2015年6月30日火曜日

セッションの前段階も大事な支援

函館で開催される年に1回のプロ野球公式戦。
残念なことに、雨で中止になってしまいましたね。
支援に携わらせてもらっている方の中にも、年に1回の試合を楽しみにしていた人もいるので、今頃はさぞかし悲しんでいることでしょう。
まあ、私は燕党ですから、行く予定はありませんでしたが。

それにしても、近頃、北海道でも雨の日が多くなっています。
今日、仕事の合間にランニングに出掛けようと思っていたのですが、行けませんでした。
でも、午前中のセッションでは、まだ雨が降っていませんでしたので、本人と一緒にウォーキングに行くことができ、こちらの方は良かったです。

何故、ウォーキングをしているかと言いますと、ストレスや不安の解消、脳細胞の活性化、姿勢の調整のために行っています。
そして、ウォーキングで学習できるコンディショニングを整えてから、本題のセッションを行います。
ちなみに今日は、自分の課題を見つけ、何故、課題をクリアしなければならないのか、課題をクリアする方法の勉強をしました。
やっぱり有酸素運動を取り入れるのと、取り入れないのでは、学習への集中力と想像力の部分で良い効果が見られます。

昨年までは、セッション、指導の部分をメインに行っていましたが、それだけでは不十分な印象を持ち続けていました。
私のところに依頼が来る人たちが、困難な問題を持っている場合が多いからかもしれませんが。
まず何かを身に付ける前に、身に付けられる状態にすることが大事だと思いました。
それから、一人ひとりに合ったコンディショニングの調整も合わせて行うようにしています。
心身の状態が、定型発達の人以上に強く学習面に影響を与えるように感じています。
しかも、自分自身で心身の状態を整えられる手段を持っている人が少ない。
ですから、ただセッション、指導を行えばよいのではなく、こういった準備も含めて支援を行う必要があるのだと考えています。

2015年6月29日月曜日

「変化が苦手」だからって、まったく変化させなくてもいいの!?

「自閉症の人は変化が苦手」というのは、毎年同じことを行う理由にはならない。
教育内容や行事の内容を変えないことを「合理的配慮」とは呼ばず、「怠慢」と言います。

確かに見通しを持ちやすく、安心して活動が行えるというポジティブな面もあるでしょう。
でも、そこに新たな学びはありません。
物事をルーティン化しやすい傾向がある人だったら、活動に対する意識がどっか飛んでいき、パターンでただ身体を動かしているということもあるでしょう。
意識や注目を伴わない行動には、成長という変化が生まれません。

変化がない世界は、ストレスが少なく、心地良い空間なのかもしれません。
しかし、そのような空間は人口的な世界。
私たちが暮らし、生きていく世界には変化が溢れています。
そういった変化の溢れた世界の中でも、安定して生きていけるように導くことが本当の支援だと言えます。

自閉症の人たちが苦手な変化に対応できるように、変化に"変わらないもの"をプラスします。
スケジュール帳だったり、タブレットだったりというような使い慣れているサポート道具を使い、言ったことのない場所に出掛けてみる。
趣味を用いて、他人と交流する勉強をしてみる。
今まで行ってきた活動に、1つ高度な内容を入れて技能の向上を目指してみる。
変化の渦の中に、変わらず安心できるものを持っていくことで、変化に対応でき、結果として生活の幅を広げ、成長につながっていく。
変化の中に進ませないことも、変化の中に丸腰のまま行かせるのも、同じくらい問題があることです。

変化がないような配慮を見かけたら、それは本人が心身ともに安定しない状態ということでしょう。
変化を最小限にし、混乱した頭と心を静め、学びや挑戦の準備を行うことも大事な支援ですね。

2015年6月25日木曜日

「発達障害の人が増えてきた」を否定する人

「発達障害の人が増えてきた」という話を聞くと、必要以上に否定する人がいます。
そんなとき、私はいつも疑問に思います。
どうして、そんなに否定したいのかな?

