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4月, 2016の投稿を表示しています

社会性の前に、授業についていけるだけの学力があるか?

「新しい担任の先生の授業はわかりやすい」という話をしてくれた小学生の女の子。 授業がわかるから、勉強が楽しいって。 昨年度までは、「先生イヤ」「勉強イヤ」って言っていたのに。 宿題も自分からやるようになりました。 先日、この担任の先生が家庭訪問にいらしたとのこと。 親御さんは、娘さんの発達障害について話をしたら、先生は大変驚かれていたらしいです。 全然、気づかなかったって。 この先生は教員歴が長いベテランの女の先生で、以前にも何人も発達障害の子の担任をしたそうですが。 授業中も集中して聞けているし、積極的に発言もする。 宿題だってちゃんとやってくるし、忘れ物だってしない。 トラブルも起こさないし、会話だって自然とのこと。 だから、気がつかなかったんですって。 でも、ついこないだまでは、全部反対だったんですよ。 授業中はフラフラ、宿題は全然やっていかないし、友達とは喧嘩ばっかり…。 だから、私に「どうにかしてください」って依頼があったんですから。 やっぱり勉強がわかるって大事なんだと思いますね。 人間性を育むと言いながらも、やっぱり学校のメインは勉強ですから。 その勉強がわからなければ、学校はつまらないものになりますし、そこで過ごすだけで負荷がかかりますもん。 イライラするし、その発散の一つが友達とのトラブルとして表れていた可能性もありますね。 この担任の先生は、特別な配慮なんかしていませんね。 だって、この女の子が発達障害って知らなかったんだから。 前年度まで、あれだけトラブルがあったのですから、引き継ぎがあっても良いものですが(笑) まあ、とにかく普通に授業をして、普通に接していたんです。 学年は一クラスなので、前年度と子ども達は変わりません。 変わったのは、教室と担任の先生だけ。 それで、これだけ本人も変わったのですから、先生の教え方のうまさがポイントだと思います。 ソーシャルトレーニングの重要性が叫ばれていますが、最優先にすべきことは社会性の向上ではなく、学力だと私は思いますね、特に通常学級に通っている場合は。 この女の子のように、授業についていけるだけの学力があったというのは、大きかったと思います。 また、子ども達にわかりやすく授業ができる先生の教え方も大きかったと思います。 通常学級に通

顔を合わせた瞬間に確認するポイントがある

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学生さんの支援の延長で、講義を受けている様子を見学させてもらうことがあります。 見学の際には、必ず担当教官の先生だったり、大学の職員さんだったり、保健室や相談室の先生が横につきますね。 ですから、「今日は調子が良さそうですね」とか、「ちょっとしたきっかけで感情が爆発しそうですね」とか、「なんかあったぽいですね」とか言うようにしています。 で、だいたい当たるので、みなさん、驚かれるんですね。 「どうしてわかるんですか?」 「事前に本人と話していないのに…」って。 別に自慢話をしたいわけではありませんよ(笑) ブログに自慢話を書いて自己満足しなきゃならないような人間ではありません。 これは支援の見立ての話なんです。 一人ひとり"見る"ポイントがあるんですね。 人にとっては"聞く"ポイントも。 ある人の場合は、姿勢に出るんですね、調子が。 姿勢が前屈みになっていたり、傾きがあったり、姿勢保持の時間が短かったり。 他にも、爪を見ることで爪噛みがあったかを確認したり、特定の動作が出るかを確認したりと、調子のバロメーターを特定の部分を見ることで確認します。 「なんか今日は、視線が落ち着かないな」っていうように目に表れる方もいますね。 また聞く場合は、会った瞬間に「自分から話をするか?」とか、いつもニュースの話題をするが良いニュースについて話をするか、悪いニュースについて話をするかとか、特定のフレーズが出るかどうかとか。 学習支援をしているある女の子は、調子が良いときには言葉がスムーズなんですけど、調子が悪くなると、言葉が詰まるんですね。 「こんにちは」が詰まったり、なかなか出なかったりするんです。 こういった場合には、チャレンジするような勉強の量を減らしたりと調整しますね。 反対に、調子が良いときは、苦手な勉強をどんどんやります。 訪問して玄関であった瞬間に、「なんかあったでしょ?」とか、「今日は、勉強に集中できそうだね」とか私が言うので、本人も、親御さんも驚くんですね、ネタバレするまでは。 別にこれは特別なことではなくて、一人ひとり確認するポイントがあるだけなんですね。 私はそれを知っているだけにすぎません。 ですから、本人にも、親御さんにも、ネタバレ、つまり「こういったところに、調

