2014年12月21日日曜日

大学に入ってくる自閉症の学生たちのソーシャルスキルって誰が教えるべき?

これは単純に疑問に思うことなんだけど、「大学に入ってくる自閉症の学生たちのソーシャルスキルって誰が教えるべき?」ということ。
大学に入るぐらいの学力があるのだから、うまく適応して問題がなさそうだけど、実際は違うこともある。

まったくと言っていいほど、自閉症に関する部分は何のアプローチがされてこなかった学生が多い。
学力は問題ないから、周囲もなんとなくうまくいくだろう、変わっていくだろう、などと見がちだったんでしょ。
また高校までは"特別扱い"の特別支援が行われて、どうにか大きな問題になることもなく、大学まで進学できた場合もある。
でも、大学生活は違う。

よっぽど小さな大学でなければ、ほっとかれるのがほとんど。
問題があれば、「はい、さようなら」が現実。
いちいち手とり足とり、一般の学生なら身に付けていて当然のスキルについて教えてくれたりはしない。
だって大学は学術研究を行う教育の最高機関だから。
障害のあるなしに関わらず、大学で一緒に学ぶことは大切だけれど、特別支援"学校"ではない。

まあ、このように厳しいことを書いているけど、実際には勉強のできるソーシャルスキルが乏しい学生はたくさんいる。
こういった学生は、勉強以外の部分で躓くことがあり、留年、退学のリスクは高い。
そして何とか卒業できたとしても、"働く"または"働き続ける"ことが難しい。
"働く"というのは、大学名で測れないことの方が圧倒的に求められるからね。

優秀な若者が十分に力が発揮できないことは、大学にとっても、企業にとっても、社会にとっても大きな損失だと思う。
じゃあ、大学がソーシャルスキルの部分を担えっていうのも腑に落ちない。
だったら、誰が自閉症の部分にアプローチしていく責任があるの?
ずっと子どものときから見てきた親御さん?
それとも、将来のリスクに気づけなかった、また先送りしてきた学校の責任?
いや待てよ、やっぱりその個人の責任じゃない?

自閉症の特性を持っているけれど、診断も受けずに、進学し、就職して頑張っている人もたくさんいる。
この人たちは、自分自身で努力し、工夫している。
もちろん、圧倒的少数派なので、社会で生きていくには大変なことも多いけど。
でも、自分の人生を自分の足で進んでいることには違いない。

トラブルを起こせば、それを起こした人が責任を取るのは当たり前。
自閉症だから責任を取らなくても良いというのは、逆差別。
自閉症だから成長できない、ソーシャルスキルを身に付けられない、と考えるのは大変失礼なこと。
必要なスキルがあれば、自分で身に付けなければならないでしょ。
だって、他の誰でもなく、自分の人生だから。

大学、または企業で「必要なスキルを身に付けていないのは、親や学校が教えてくれなかったんですぅ~」と言っても通用しない。
他人のせいにしたり、依存して生きていくのはもう止めよう!
それが真の"自立"になると思うよ。
私はこんなことを考えながら、大学での支援、療育に臨んでいる日々です。
未来を作る若者たちが自分自身で成長したい、変わりたいと思ったときに、力になれる存在でいようと思って大学に行っています。

〇〇療法をゴリ推してくる支援者には要注意!

この仕事をしていると、特定の療法をやたら「良い」「成果がある」と言ってくる人と出会うんです。
支援している人がどんな療法を専門的に学ぼうとも、「〇〇療法は素晴らしい!」と宣伝しまくっても、私は構いません。
でも、よく考えて欲しいのは、支援しているのが『十人十色』の自閉症の人たち。
自閉症の特性はもちろんのこと、その特性が個人にどのような影響を与えているかは千差万別。
一人ひとりニーズが異なっているのだから、「すべての自閉症の人に〇〇療法は最適です」とは言えないはず。
「個別化が大事」と言っている一方で、特定の療法のみで支援しようとする人って"ナニ?"と思ってしまうことも多々あります。

特定の療法を強く推してくる人たちは危険性がある、と一歩引いて見るようにしています。
何故なら、すべての事象を特定の療法に辻褄が合うように解釈してしまうから。
うまくいったら「やっぱり〇〇療法はサイコー!」で、失敗したら「〇〇が悪い」と個人や環境のせいにしてしまうような人もいる。
その個人が成長したり、状態が良くなったりする要因は1つだけじゃないと思う。
人が変わるって、そんなに単純じゃない。
凝り固まった〇〇療法信者は、物事を単純化してしまうからイヤ。

