2015年1月15日木曜日

教えない療育

教員を目指していた私ですが、どうも"教える"という言葉(?)行為(?)に違和感を持っています。
いつからかは忘れてしまいましたが。
「"教える"がどうもしっくりこないな~」と思ったから教員にならなかったんだと自分では分析しています(笑)

私が"教える"という言葉からイメージするのは、「一方的に知識や技能を与える行為」というものです。
でも、なんだか違うような気がするんです。

人は皆、学ぶ力を持っているのだと思います。
だって、幼い子どもだって、別に教わっていないのに自分で文字や言葉を覚えたり、遊びを生みだしたりするのですから。
私も多くの自閉症の人たちと接してきましたが、知的に障害を持っている人だって、自閉症の症状が濃い人だって、スピードは違っても、みんな学ぶ力を持っていました。
言い換えれば、学ぶ意欲を持っていない人は誰もいない!

私は教育って、その人が持っている「学びたい!」という気持ちや学ぶ力を刺激して、引き出すことではないか、と思っています。
知的障害があろうとなかろうとも。
自閉症の症状が重かろうと軽かろうとも。
子どもだろうが大人だろうが、みんなが持っているもの。

その人が持っている"学び"を無視して、一方的に"教える"というのは、どうも違うと思うんです。
だから、私はその人が資質として持っている"学び"を引き出すために教えます。
「こういった方向からも考えられるんじゃない」
「今のポイントが重要だと思うよ」
つまりその人が考えたり、身に付けたりするための枠組みを教えたり、注目すべきポイントを教えたりします。

私は金八先生は嫌いですし、「今度はこういったことを教えたらいいんじゃない」みたいな支援者同士の会話も大っ嫌い。
私が教えましたオーラぷんぷんの人は完全シャットアウトです。
「"教えたい"よりも、その子が"何を学びたがっているか"でしょ!」と言いたくて仕方がなくなる。
短期間でしたが、教員をやっていたときの学部の目標、学年の目標、個別支援の目標を決める会議は苦痛以外の何物でもなかったです。
「主役はお前たちではない」とツッコミまくっていました(笑)
まあ、こんな考えだから教員は向いていないんでしょうね。

私の頭の中は、「どうやって教えようか」「何を教えようか」ではなく、「どうしたら本人の持っている学ぶ力を引き出せるか」ということばかりです。
そう考えていれば、本人が持っている学習スタイルや興味関心を活かすことに自然と意識が向いています。

下手くそは、どうも教え過ぎる傾向がある。
だから、私は極力教えないでいこうと思っています。
せめて、その人が持つ学ぶ力と意欲を邪魔しない支援者でいようと心に決めています。

2 件のコメント:

  1. この方針で行って下さい、ぜひ。私も自分が関わってきた子供たちを 「教え子」と呼ぶには違和感があります。お互いに影響しあって成長してきたといった感じのほうがしっくりきます。私は彼らの「先生」でしたが、別の意味で彼らは私の「先生」でもありました。

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    1. 白崎の母さんへ

      承知しました!
      この方針で突き進みますね♪
      この頃、『自己成長力』『自己治癒力』が私の注目するテーマになっています。
      白崎の母さんのように、お互いが成長し合う関係をたくさん築いていきたいです!

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