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1月, 2015の投稿を表示しています

1日の中で"休憩"と"リラックス"の時間を決める

日課の中に「休憩する時間」「リラックスする時間」を敢えて設定しておくことは、とても大切なことです。 私も当事者の人と一緒に日課を組み立てることを行っていますが、一番大切にしている時間がこの「休憩する時間」「リラックスする時間」です。 自閉症の人たちの持つ脳は、とても"疲れやすい"という特徴があると思います。 別の言い方をすれば、常にフル稼働なので、定型発達の脳よりも早く疲れやすいのだと思います。 自閉症の人たちの中には、1日の仕事を終え、家に帰ると、バタッと倒れて家のことがなにもできなくなってしまう方もいます。 また、興味関心があることに対して、とても強い注目と集中が向きやすい傾向がありますので、時間も関係なく、それに全エネルギーを注いでしまって疲れてしまうということもあります。 感覚の違いということが影響し、自分の"疲れ"に気が付かなかったり、先を見通して計画を立てることや優先順位をつけることの苦手さから、夜通し作業をしてしまったりすることもあります。 そして、長所でもある真面目さや律義さから「やらねばならない」という意識とつながり、止めたくても、止めた方が良いことに気が付いていても、"やってしまう"ということもあると思います。 こういった自閉症の人の持つ脳の特徴がありますので、敢えて日課の中に「休憩する時間」「リラックスする時間」を設定します。 これは安定した生活を送るためには、とても重要なことです。 自閉症の人たちは「決められたことは守りたい」という長所を持つ人が多いので、日課について支援するときは、本人の意向と特徴を踏まえ、見える形で、かつ明確なルールを加えて提示するようにしています。 一緒に日課を組み立てていきますので、「休憩する時間」「リラックスする時間」もきちんと守ってくれることが多いです。 とにかく最初は決めた日課を行ってもらい、以前に比べて楽な生活ができるという実感を持ってもらえると、徐々に自立した生活へとつながっていきます。 知識として休憩とリラックスする時間の大切さを得てもらうことはもちろんですが、併せて自分自身で実感できることが支援のポイントだと思います。 スケジュールの支援は知的障害を持つ自閉症の人たちがメインのような印象を与えますが、そうで

"発達障害"っていう言葉が嫌い

"発達"障害っていう言葉が嫌い だって 「発達できない」 「成長できない」 っていう印象を与えるから 発達"障害"っていう言葉が嫌い だって 「欠けている」 「どうにもならないよ」 っていう印象を与えるから 誰にだって 発達のデコボコはある だったら みんな発達障害 もって生まれた身体 育った環境 性格 得意 不得意 みんな違う 大事なのは 自分の特徴を知ること それは 自分を活かす方法を知ることにつながるから

傍観者にならない当事者の人たち

ここ一週間は、どこに訪問に行っても、人質事件が話題に上がります。 みなさん、とても強い憤りを感じています。 それは私も同様です。 でも、みなさんの感情がまるで自分が事件のその場にいるような、まるで自分や自分の友人、親族が関わっているような生々しい感情を見せている点に自分との違いを感じています。 ある方は人質事件について話をしているとだんだん興奮状態になり、「僕はあの人たちのことが許せないんです!」と大きな声で叫ぶことがありました(周囲にいた人は驚いていました)。 それくらい感情が揺さぶられているのだと思います。 また、ある方はそのことが気になり、感情が収まらず、勉強が手につかないという人もいました。 自閉症の人たちは、理不尽なことが許せません。 もちろん、それは定型発達の人だって同じだとは思いますが、どこかで妥協点を見つけ、自分なりに処理します。 「世の中ってそんなもんだろう」などと。 そうやって自分の感情に折り合いをつけ、別のことに意識を向けて生活しています。 上記の方のように、それによって勉強や仕事が手につかない、生活に支障が出るということまでなりません。 でも、自閉症の人たちは、妥協点を想像することが苦手ですし、第一、一度入ったルールはきちんと守ろうとする人たちです。 ですから、今回の事件のように罪のない人が捉えられ、危険な目に遭うことがどうしても許せない。 だって、「他人に危害を加えてはならない」「他人の命は奪ってはならない」というルールは、小さいときから学び、守ってきたルールですから。 また、まるで自分のことのように捉えるのは、自他の境界線が曖昧なためだと考えられます。 当然、自分と他人は違うということは理解していると思われますが、定型発達の人と比べて、その境目がぼやけているような印象を受けます。 それは、自分の身体の形や隅々についての意識が届きにくい、という特性も関係しているのかもしれません。 定型発達の人なら目で確認できない背中などを自然と意識することができたり、自分の身体ってこんなものだろうという感覚があります。 でも、自閉症の人たちはその感覚が明瞭でないため、自分と空間の境目が曖昧、そして自分と空間がつながっているような感覚を持つ人もいます。 つまり、自分と空間と他人がつながっている感じ。 ですから、他