そういう私もTEACCH®自閉症プログラムを熱心に学んでいたが、それは療法ではないから。
ノースカロライナでTEACCH®の実践を観てきたけれど、良いとこ取りのごちゃまぜの支援(個人的な感想)。
もちろんベースはTEACCH®の考えがあるのだけれど、その個人に良いと思ったことは何でも取り入れる。
「だって、その人がHappyになれば、それでいいじゃない!」っていう考え方。
とっても分かりやすい考えで、自閉症の人たちに合っている柔軟な考え方。

私の実践もごちゃまぜ支援。
目の前にいる人が良くなるのだったら、何でも使う。
その人が元気になって、前向きに、成長できたらOK!
そのためにも、「自閉症の人が良くなった」という話を聞けば、何でも勉強し、取り入れていきます。
この頃は漢方も勉強中。
えっ、怪しいですって。
そう感じるあなたは、頭がガチガチさんですね。
もし支援者だったとしたら、幅が狭まってしまいますよ。
漢方が合う人だっているはずです。
だって、十人十色の自閉症の人たちですから。

2014年12月6日土曜日

自閉症の人は「笑点」が好き!

日曜日の夕方、日本テレビの「笑点」を楽しみにしている方は大勢いると思います。
お年寄りから子どもまで、幅広い世代の人たちに愛されている番組です。
私も息子と一緒に観ています。

この頃、「笑点が好き」「毎週、欠かさず観ている」という自閉症の人が多いということに気が付きました。
私が関わっている、または関わっていた自閉症の人で、笑点を観ている人は9割くらいになります(てらっこ塾調べ)。
何故か、世代に関わらず、また一人ひとり余暇の過ごし方も、好みも異なっているのに、「笑点」だけは共通しています。

笑点の笑いは明確でわかりやすい
オチが想像しやすい
登場人物が変わらない
長年、変わらず放送されている
放送がつぶれることがほとんどない
会場の笑い声や拍手で、「今が笑うところ」ということがわかりやすい
言葉遊びがツボに入る
などが、理由として挙げられるかもしれません。

まあ、分析はともかく、みんなに愛されている番組だということには違いがありません。
日曜日の夕方のひと時、難しいことは忘れて「はっはっは」と笑える「笑点」が、今後も長く続いてもらうことを願っています。

道南に自閉症の人たちが働く農場を作る!

自閉症の人と農作業って相性が良いんじゃないかな、と思っています。
動物や植物など、人間以外の生きものを愛する方たちが多くいます。
そんな彼らの様子を見ていると、人間とその他の生きものの境目の捉え方が、私たちよりもフラットなように感じます。
人間とその他の生きものというような区別がなく、そのものを純粋に見ているように感じます。

農作業は"脳"作業じゃないかな、と私は考えています。
手を使い、土や植物の匂いを感じ、天気や気象によって対応を変化させる。
そして最後には収穫して、舌で味わう。
まさに人間の持つ五感を刺激する"脳"作業だといえます。
農業を従事することは、心身の健康と成長に大きなつながりがあると思います。
例えば、不安定な土の上を歩くだけでも、自閉症の人が苦手なバランス感覚等を養うことになると思います。

道南の米や野菜は、野菜本来の味がする安全でおいしいものばかりです。
しかし、どの農家さんも後継者、労働者不足に困っていて、10年後、20年後も今と変わらず、私たちが地元のおいしい米や野菜を食べられるかわからない状況です。
函館の隣の北斗市では、新規に農業に携わる人に市からお金を出しています。
そこで私が考えていることが、「自閉症の人たちが働くファームを作る」ということです。

上記に挙げたように自閉症の人は農作業と相性が良いと考えられ、心身の安定や成長に良い影響を与えると思います。
また高度なコミュニケーション力を用いる必要がない職場で、収入も得ることができます。
農家さんからしても、労働力不足を解消できるという良い点があります。
 そして地域に住む消費者としても、美味しくて新鮮な地元の米や野菜を変わらず食べ続けられることができる。
自閉症の人も、農家さんも、地域の人も、みんなにとって利点があると思います。

若者の人数自体が減っているので、ますます農業を志す若者が減ることは確実です。
今後、日本の農業を支えていくのは、自閉症の人、知的障害がある人など、今まで"働けない"というレッテルを貼られてきた人たちではないか、と思っています。
あとは農家さんとそういった人たちの間に入る人材とシステムが必要です。
近い将来、実現できるように志を共にする仲間と歩み始めています。