「褒めて伸ばそう、発達障害の子の自尊心」という番組

期待通り(?)というか、予想通りの内容でしたね。
「褒めて伸ばそう、発達障害の子の自尊心」
月曜日から特集されているEテレの「今日の健康」です。

「その子の良いところを"見つけて"褒めましょう」と、何度も、何度も、出てきましたね。
"見つけて"という時点で、見つけようとしないと、良いところって見えないんだ=この表現を当たり前に使ってるってことは、発達障害の子が問題ばかりという認識なのかな、とツッコミを入れてしまいました。
まあ、意地悪な解釈かもしれませんが。

どっちにしろ、実際は叱ることが多く、子ども達は叱られる方が圧倒的に多いということですね。
それで自尊心が育たなくなるっていうのが主張。
でも、「叱られる=自尊心が育たない」「褒められる=自尊心が育つ」っていうのはギモン。
叱られてばかりいても、達成感や成長を感じられることがある子は、自分自身で自尊心を育てていく場合だってあるしね。
褒められて自尊心が上がるってのは、小さなときくらいでしょうに。

こういった類の番組を見る親御さんって「もしかしたら、うちの子、発達障害かも・・・」とか、今、子育てがうまくいかず悩んでいる人が多いはず。
あとは、ツッコミを入れたくって見ている少数の人たち(笑)
そういった今、悩んでいる人たちには、余裕がないことが容易に想像できますよね。
余裕があれば、「いやいや、褒めたくらいで問題なんか解決しないっしょ」とツッコミを入れながら見ることができますが、余裕がない人は、そのまま受け取る可能性が高いと思いますよ。

どうしましょうか?実際に、次の日から良いところを見つけ出して褒めまくってしまったら。
ここは強調しますよ。
うまくいかないことばかりで、可愛い我が子のはずなのに「可愛い」と思えないことに葛藤が生まれ、悩みとなるんじゃないですかね。
うまくいかなくても、我が子が可愛いと思えているのなら、自然に良いところに目が行き、褒めることもあると思いますよ。
ある親御さんは、「褒めるところが見えないから、悩んでいるんです!」と、どこの支援機関に行っても同じことを言われることに対して懐いた当時の憤りを話してくれました。

経験の少ない親御さんや、今、悩んでいる親御さんが見るような番組は(学習会、講演会もそうですが)、視聴している側の親御さんが脳みそをあまり使わなくても良いような内容にしなければならないと思いますね。
褒めることのポジティブな面を言うのでしたら、一緒にネガティブな面もきちんと言う必要があると思いますよ。
褒めることで「自分はすごいんだ」「何でもできるんだ」など、誤った自己認識が生まれる危険性がありますよね。
特に自閉症の人は。
今、トラブルになっているお兄ちゃん、お姉ちゃん達は、この誤った自己認識が背景にあるんですよっていうのも伝えなきゃいけません。
実際の依頼も、この誤った自己認識をどう実像に合わせていくか、というのが多いですもん。
「俺はビルゲイツみたいになるんだ」「まずはビルゲイツのような努力をしてから言ってください」
「私には才能があるんだ」「その道のプロに才能が認められてから言ってください」

それに100歩譲って褒めることで自尊心が育ったとしても、課題の多くはなくなりません。
自尊心が低くて問題になるのは、やる気ができないとか、投げやりになるとか精神面の不調ですね。
最悪の場合には二次障害の精神疾患もありますが。
でも、そもそも叱られる原因となっているような課題が、感覚面や衝動性、その日の体調など、その子側にあるものとつながっていたとしたら、自尊心だけではどうにもなりませんね。
「だから、環境調整や投薬」と言われるかもしれませんが、それは補助です。
補助を受けている間に、本人自体が変えられる部分は変える努力をしなければなりません。
脳を育てるトレーニング、体調を整える努力、できることを増やしていく成長です。
その結果、課題が見せかけではなく、根本から治っていくのです。
褒めたから、どうなるってことでもありません。

「褒めるところを"見つけて"自尊心を育てましょう」と言っている前に、自然と褒められるようなことを身に付けた方が早いと思いますが。
そっちの方が、自分で達成感、満足感を感じ、自尊心が育っていきますしね。
そして、周囲も褒めやすいですし。
周囲が褒めなければならない状況って、その人自身に力が足りないということになりませんかね。

どんな課題も、本人の育ち、成長がなければ、解決しませんよ。
褒めて問題が解決するなら、悩む親御さんはとっくの昔にいなくなっているはずです。
悩む親御さんには「褒めましょう」の言葉が、神の言葉にすらなるのです。
ずっと叱ってばかりいた親御さんが、急に褒めるように方向転換したら、親御さんに相当な負荷がかかりますよね。
また、神の言葉が言っていたのに問題がなくならないとなったら、誰を責めるか・・・もうお分かりですよね。

支援者と呼ばれる人たちの安易なきれいごとが、親御さんをさらに苦しめることがあるんです。
余裕がないから悩み、頼ってくるんです。
だから、ポジティブな面とネガティブな面をきちんと出し、脳みそを使わなくて済むようにする配慮。
また、親御さんにできることは何か、自分たちにできることは何か、そして選択した先にどのような未来が想像できるかを示すことが必要なんです。

私が学生時代から「褒める」「環境調整」「薬」ばかりです。
他にはないのでしょうか?
この3つを行ってきた結果、今、その人たちはどうなっているのでしょうか?
未来が見えなくて悩んでいる親御さん達だからこそ、きれいごとではなく、現実の話が聞きたいんだと思います。
あたかも「〇〇さえすれば、大丈夫」みたいな情報は、親切な情報とは言えませんね。

コメント

  1. ななつぼし2016年1月25日 17:48

    周りがイエスマンばかりだと
    悪いことまで「良し」としてしまうことが怖いです。
    環境調整なんて外の世界に一歩踏み出しただけでほぼ不可能です。
    急に大きな音がしたり赤ちゃんが泣いたり
    その場を切り抜けるか我慢する力が必要になってきます。
    家や施設に閉じ込めておくなら良いですが。
    環境を整えるのではなくて
    環境が崩れたときにどう対応するかを支援するのが大人になってから大事なのではと思います。
    (落ち着く場所を作ることに関しては環境調整があっても良いと思います)

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    1. ななつぼしさんへ

      "環境が崩れたときにどう対応するか"って、大事な視点ですよね。
      「整った環境なら大丈夫」は、「整った環境じゃなかったらダメ」ということですもんね。
      あまりにも環境調整ばかりに重きがおかれてしまうと、却って活動の幅を狭めてしまいかねません。
      環境調整はより良く学ぶために行うはずなのに、中核の"学び"がなくて、環境調整ばかりに目がいってしまっている場合が多いですね〜。
      そういう方は決まって社会に変わることを求めますが、結局、社会は自閉症中心に変わることはありませんので、自分がコントロールできる範囲に子を置こうとしますね。
      整えられた狭い世界しか生きる場所のない人を見ると、広い世界で生きる術を学べなかった子ども時代が残念に思えてなりません。
      不測の事態にも対応できるような学びと心身の安定こそが大事ですね!

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