理想は海外のホームドラマに出てくる家庭

大人の自閉症の人たちと"家族"について話をするとき、よく話題に挙がるのが「海外のホームドラマに出てくるような家族が理想☆」ということ。 どんなところが理想的かと言えば、「愛してるよ」「大切だよ」と言っていたり、頻繁にハグしてくれるところが特に良いそうです。 「私もあんな家庭に生まれたかった」「来世は絶対アメリカ人」と言う人もいます(笑) ある当事者の方が面白い話をしてくれたことがあります。 「私の両親は本当に仲が悪いんです。だって、「愛している」なんて言ったことを今まで一度も聞いたことがなかったのだから」 私はこの話を聞いたとき、最初に書いた"海外のホームドラマ"と通ずるものを感じました。 ちなみに、この方は「不仲なのに離婚しないで、今も夫婦生活を続けている両親のことが不思議。結婚って不思議ですね」とも言っていました。 ですから、「そうだよ。結婚は不思議なものだから、よっぽどでなければ判を押したらダメだよ」と、既婚の先輩としてアドバイスしました(笑) 日本の夫婦は、めったなことで「愛してる」なんて言いませんよね(あれっ、うちだけ!?)。 どちらかといえば、「"愛"は察しろよ」という感じ。 だけれど、これは自閉症の人にとってはわかりずらい。 だって、察するには見えない文脈から想像しなくてはならないから。 ですから、海外のホームドラマに出てくる家族のように、夫婦でも、親子でも、「愛してるよ」などとわかりやすく伝えてもらえると、自分が愛されていることがわかりやすいということだと思います。 ここからは私の経験の中から想像した物語なので、参考までに読んでくださいね。 ちょっとしたきっかけで、心がポキッと折れてしまう自閉症の方がいます。 また、なかなか新しいことに挑戦できずにいる方も。 そういった方たちと接していると、本人たちの言動から「愛情不足」というメッセージが伝わってきます。 しかし、親御さんと話をすると、愛情深く育ててきたことがよくわかります。 第一、お金を払ってまでも、我が子の成長を願っているのですから、大切に思っていないわけはありません。 でも、本人は愛情が足りないという。 こういったときに、頭の中に物語ができるのです。 『自閉症の人たちは、生まれたときから

セッションは一緒に作り上げていくイメージで

私がセッションで大切にしていることは、今から行うことはどういう意味やねらいがあるのかを本人に伝えることです。 「何でこういう勉強をするのか」 「どうしてこの方法を選択するのか」 「このセッションを行ったら、どういった効果が期待できるのか」 などをきちんと本人に伝えます。 意味やねらいがわからないままセッションを行うということは、本人を置き去りにしている感じがして、私は嫌です。 セッションはあくまで本人のために行っているのであって、支援者が一方的に行うものでもありません。 よくお医者さんとのやりとりで見られるような Dr.「あれから状態はどうですか?」 患者「あまり変わらないです」 Dr.「じゃあ、もう少し様子を見ましょうか」 みたいな患者置き去りの診察のようなセッションは最悪だと思っています。 スーパー支援者なら、いちいち説明しなくても、本人が気が付かないまま素晴らしい療育でスキルアップができるかもしれません。 でも、私はスーパー支援者ではないので、本人と一緒に療育を作り上げていくイメージでいます。 私はセッションの始めに、手の内をすべて明かします。 そして、本人の意思や意見が入りやすい状態を心がけています。 もちろん準備はしていきますが、本人の意思を尊重しながら、一緒にセッションを作り上げていくというイメージで、かつ本人と私は仲間であり、戦友でもあるという気持ちで日々臨んでいます。

