2015年4月10日金曜日

新年度も大学で働かせていただきます

本日より、大学での仕事が再開しました。
公立の大学ですので、民間人を入れることが大変だったと思いますが、昨年度の実績を認めていただき、こうして新年度も携われることになりました。
本当にありがたいことです。

自閉症の学生がいる講義を担当されている教授とお話しする機会がありました。
その教授は、本人の捉え方や自閉脳の特徴に関する話を熱心に、また度々驚きながら聞いてくださいました。
興味深く耳を傾けている様子もありましたし、今後の講義の内容の参考にするという前向きな反応がありましたので、きっと私が特別な配慮をし、多く介入しなくても、他の学生と一緒に学び、成長していけると感じました。

私がこの大学に関わるようになって、特に意識していることがあります。
それは自閉症の学生たちと接するとき、楽しそうな姿を見せることです。
もちろん、意識して行っている場合もありますが、私は心から自閉症の人たちと接することが好きなので、自然な私の振る舞いを見てもらうようにしています。

どうして、このように考えているかと言いますと、それは医療や福祉、教育の大学ではないからです。
ここの大学は理系の大学であり、理系の学問をするために、みなさん集まっています。
ですから、「自閉症の人を知りたい」とか、「仲良くなりたい」とか、そういった感情を持つ人はほとんどいないと考えられます。
実際に様子を見てもそういえます。

学生たちの頭の中は、講義やサークル活動、アルバイトに、恋愛に、でいっぱいだと思いますし、それが自然な大学生だと思います。
だから、このような学生のみなさんに、自閉症について説明したり、理解を促したりすることは、正直興味のないことですし、迷惑なことだと思います。

私が行うべきことは自閉症の人を"特別な存在"に仕立て上げることではありません。
とにかく、自閉症の学生たちと楽しく会話をし、接することだけ。
私がいろいろな手立てを用意したり、手とり足とり手助けをしていたら、他の学生からは自分とは関係のない遠くの存在に映ってしまうはずです。
ですから、手だても自然な形にし、他の学生から特別視されないように配慮しています。

他の学生が自分たちから自閉症の学生と関わろうとはしなくても良いのです。
ただ、そこにいることが自然に思ってくれればよいです。
もちろん、私たちが楽しそうに話をしている様子を見て、自閉症の人たちについて知りたいという学生が現れれば、万々歳ですが。

支援者が眉間にしわを寄せ、緊張した面持ちで自閉症の人たちと関わっていたら、どう思うでしょうか?
一般の人たちの方から積極的に関わりたいという感情は、決して生まれないはずです。
それよりも、支援者が自閉症の人たちと楽しそうに接している方が、周りにポジティブな効果をもたらすように感じます。

教授や職員の方からも、自閉症について相談を受けることがあります。
この方たちは、知らないと大学内での仕事に支障が出る人たちです。
でも、こういった方々に対しても、ネガティブな情報ばかりを伝えるのではなく、気持ちが明るくなり、ちょっと知ってみたいな、と興味をそそるような話と態度を示さなければなりません。
決して自閉症の学生と関わることが「面倒くさい」「嫌だな」と思われてはなりません。

大学は高度な学問を修める場所です。
それは一般の学生でも、自閉症の学生でも同じことです。
ですから、学問を行う上ではどの学生も同じ土俵ですし、決して自閉症の人を理解し、仲良くなるために来ているわけではないことをしっかり押さえておく必要があると考えています。
"合理的配慮"も一歩間違えれば、他の学生から顰蹙と特別視を生みだしてしまいます。
学問をする上では平等であり、もし足りないスキルや困ったことがあれば、その部分で支援していく。
相談やスキルアップは、定型発達の学生でも普通に行うことです。
自閉症の人の場合は、理解があり、支援できる人の方が、相談やスキルアップに適している場合があるので、その部分で手助けしている、という認識を持ちながら、今年も大学での仕事を頑張っていきたいと思います。
もちろん、笑顔で!

3 件のコメント:

  1. 娘が大学院に在学中、数名の教授と私達家族とで話す機会がありました。教授はみなさん、娘に障がいかあると知っていらしたので、いろいろと気配りをしてくださり、丁寧に対応して下さいました。でも、その「丁寧さ」「気配り」は私にとってなんとも言えない違和感があり、相手の「善意」がわかるだけに、なおさら複雑な思いが残りました。なぜこんなに重苦しい気分になるのだろうと、あとで考えてみました。たぶん、教授たちの「気配り」は障がいのない人にとっては申し分のないものであっても、私たちにとってはそうとは言えない部分があったことと、それが「善意」からなされているとわかった時、教授たちが「目に見えない障がい」に関して何も知らないのだと気づいたことが原因だろうと思いました。ですから、大久保さんが大学に支援に入られたこと、それが二年目に入ったことは、とても意義のあることだと思います。笑顔で頑張って下さい。

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    1. 白崎の母さんへ

      今日の午前中も、大学に行ってきました。
      グループワークに課題があった学生が、今日はグループの学生と一緒にコミュニケーションをとり、協働して作業を進めることができました。
      多少はセッションの効果もあったとは思いますが、それよりもグループの学生が上手にリードしてくれたことが大きかったと思います。
      グループの学生は、自閉症も、発達障害も、わかりません。
      でも、上手にリードすることができた。
      それは余計な知識や偏見ではなく、柔軟な頭があったからだと感じました。
      「コミュニケーションが苦手」ではなく、「ちょっと話すのが苦手なんだな」くらいの感覚です。

      その様子を見ていた教授が、私に理由を尋ねました。
      「その学生には、このような苦手さがあり、それは自閉症のこの特性と関連している。でも、こういったことがあったため、グループワークができたのです」
      とお話ししました。
      その教授は、「なるほど、彼を理解するのは難しいね。私には新しいチャレンジを与えてくれる学生だ」と言っていました。
      とても素直な感想だと思います。
      でも、それで良いのです。

      何故なら、教授の仕事の中核は研究であり、高度な知識を学生に与えることです。
      決して自閉症や発達障害を理解することではありません。
      ですから、私のような役割の人間がいて、自閉症の学生と教授や大学の職員、学生との橋渡しをすれば良いのです。
      それにプラスして、自分の人生を豊かにするための自分磨き(自閉症の人対応)をセッションという形で提供すれば良いのです。

      大学は、高校までとは異なり、学校というよりは社会に近いのだと思います。
      社会は自閉症を中心に回っていません。
      ですから、大学を卒業後、社会の中で自分の役割を果たせるようになるためにも、いろいろなスキルを身に付け、自分の方から社会に入っていける状態に高めていく。
      それは障害のあるなしには関わらず、すべての学生に求められていることです。
      この点だけは決して見失わないようにしながら、大学と関わっていこうと考えています!

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    2. この教授とのできごとは、「違和感」や「重苦しい気分」を通して、私に「娘と社会との橋渡し」になる自覚を促したできごとでもありました。娘には支援が必要で、私もまた支援できる人にならなければならないと言うことを身をもって知った貴重な経験でした。また、年度末も近い時期に、それぞれがお忙しい立場にあるのにもかかわらず、たった一人の学生のために時間を作り、これからのことを真剣に考えてくださった4人の教授の熱意には、私達家族は今でも深く感謝しています。

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