2015年4月7日火曜日

ブログ300号を機会に私が伝えたいこと(前半)

自閉症啓発デーに対して賛成する人もいれば、反対する人もいます。
それは自然なことであって、どんなイベントだとしても、賛成だけ、反対だけということはありません。

自閉症啓発デーに異を唱えているのは、当事者や家族、支援者の中にそれぞれいます。
ブログやツイッターなどで意見を述べている人、直接、言葉や態度で表している人、私のところにも色々な意見のメールが届きました。
しかし、自閉症啓発デーや地元のイベントに対して賛同できない人が、"自閉症について啓発すること自体"を否定しているわけではないことは、しっかり押さえておく必要があると思います。

自閉症に対する偏見や差別は減らしていかなければなりません。
誤解によって学習や就労の機会が奪われることは、当事者の人にとっても、社会にとっても損失です。
周囲の無理解によって苦しんでいる当事者がいるのなら、理解につながるような支援を行うことは当然のことですし、本人の努力だけでは難しい部分は周囲からの歩み寄りが大切です。
当事者の方たちが努力している部分に気がつくのも、理解があってのことだと思います。
「自閉症の人たちにより豊かな人生を歩んでほしい」「多数派にも、少数派にも、生きやすい社会になってほしい」という願いは、自閉症啓発デーに賛成の人も、そうでない人も、共通していると思います。

異を唱えている人たちは、自閉症啓発デーのイベントや従来の啓発に対する方向性や方法に課題があるのではないか、と言っています。
例えば、
「芸術面の作品の展示を増やすことにより、自閉症=芸術面に長けた人たちという印象を与えませんか?」
「上手な作品を出展できる人は素晴らしい人たちで、自分にはそれができないからダメな人だ、というような捉え方をしてしまっていた人もいました」
「重い知的障害を持っている子の親御さんは、迷惑がかかってはならないから行かないようにしていると言っていました」
「イベントに誘ったら、自分が自閉症と知られたくないと言っていた人がいました」
「当事者の姿がみえない。彼らが活躍する姿が一番の啓発」
「主催者側の負担が多いです」
「子ども達もたくさん参加するイベントだから、青いコンドームを配るのは止めて欲しい」
などです。

このような意見は、それこそ"少数の意見"なのかもしれませんが、今後、より良いイベントにしていくには貴重な意見だと思います。
私自身も、支援者の立場では気が付きにくかった視点を知ることができましたし、当事者の人からの意見は、自閉症の人特有の捉え方を改めて学ぶ機会になりました。
ですから、自閉症について深く知ることができたという点では、私も啓発の恩恵を受けられたのだと思います。

「多数派も、少数派も、みんなにとって生きやすい社会を実現する」という目的地が同じなら、そこまでの道順は複数あって良いと思っています。
道を外しているわけではなくて、違う道を通って目的地を目指しているのです。
先人が切り開いてくれた道を舗装し、より安心して、確実に進める道を作るという役割は大事なことであり、素晴らしい仕事だと思います。
一方で、まだあまり人が入っていないところを進んでいき、頂上へと続く新たな道を探し、開拓していく人がいても良いと思います。
もしかしたら、今まで見れなかった景色が目の前に広がるかもしれませんし、近道があるかもしれません。
「こっちの方が自分の身体に合っている」という道も見つかるかもしれません。
私は新たな道を探す選択をしたのです。

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