教えない療育

教員を目指していた私ですが、どうも"教える"という言葉(?)行為(?)に違和感を持っています。 いつからかは忘れてしまいましたが。 「"教える"がどうもしっくりこないな~」と思ったから教員にならなかったんだと自分では分析しています(笑) 私が"教える"という言葉からイメージするのは、「一方的に知識や技能を与える行為」というものです。 でも、なんだか違うような気がするんです。 人は皆、学ぶ力を持っているのだと思います。 だって、幼い子どもだって、別に教わっていないのに自分で文字や言葉を覚えたり、遊びを生みだしたりするのですから。 私も多くの自閉症の人たちと接してきましたが、知的に障害を持っている人だって、自閉症の症状が濃い人だって、スピードは違っても、みんな学ぶ力を持っていました。 言い換えれば、学ぶ意欲を持っていない人は誰もいない! 私は教育って、その人が持っている「学びたい!」という気持ちや学ぶ力を刺激して、引き出すことではないか、と思っています。 知的障害があろうとなかろうとも。 自閉症の症状が重かろうと軽かろうとも。 子どもだろうが大人だろうが、みんなが持っているもの。 その人が持っている"学び"を無視して、一方的に"教える"というのは、どうも違うと思うんです。 だから、私はその人が資質として持っている"学び"を引き出すために教えます。 「こういった方向からも考えられるんじゃない」 「今のポイントが重要だと思うよ」 つまりその人が考えたり、身に付けたりするための枠組みを教えたり、注目すべきポイントを教えたりします。 私は金八先生は嫌いですし、「今度はこういったことを教えたらいいんじゃない」みたいな支援者同士の会話も大っ嫌い。 私が教えましたオーラぷんぷんの人は完全シャットアウトです。 「"教えたい"よりも、その子が"何を学びたがっているか"でしょ!」と言いたくて仕方がなくなる。 短期間でしたが、教員をやっていたときの学部の目標、学年の目標、個別支援の目標を決める会議は苦痛以外の何物でもなかったです。 「主役はお前たちではない」とツッコミまくっていまし

2015年は"実践部隊"として

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新年おめでとうございます! お正月お休みをいただいていたのですが、休みが終わると同時に怒涛のお仕事でした(笑) 始まったばかりの2015年も本当にありがたい気持ちでいっぱいです。 昨年の後半より、他の機関を通しての依頼が多くなりました。 どういった依頼が多いかと言いますと、簡単に言えば「実践部隊」としての依頼です。 地域に住む自閉症の人たちの人数と比べて、直接、彼らと関わる支援者の数が少ないといえます(訪問する支援者は特に)。 公的な機関は、すべてのニーズに応えていると、一人が利用できる時間と回数が限られてしまうのは仕方がないことです。 しかも、利用者が施設に来て支援を受けられる場合はいいのですが、中には施設に行くことができない人もいます。 また、家庭での様子を実際に見ることで、支援機関では見えない重要な情報を得ることができる場合もあります。 こういった背景があり、家庭に訪問し、実際の支援を行うことに対しての支援機関からの依頼が多くなりました。 家庭環境から貴重な情報を得ることができます。 環境という外部からの刺激に影響を受ける人が多くいますので。 どういった部屋の配置、様子、動線かを見ることで、その人の心地良い環境、認知の好みが見えてきます。 また、第三者の目を通して 彼らが家庭の中だけで見せる姿を確認することができます。 彼らが支援機関で表現しきれなかった部分を確認することができます。 支援機関での実践が生活場面でどのように発揮されているかを確認することができます。 そして、支援機関での実践を家庭の中でも同じように実践することで、確実にスキルを身に付けることができます。 このような依頼が増えてきたので、少しずつ地域資源の1つとして役割が与えられてきたのかな、と思う昨年の後半でした。 ですから実践部隊として得られた情報を支援機関に提供することで、その人にとってより良い支援につながるような役割ができたら、と思っています。 また今までと変わらず、1回1回の療育に全力を注いでいきたいと考えています! 地域に住む自閉症の人たちが心身ともに元気になり、前向きに成長していけるようなお手伝いをしていきたいです。 2015年もよろしくお願いします。 仕事の合間にやっとお参りすることができました☆