「発達障害の人が増えてきた」という話は、2000年以降、毎年言われていることで、世界各地で調査研究がされ、報告されている結果です。
発達障害増加に関する論文や書籍もたくさん出ていますし、講演会でも必ずと言っていいほど、「増加」という言葉が聞かれます。

その背景には、診断精度の向上や知的障害を持っていない自閉症の人たちの存在、一般の人への認知の広がりがあるでしょう。
でも、それだけでは説明しきれない事実もあります。
環境や食品の問題が体内に蓄積され、精子、卵子に影響を与えることもあります。
また、妊娠中の環境、食品も胎児に影響を与えることもあります。
遺伝の側面もあるでしょう。
これらが複雑に絡み合います。
こういった昨今の社会の変化に伴う要因を考慮すると、近年、世界全体で発達障害の人が増えてきたという結果に感覚的にも納得できる部分があります。

発達障害の人が増えてきたという事実を否定している人が、こういった研究に基づいた事実を知っているかはわかりません。
でも、知っていても、知らなくても、論理的に否定したいのではなく、感情的に否定したいという思いが強いのだと考えられます。

否定しているのが研究者でなければ、増えようが、増えてなかろうが、どっちでも良いのでは、と個人的には思います。
大事なことは、我が子や支援している人が成長し、より充実した人生を歩んでもらうことだと思います。
世界中に自閉症の人がたくさんいても、反対にほとんどいなくても、目の前にいる人に望むことと支援する必要性は変わらないはず。

発達障害の人が増えて困るのは、ノウハウの持っていないけど、対応しなくてはならない通常学級の先生だったり、今、福祉を利用しているけれど、これ以上利用者が増えたら、自分が利用できなくなって困るなという当事者の人。
そして、ニーズは増えるけれど、予算を増やせない国や地方自治体かなと思います。

じゃあ、それ以外の人が否定する意味は・・・。
そこには「発達障害は増えていません」という言葉の裏に、聴衆に対する裏のメッセージや意図があるのだと、聞くたびに察してしまうのです。
どうも生物学的見解ではなく、発達障害が増えた要因は「親御さんの影響ではないですよ」と言いたいような・・・。
親御さんの養育力、愛情不足などが、発達障害の発生率と関連性があるというように頭の中がこんがらがっているのかな、と思う発言者も見かけることがあるので、冷静に耳を傾ける必要もありますね。
*"第4の発達障害"という考え方を提唱されている方もいらっしゃいます

2015年6月22日月曜日

「〇〇さんは、どんな人?」

と尋ねられたとき、身体的特徴を言ってしまってトラブルを起こしてしまったんだって。
その子は、別に悪気があって言ったのではありません。
「〇〇さん」という言葉から、〇〇さんの姿を思い浮かべ、頭の中で見えたまんまの様子を伝えました。
何て言ったのかを聞いたら、そりゃあ、怒られるなって感じでした。
本当にその人の特徴をそのままで表現(汗)

家族や本人にも話を聞いたら、今まで注意されたことも、身体的な特徴を言うことがマナー違反であることも教わってこなかったとのこと。
まあ、本人のことを知っている人だったら悪気がないのはわかるから、そのまま注意せずに流していたのかもしれません。
でも、社会に出れば(社会に出なくても)、失礼なことだし、改める必要があること。
いくら「知的障害があります」「自閉症で他人の気持ちを想像することが苦手です」なんて言ってもダメなものはダメ。
だから、一緒に身体的な特徴を言ってはならない理由を勉強し、合わせてマナーとして言わない方が良いこと(個人的な趣味嗜好、癖やその人の悪いことなど)、自分以外の人のことを説明する際に用いても問題が少ない事柄について勉強しました。

