が圧倒的に多いです。

自閉症の人たちが相談にたどり着くには2つの関門を超えなければなりません。
まず1つ目の関門は、「自分が困っていることに気が付く」ということだと思います。
「明らかにあなたは困っていますよね~」というような状況でも、本人が気が付いていないことがあります。

例えば、「友人関係で困っているんじゃない?」と質問しても、「困っていないです」と言ったり、「心配なことはありません」と言ったりします。
「じゃあ、〇〇さんと口論にならずに、仲良く話ができるようになったらいいなと思うんじゃない?」と具体的に聞くと、「そうなんです!」と言ったりします。
自閉症の人たちは言葉を厳密に受け取る傾向がありますし、言葉の概念も一人ひとり違いますので、このように尋ね方にとって受け取り方に違いが出てくることがあります。
困ったことはなくても、改善したいことはある場合があります。

自分自身が困っていることに気が付くには、自分自身を客観的に見る力が求められます。
また周囲の状況を適切に読み取り、事の重大さに気が付く必要もあります。
そして"トラブル"という複雑な要素が絡み合っていて、かつ抽象的な概念を正しく理解しなければなりません。
これらのことは、自閉症の人たちが苦手とする部分と関係しているので、大部分の人がこの第1関門で止まってしまいます。
(本人たちが気が付く"困ったこと"は、目に見えてわかる失敗や具体的な心配事の場合が多いです)

第1関門を通り抜けられたとしても、再び立ちはだかる第2の関門があります。
それは「相談を実行する」ということです。
相談するには、相談相手を決めなければなりません。
そして日時を決め、自分の予定と相手の予定を調整しなければなりません。
相談したあとは、どうなるのか、また、どうするのか、といった点も考える必要があります。
実際に相談に行ったときも、自分の気持ちや困ったこと、どうなりたいか、どのように手伝ってほしいか、などを(それも限られた時間内で)伝えられるコミュニケーションスキルが求められます。
計画を立てて実行することは、自閉症の人たちの苦手とすることであり、コミュニケーションの苦手さも中核的な特性の1つです。

こうして見てみると、私たちが何気なく日常の中でしている"相談"も、自閉症の人たちにとっては自然にできるようになることではなく、相談にたどり着くまでの過程において困難さがあるのだと思います。

長い人生、誰にも相談しないで、自分だけの力で歩んでいくことは難しいといえます。
トラブルに遭遇したとき、"相談する"というスキルが必要になります。
本当は相談したあとの方がメインですので、相談までにたどり着かないことがないように、私たちは小さいときから、相談する意味と期待される結果、相談の仕方、困ったことの表現の仕方などを教え、相談できるスキルを身に付けられるように支援しています。
重大なトラブルではなくても、もしかしたら自分でも気が付いていないトラブルでも、相談したことによって「生きやすくなった!」と感じられる経験を積み重ねてもらうこともとても重要になります。