2015年8月31日月曜日

「痛みが分かる=良い支援者」とは言えない

子どもの頃、身体が弱くて、よく入院していた人が、将来、お医者さんを志すことがある。
そういったお医者さんは、"痛み"がわかるので、患者さんの立場になって診療することができる評判の先生になったりする。
友人にも医師として活躍している人がいるので、その仕事の過酷さは何となくわかる。
だから、もちろん医師は健康な身体が必要なのだが、それでも「痛みが分かる」医師は患者の立場から言えば、ありがたいものです。
でも、だからといって「痛みの分かる医師=素晴らしい医師」とは限りません。
何故なら、医師は治すことが仕事だから。
いくら痛みが分かっても、治すことができない医師は、素晴らしい人物かもしれませんが、素晴らしい医師とは言えませんよね。
当たり前のことなのですが、やっぱり医師は"うで"が必要です。

時折、当事者の人に対して、「あなたは痛みがわかるから、支援する側になったらいいよ」なんていう無責任なアドバイスをする支援者がいます。
もちろん、冒頭の医師のように痛みがわかること、つまり共感できることは良い支援者になる条件の1つだと言えます。
でも、やっぱり支援者も"うで"が必要です。
税金だろうが、依頼主の財布だろうが、お金を受け取る以上、成果を出さなければなりません。
(成果を出さなくても、就職試験に合格しただけでお金を貰い続けられるような仕事なんてあるのでしょうか?_?)
支援者は成果を出せるだけのスキルが必要ですし、そのスキルを獲得し、向上させていくためにも、日々、努力を続けているのです。
だから、共感だけの人は、あくまでボランティアです。

施設で働いてた頃、実習生を受け入れたり、新人の研修を担当したりしていました。
そんなとき、「私のきょうだいが障害を持っていて」と言う人は少なくありませんでした。
確かに、家族や親せきに障害を持った人がいて、その人と一緒に時間を過ごしてきたことは、ある意味、支援者としての強みになります。
しかし、やっぱりそれだけでは一人前の支援者にはなれないのです。
家族として求められるものと、支援者として、職業人として求められるものは違うのです。
中には、家族としての経験や想いが邪魔をする場合もあって、専門的な知識、技能ではなく、感情によって支援をしてしまう人もいました。
家族としての立場から離れることが難しかったのでしょう。

当事者の人の中にも、医師や支援者として活躍されている方もいます。
でも、みなさん、報酬を得られるだけのうでを持っています。
つまり職業人としての努力をしてきたから、支援者になれたのです。
共感できるから支援者になったのではありません。

「あなたは痛みがわかるから、支援する側になったらいいよ」という支援者は、その人自身も気持ちとか、共感を大切にするタイプなのだと思います。
きちんと陰で努力し、職業人としての鍛錬を怠らない人は、事実の1つの側面しか伝えないような安易な助言はしません。
言葉をそのまま受け取る人、別の側面を自分で想像することが苦手な人がいます。
そして、ずっと悩み、苦しんできた人は、自分の想いを晴らすために、今度は支援者の立場になり満たされてこなかった気持ちを埋めようとする場合もあります。
ですから、安易な助言は危険なのです。

私は、当事者の人や、障害を持った家族がいた人が支援者を志すことに対して反対ではありません。
中には、「自閉症の人は、対人スキルが求められる仕事は向いていない」と言う人もいますが、一概にそうとはいえないと思っています。
ただ、どのような仕事にしろ、共感してくれることに対して報酬は発生せず、労働に対して報酬がでていることは理解しなくてはならないと思います。
ただ共感するだけなら、友だちや近所の人でもできます。
ボランティアと仕事の違いをきちんと伝える必要があると考えています。

0 件のコメント:

コメントを投稿