2015年5月14日木曜日

「ご褒美があるからお勉強頑張ろうね」って、どうなの??

ずっと前から疑問に思っていたのが、指導のあとに支援者と一緒に遊ぶことについて。
指導を頑張ったあとのご褒美として「支援者と一緒に好きな活動をする」というのは、良く見られる光景。
でも、私はなんか違うんだよな~と思ってしまうんですよ。

年齢が低かったり、知的障害を併せ持っていたりする人なら、指導自体の意味が分かりづらいから「ご褒美があるから頑張るぞ!」ってことはあると思います。
でも同時に、「じゃあ、ご褒美がなかったら指導を受けてくれなくなっちゃうの?」と思ってしまう。
指導自体を本人が楽しく思えるように工夫することが、支援者の腕の見せ所でしょ。
この努力をすっ飛ばして「ご褒美♪ご褒美♪」というのは、指導者側の努力不足に思える場面もあります。

指導することの1番の目的は、学んで成長してもらうこと。
ご褒美をもらうことではないはず。
いかにモチベーションを高め、前向きにその人が指導を受けてくれるかが、成果につながります。
本人が前向きではなく、意識が向いていない状態で、いくら指導をしても効果は上がりません。
学生時代、やる気の起きない勉強は、いくら時間をかけても身につきませんでしたよね。
途中で注意が勉強から逸れていき、ゲームをしたり、マンガを読んだり・・・。
これと同じこと。

成人している人や知的障害を持っていない人に対しても、指導のあとのご褒美をやっているのを見ると、ちょっと悲しくなります。
大きなお兄ちゃんと、いい大人が一緒にゲーム。
同じ趣味を持っている者同士が行うゲームならまだしも、相手の趣味に合わせるのは、一般的な社会の中ではみられないこと。
誤学習や誤った捉え方をして、一般的な社会の中に当てはめてしまわないかが心配。
指導後のゲームの時間を社会性のスキルアップに使い、きちんとここでも指導がなされているなら良いのですが、無条件で「ご褒美だから」と言って、その人の好きなことに答えるのはどうかな~と思っちゃいます。
しかも、指導者はその人の好きな活動のためにお金が必要になってきますし・・・。
別の人や機関が続けられないご褒美は、どうなのかな??
よっぽど裕福な家庭じゃない限り、お家では無理。

もちろん、ご褒美が強い動機づけになり、指導を前向きに頑張ってくれる人なら文句はありませんよ!
でも、特にこのような成人や知的障害を持たない人たちには、指導の意味や、学ぶことはあなた自身の生活と未来を明るくすることをきちんと伝え、理解してもらうことを優先してほしいと思います。
学ぶこと自体が動機づけになり、成長できることが楽しみになるように導いてほしいものですし、私はこれを目標にしています。
だって、「ご褒美が無いならやらない」「指導者がいないと学ばない」という価値観や自己ルールを持ってもらいたくないから。
一度築き上げた価値観や自己ルールを修正するのは、本当に大変。

学ぶ意味や将来にどのような効果があるのかをしっかり伝え、理解してもらうことが最も優先すること。
次は、学ぶこと自体が楽しくなるような工夫を指導者側が行うこと。
そして、それでもダメだったら、ご褒美の力を借りること。
最初の2つを試みてうまくいかなかった場合に、ご褒美の力を使うのは、きちんとアセスメントができている証拠です。
でも、最初の2つをすっ飛ばすのは、指導者側の怠慢でしょ。

学ぶこと、成長することは、本来なら楽しいことだとは思いませんか?
それをつまらないことにしちゃうのは、本人ではなく、周りの人間ではないでしょうか?
「自閉症だから」「知的障害を持っているから」は、言い訳にはなりませんよ。
みんな自分の中に"学ぶ力"を持っているのですから。

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