「(自分が怒られたのは)そういう理由があったのですね」と、理解してくれたようで良かった~。
理由が分かれば、適切な振る舞いができる方たちです。
「社会性の障害が・・・」につながる言葉は、「大目に見てね」ではなく、「きちんと教えよう」です。
この方のように、自然に気が付けない部分がそのままにされておくと、結局、最後に困るのは本人です。
トラブルを起こしたとき、「相手に理解がない」と批判するのか、「学習すべき点である」と反省するのかで、予後が変わってきます。
そういった意味では、今回のトラブルを良い機会と捉え、学ぶことにつなげた本人と家族の姿勢は望ましいものだったと思います。

「褒められても、あまり嬉しく思いません」

自分が発達障害であることを伏せながら、一般企業で働く男性のお話。
彼は、とても真面目に仕事を行っており、上司や同僚、お客さんから評判が良い。
直接、仕事ぶりを褒められることも多いんだって。
でも、いろいろな人から褒められるんだけど、当の本人は何故、褒められるのかピンと来ていないし、嬉しいといった感情がほとんど出てこないと言っていました。
「じゃあ、どんなときが嬉しいのか」と尋ねたら、正社員に昇給したとき、自分が苦手だった仕事ができたとき、時間内に仕事がすべて終わったときとのこと。

こういった話を聞くと、やっぱりなと思うことがあります。
褒めるというのは、褒める側の価値観によって判断されること。
その価値観が共有できていない場合、褒められても「?」という感じになる。
褒める内容も、人によって違うし、その行動がいつも褒められるわけではない。
褒めるということの主導権は、あくまで褒める側にあり、状況や人、価値観によって褒められるかどうかは変わってくる(同じ行為をしても「当たり前だ」という人もいるし)。
この彼のように想像することが苦手な人の場合、ピンと来ないのも仕方がないのかもしれない。

だから、私は褒めることって、あまり強力なパワーを持っていないと思っています。
私はあまり褒めないし、褒める場合も具体的に表現します。
そして、目的は褒めることでやる気を出させることではなく、他人の価値観にはこういったものがあると伝えることです。
本人はイヤイヤお手伝いをしているかもしれないが、それによって助けられる人がいる、あなたの労力のおかげで、家族が別のことに時間が使えるようになるなどです。

よく"自己肯定感"などと言われますが、そのようなものは他人から与えられるのではなく、自分の身体を通して得られないと養われないものだ、と私は考えています。
彼は、仕事で失敗することもありますが、自分自身で"成長"を感じることで、自己肯定感を高め、明日の仕事へのエネルギーを蓄えているように感じました。

2015年6月15日月曜日

社会が持つ"癒し"と"成長"の力は、想像しているよりもずっと大きい

私はよく思うことがあるんです。
自閉症の人たちを元気にし、成長させるのは支援者だけではないって。
社会が癒し、気づかせ、成長させることもたくさんある!

「失敗経験をしたら、どうしよう」
「精神疾患もあるから、無理はさせられない」
って、話も良く聞く。
でも、「あなたたちが支援していても、何年も変わってないじゃん」って思うこともある。
そんなときは、思い切って社会の中に飛び込んでみるのもアリではないか。

仕事が続かないかもしれない!?
そんなことは、やってみないと分からないんじゃない。
仕事を通じて、"人の役に立つ"という実感が、本人の生きる力になることもあると思う。
身体を動かすことで、つられて気持ちも変わってくることもあると思う。
どんな人でも、働くことに不安もある。
でも、やっているうちに身体も、心も、スキルも成長していく。

私は、「自閉症の人たちを幸せにできるのは、私たち支援者」と考えるのは、傲慢以外の何でもないと思う。
自閉症の理解はないけれど、一生懸命接してくれて、それが心に響き、本人を変えていった人も多く知っている。
社会って理不尽なことも、辛いこともあるけれど、支援者が考えている以上に、癒し、気づかせ、成長させるパワーを持っていると思う。

