2016年1月28日木曜日

愛情ガー

「愛情で満たされれば、この子は成長するんです」みたいな療育って、歴史の教科書レベルの話だと思っていたら、まだそんなことを言っている人がいるらしい。
愛情はいらないとは言わないが、愛情を療育の中に持ってきてしまったら、混乱以外生みださないですね。

何かできないことがあると、「愛情が足りていないからだ」が始まり、「〇〇さんの接し方が冷たい」→「もっと笑顔で、優しく」→「学校(施設)の雰囲気が暗いのも問題」となり、教室を飾り始めたりする。
そうしているうちに、支援者の対応がブレるもんだから、当然、本人も落ち着かなくなり(何だか気味悪いしね)、別の問題が出てくる。
当然、できないのは接し方ではなくて、学びが足りないのだから、最初にターゲットにしたできないは、そのままは続きます。
そして、愛情派と愛情否定派にチームは分かれ、互いに悪口を言い合うのが典型的なオチです。
結局、ウデのない人か、自分を癒すために支援者をやっている人が、愛情を持ってくるんですよね。
愛情を否定する人はいませんからね。
「愛情があれば…」といえば、「そ、そうかな」と周りも受け入れやすいですから。

私も療育の中に愛情の視点を入れないかって言ったら、そうではないんですね。
でも、それは発達段階を見るのに使います。
自閉症の人は、赤ちゃんのときから自閉脳なわけであって、そのため、母子関係がうまくいかないことがあるんですね。
うまく母子の愛着が形成されない。
それは、親御さんの愛情が足りないとか、虐待をしているとかではなくて、自閉脳を持つ赤ちゃん側の受け取り方、感じ方の違いで、です。
心地良さが双方で共有できないんですね。
身体感覚に違いがありますから。
うまく愛着が形成されないと、不安が強かったり、安心感が感じられなかったりし、将来の問題行動や無気力感などにもつながっていくんです。

ですから、あくまで留まっている発達段階を進めるために愛情の視点を入れます。
幼少期に必要だった信頼関係を持てるようにするにはどうすれば良いか。
感情を出し、それを受け止めるような交流と共感ができたら、次の発達段階に進めるんではないか、などです。
支援はサイエンスでなければなりません。
愛情という物語を創作しても、それは独りよがりの支援にしかなりません。

もし愛情ガーという支援者がいたら、ツッコミを入れましょう。
「愛情が足りないって、どうやって確認したんですか?」
「笑顔で、優しく接することが愛情になるんですか?」
「本人が感じる愛情って、どんなことを指すんですかね?」
「愛情って、いつまで与えたら、そしてどうなったら愛情が満たされたになるんですかね?」
「愛情が満たされたら、就職できますか?」
「愛情で成長するなら、特別支援っていらなくないですか?」
というように。
このツッコミに対し、血相を変えて怒ってきたら、それこそ、愛情の出番です。
愛情が足りないのは、子どもではなく、その支援者です。
普通なら、こんなツッコミが来たら、「そ、そうか」と冷静になるはず。
その支援者に、みんなが笑顔で、優しく接すると、愛情ガーと言わなくなると思いますよ。
自分を投影する支援者って多いですから。
もともと自分を癒すために支援者になってる人って多いですからね。

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