「良い支援」と「悪い支援」

「私の支援が悪くて・・・」と仰る親御さんって少なくないです。
先週の相談時も、同じようなことを言っていました。
そのとき、私は尋ねました。
「悪い支援って、どのような支援のことだと思っていらっしゃいますか?」と。

悪い支援って、お子さんが理解できなかったり、混乱したり、成長できなかったりする支援のこと。
これは私も同じように考えます。
ただ私は商売として支援をしていますので、もっとツッコんで結果が出ない支援は悪い支援だと考えています。
しかし、親御さんがどうして悪い支援になってしまうかと言ったら、「私がちゃんと勉強していない」とか、「構造化の仕方が悪かった」とか、「感情的になって一貫性のある支援ができていない」とかが多いです。
つまり、視覚的構造化でも、ABAでも、ソーシャルストーリーでも、その療法をきちんと理解していない、決められた手順を踏むことができていない、応用することができていないので、お子さんにポジティブな変化が見られず、結果として"悪い支援"と考えているようです。

確かにどんな療法にも、中核となる考え方、決められた方法と手順、評価基準などがあります。
でも、これは専門家、職業として支援している人たちの間での話です。
きちんと理論を学び、技法を身に付けるためには型が必要です。
型がなければ、教えることが難しい、習得できたか判断できない、看板だけ掲げて勝手に実践してしまえる・・・。
つまり、お墨付きを与えるために型があるのです。

でも、実際の場面で、目の前にお子さんがいるとき、ナントカ療法の型どおりか違うか、なんてどうでも良いと思いませんか?
目の前にいる人にポジティブな変化があれば、それでOKじゃないでしょうか。
私もトレーニングに行ったとき、「それは違う方法だ」とか言われましたよ。
でもね、それは研修の場だから。
実際は、理解でき、成長できたら、それは良い支援でしょ。
職業にしている人が勝手なアレンジをして「〇〇療法です」と言ったら問題になるけれど、親御さんが我が子の支援を行うのに正しい方じゃなければならないということはありませんよね。
良いとこどりでも、つぎはぎでも、ごった煮でも、なんでもいいんですよ。

それが良い支援か、悪い支援か、の答えは、お子さんの中にあります。
答えを外に求めてしまっているのは注意信号です。
「ナントカ療法を正しく行えることが良い支援につながる」と、答えを外に求めているのでは、いつになっても答えは見つかりません。
ナントカ療法を型どおり実践できたとしても、合わない子は合わない。
ほら、ナントカ療法をたくさん勉強し、習得した人でも、うまく支援できない人、成長させられない人は大勢いますよね。

ナントカ療法に合わせようとしても、合わない場合がある。
子どもも一人ひとり違えば、支援者も一人ひとり違う。
結局は、子どもに合わせてナントカ療法を切り取れば良いのですよ。
不格好でも、何でも良くて、お子さんに良いものをどんどん取り入れる。
そっちの方が、ナントカ療法を極めるよりも、ずっと早く効果が表れます。
どうしますか、ナントカ療法を極めてみたけれど、お子さんに合っていなかったら。
効果が見られた方法を集め、その子オリジナルの支援を作っていくことの方が、ずっと効率的で、成長し続けられると思いますよ。

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