迷っている人には、背中を押す。
そして、もし失敗したら、全力でフォローする。
これも支援者の役割かなって、私は思う。
何もブレーキをかけることだけが、支援者の役割ではない。
何も柔らかい綿で、そっと包み込むだけが、支援者の役割ではない。
「社会は理不尽で、辛いことばかりだけど、成長するチャンスを与えてくれるもの」と伝えることも大事な役割だと思います。

手記を読んで

手記を読んで、当時のことを思い出しました。
彼は私たちの学年と同じ1982年生まれ。
何かあるたびに、先生から「彼と同級生のきみたち」「サカキバラ世代」なんて言われてました。
今振り返ると、当時の大人たちは激しく動揺し、感情を表に出さない私たちを不気味に思っていたのかもしれません。
また、私たちを理解するだけの"言葉"を持っていなかったのかもしれません。

少年Aの手記を読みました。
発売と同時に購入し、その日のうちに読み終えました。
前日には、父母の手記、更生の記録も読み。

私も息子がいる親の立場です。
被害者の方たちの気持ちを想像すると、言葉では表せない気持ちになります。
でも、発売されたからには読まなければなりません。
もう二度と、このような悲劇が起きないように。
なぜ、彼は犯行に至り、どのように矯正教育がなされ、今、どのような人に変わったのか。

「何が何でも治し、社会の中で自立して生きていかせる」という矯正教育に携わった人たちの専門性の高さと、気概を感じました。
そして、社会に出たあと、「社会が癒し、社会が治し、社会が成長させる」こともあるのだと感じました。
このような重大な事件を起こした人であっても、変わり、成長できることを知れたのはとても大きいと私は思いました。
事件に至る前に介入し、未然に防ぐ可能性があるのですから。
仕事に活かしていきたい。

当時から、少年Aの母親の育て方に重大な欠陥があったと言われていました。
でも、私はそのようには読み取れませんでした。
一般的な子育て、接し方だったように感じます。
どちらかというと、少年Aの受け取り方に違いがあったように思えます。
ときに、親御さんが一生懸命愛情を持って接していたとしても、その愛情を的確に受け取れないために、愛着に問題が起きることも。
これは、日々の支援でもリンクするところです。

決して読んでいて気持ちの良いものではありません。
出版すること自体、問題であるというのもわかります。
でも、出版されました。
読もうと思えば、読むことができます。
出版されたからには、読まないといけない気持ちに私はなりました。
こんな悲惨な出来事が、これ以上、絶対に起こらないようにするために。

影と陰

私たちは"カゲ"の部分も知ってるよ、と彼らは言う

でも、それは陽の光でできた"影"

"カゲ"には、闇夜の"陰"もある


陽の中で生きている人には見えない"陰"

いや、それよりも見ようとしない"陰"


"影"を強調し、自分たちから"陰"を遠ざけていく

ときどき、"影"に紛れて"陰"が出てくる

そんなとき、彼らは"陰"を切り離す

切り離した"陰"は、別世界のものとして飛んでいく

残りの"陰"を残したまま

2015年6月8日月曜日

休憩に入る前のちょっとした気遣い

障害を持った子ども達の職場実習を熱心に受け入れてきた企業の方のお話。
「休憩時間になると、いくらお客さんがたくさんいても、スタッフが忙しそうに仕事をしていても、さっと休憩に入る人ばかりなんですよ」と。
その企業の方は、特別注意するわけではないのですが、やっぱり気になるし、他のスタッフからも良くは思われないですよね、という話をしてくれました。

もちろん、休憩時間はきちんと労働者に認められた権利です。
でも、"気遣い"って仕事を続けていくには大切なことだと思います。
周りが忙しそうにしていたら、休憩時間を遅らせても、職場全体の仕事が落ちつくまで、仕事を続けたり、休憩に入るとしても「何かお手伝いできることはありませんか?」など、ちょっとした気遣いの言葉が言えたり。
こんな気遣いができると、職場の同僚とも円滑な人間関係が築け、結果として仕事を長く続けられることにつながるのでは、と思います。

