ズバリ相性が良い悪いではなく、実力があるかないか

ある親御さんに「大久保さんって、優しい人ですよね」と言われちゃいました、テヘ。
自分では優しい人間かって、よくわからないんですけどね~。
「うちの子が、優しい人で良かったって言ってたんです」と喜んで貰っていたからイイかな。
でも、他の親御さんからは、「厳しい人」って言われたこともありますね。
「うちの子には、厳しく接してくれる人が必要だったから良かったです」とも。
また、他にも「熱い人」と言われたり、反対に「冷静な人」と言われたり。
「ブレない人」と言われたと思えば、「柔軟な人」とも言われることもありました。

こうやっていろいろな方から、いろいろな感じ方をしてもらえることって嬉しいですね。
どうして嬉しいかって?
それは、私の基本姿勢が"相手に合わせる"だからです。
つまり、いろいろな印象を持たれるってことは、相手に合わせられている証拠ですからね。
私は相手の様子を瞬時に見極め、どう接し、どう支援していったら良いかを決めてます。
成長段階によっても変えますし、その日の体調によっても変えますね。
「今日は学びを欲してるな」と感じれば、ガンガン勉強しますし、「テンションが高めで、浮足立っているな」と感じれば、冷静に接します。
優しさを欲していることを感じれば、優しく接しますし、優しさを欲していてもガツンと言った方が良いなと感じれば、毅然とした態度で厳しく接することもありますね。

とにかく相手にとって、この限られた時間内で、最大限の成果が得られるように努めてます。
"演じている"とまではいきませんが、対面したときの空気感を読み取り、相手に即した自分を内面にあれば取りだし、表に出すようにしていますね。
そういった意味では、ある親御さんが言っていた「柔軟な人」が一番合っているのかもしれません。
あくまで支援しているときの自分としては。

支援者との相性が云々かんぬんとか言われますが、相性なんか言われている時点でダメだと思いますね。
個人的には。
相性が・・・じゃなくて、その本人に合わせるのがプロじゃないのっていうのが、率直な感想です。
よく「うちの子、担当の人と相性が良くなくって・・・」なんて話をお聞きますが、悪いのは相性じゃなくて、相手に合わせられない支援者、っていうか、ただの引き出し不足じゃないかな、と思いますね。
支援者側も、自分は子どもとの相性なら良いとか、成人ならOK、生活支援は難しいけど、就労支援ならできるとか、言いますね~。
でもね、こういっている人って「自分は実力不足です」って言っているように聞こえちゃうんですよ。
あくまで私の場合ですが。
じゃあ、実際、自己申告の相性が良い子どもなら子どもの支援がうまいかって言ったら、そうでもないことが多いですし(ブ)
私の経験では、うまい支援者は何をやってもうまいんですよ。
限定がある時点で、うまいとは言えませんね(当社調べ)

まあ、相性とか言ってないで、どんな人が来ても、どんなニーズが来ても、対応しろよ、お金貰ってやってるんだからってことですね。
勉強でも、ソーシャルでも、生活スキルでも、コミュニケーションでも、問題行動でも、どんと来いっていう姿勢が欲しいですね。
私はそう思いますし、それが当然だと思い、仕事しています。
だから、できない依頼が来れば、「できません」と実力不足を言いますよ。
そこで相性とか、言い訳に使いません。
「私に合わせろ」「私と相性がいい奴だけついてこい」みたいな支援者にはなりたくないですね。
利用する側が提供する側に合わせるサービスなんて、フツーじゃあり得ませんから。
親御さんが「相性」を気にしなくても、利用できるサービスであり続けたいと思いますね。

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