「自閉症の人は状況を的確に読み取ることが苦手だから、そこまでしなくても良いではないか」
「時間を守ることの方が大事。そして、一人で休憩に入れる方が自立度が高い」
なんて言われそうですね。
でも、状況を的確に読み取るための注目するポイントと、気遣いというルールを学習したら、こういった職場で求められる行動が身につくと思います。
何故なら、実践してうまくいっている人がいるから。

冒頭の企業の方との会話には、前段階があります。
それは私が指導している学生さんについて、「休憩時間になっても、きちんと状況を見て、お客さんがたくさんいるときや、スタッフが忙しそうにしているときには、仕事を手伝う姿勢が見られるんですよ。本当に素晴らしいことです」と褒めていたのです。
「長年、実習生を受け入れていたが、こんな学生さんは珍しいし、〇〇さんの長所ですね」とも言っていました。

職業実習が始まる前、きちんとその学生と二人で「休憩の入り方」を勉強しました。
休憩時間になったら、まずは全体の仕事の状況を確認すること。
その確認するポイントも、お客さんの人数、スタッフの仕事具合を具体例を挙げて学習しました。
その結果が出たのでしょう。
本人も、職場で褒められ喜んでいました。

仕事の能力も大事ですが、ちょっとした気遣いができるだけで職場の同僚や上司からの見方が変わることを改めて確認できた出来事でした。

2015年6月2日火曜日

「実習している姿を見て欲しい」という電話

日曜日に電話があり、「大久保さんに見に来てほしい」と、ご使命をいただきました。
何を見に来てほしいか、と言ったら、"実習している様子"です。
その子は、市の図書館で一般就労に向けた職場実習をしています。

今日は最初の仕事のあと、ちらっと実習している様子を見に行きました。
彼女はなんと受付を担当!
図書の貸し借りの手続きの業務を行っていました。
話すことが苦手ですから「大丈夫かな」とも思ったのですが、館内に入ってきた人に対して、「こんにちは」と相手の方を見て挨拶ができていましたし、利用者との簡単なやり取りも行えていました。
私が見学に来たことが分かると、一瞬笑顔になりましたが、すぐに業務の方に集中することができていた様子も、彼女の成長を感じました。

今までにも、彼女は現場実習に何度も行っていましたが、今回、初めて「見に来てほしい」と言ってきました。
本人の口から、はっきりとした理由は聞けなかったのですが、親御さんが言うには「大久保さんに認めてもらいたい」という気持ちが強くあったとのこと。
闇雲に褒める人が見学に来ても、あまり嬉しくない。
だからこそ、私に見に来てほしかったというのです。

当然のことだと思うのですが、彼女は高校3年生ですし、一般就労を目指している人です。
そんな彼女に対して、どうでも良いこと、できて当たり前のことを褒めても仕方がありません。
彼女とは、一般就労に向けてトレーニングを続けてきましたが、むやみに褒めたりはしませんでしたし、彼女自身も望んでいなかったことです。

彼女は、できるようになったことは自分の努力の結果だと捉えています。
ですから、それを褒められても喜びません。
「だって、できて当然でしょ。努力したもん」と。
それよりも、同じ年代の人たちに近づけたこと、自分の力が就職できるくらいまでに近づいてきたことを喜びます。
自分に知的障害があることがわかっている彼女は、「認めて欲しい」「同じ年代の人たちに追いつきたい」と心から願っているのです。

彼女が一般就労できるまで、そして一般就労してからも、"壁"になっていたいと考えています。
「いいよいいよ」「すごいねすごいね」なんて見え透いたお世辞を言うのではなく、社会人の先輩として、「いつか大久保に私のことを認めさせたい」というパワーの源になるような存在。
だから、実習後のセッションでは、きちんと社会人として達成している点と、まだまだ足りない点をきちんと指摘しますよ。
まだ高校卒業まで半年以上あります。
きっと私の言葉をバネにし、足りない部分のトレーニングを頑張ってくれるでしょう。