就学前の子どもの脳への影響を考えること

就学前から英語教育に熱心なところがあるそうですね。 習い事でも、幼稚園でも、そういったところが人気だとか。 でも、私の息子には英語教育を受けさせようとは思いませんね。 たぶん、息子が大人になる頃には、コミュニケーションは母国語で十分になるはずだから。 今ですらスマホに話しかければ、通訳してくれるんだから、近い将来、同時通訳してくれる機器が当たり前になるでしょう。 だから、息子たちの時代は、英語がしゃべられることよりも、「何をしゃべるか」っていう会話の中身の方が大切になると思いますね。 まあ、こんな近未来にならないとしても、就学前の時期に英語教育はやらせませんね。 両親ともに日本人ですし、日頃、英語に触れる機会がないですから。 英語と日本語って文法が異なるので、勉強として英語をやっちゃうと、子どもの頭が混乱してしまいます。 日本語に適した言語野を作っている途中ですもん。 就学前の子ども達って影響を受けやすいんですね、脳が。 過剰刺激によって脳が歪んだりしますし、脳も生き物なので、食べ物とか、環境とかによっても発達に影響がでますね。 だから、就学前の子ども達は特に気を付けなければなりません(もちろん、母体にいるときから!)。 近年、発達障害の子が増えていると言われていますが、こういった脳が柔らかい時期に何らかの影響を受け、発達障害の症状が出ている場合が多いような気がしますね。 根っからの自閉症、発達障害っていう感じのない子が結構いますもん、支援に携わっている子の中に。 ちなみに、根っからの自閉症と感じる子の場合は、親御さんだったり、親戚だったりに同じような特性を持った人がいること(環境+遺伝??)が多いような気がしますね。 もちろん、私の経験&印象でしかありませんが。 とにかく受精から就学前の子ども達は、脳が特に柔らかい時期で、発達している途中なのですから、周囲の大人が気を付けなければいけませんね。 より良く成長できる環境を整えることが大切ですが、それができないまでも、悪影響を及ぼすような環境は避ける必要があると思います。 また受精する前、つまり精子と卵子は両親の中でできるものですから、「何を自分の体内に入れるのか?」、こちらも意識する必要がありますね。 リスク要因を完全になくすことはできませんが、減らすことはできるのですか

発達障害になる前の啓発

私も父親なので、分からなくはないです。 親御さんが、我が子の障害を認めたくない気持ち。 見た目は、他の子と変わりませんしね。 「自分が子どもの頃、こんな子いたし」とか 「わんぱくな子なだけ」とか 「集団生活を送っているうちに、成長して落ち着いてくるはず」とか…。 就学前の子ども達と関わる仕事をしている方たちと話すことがあります。 そうすると、いつも話題になるのが、「発達障害では!?」と思われる子どもの話。 そして、決まって相談されるのが、「親御さんが認めようとしない」ということ。 つい先日もありましたね。 日々、就学前の子ども達と接している方たちって、かなり高い確率で「なんか違うかも」ってわかるんですね。 下手なドクターより信頼できます(暴言) で、早い段階で気づくんですけど、親御さんに伝える段階に壁がありますね。 当然、親御さんは認めたくないですし、言う側としても、発達障害の専門家でなければ、「自分の間違いかも」とか、「もし違ったらどうしよう」という気持ちが勝ります。 また、今後も続く親御さんとの関係性を考えたら、グッと思いをしまう方が圧倒的。 それで、その子が抱く困難性に気が付いているけど、「親御さんに言えない」、親御さんが認めていない以上、「外部に頼ることもできない」という狭間でみなさん、悩んでいるんですね。 就学前の子どもって、まだ脳の分化がなされていない状態だから、やりようはあるんですね。 脳を歪ませている原因があれば、すぐに止めて影響を最小限にできますし、弱い部分を刺激して発達を促すこともできます。 今は時代も変わり、環境調整と配慮だけではないんですね。 脳を発達させる方法があるんですね。 ですから、早い時期に、きちんとした発達援助を行うことが求められるのです。 このような話を聞くと、ホント残念に思いますね。 このまま年齢を重ねていけば、子どもさんの困難性は雪だるま式に大きく積み重なっていくでしょうし、どうしようもなくなってから診断や相談っていうパターンが見えますから。 「周囲の人、誰も気が付かず、大きくなって…」というのでしたらまだしも、気づいている人がいますからね。 それも、就学前の大切な時期に。 配慮や理解、環境調整だけではなく、特に就学前なら「やりようがあります」っていうのと、「この時期

誠のボランティア

熊本、大分で被害に遭われたみなさまへ、心よりお見舞い申し上げます。 「熊本地震」と命名されましたが、大分でも甚大な被害が出ているそうです。 大分は、父の故郷でありますので、大変心配しております。 早く地震活動が落ち着き、平穏な日々が訪れることをただただ願うばかりです。 全国から続々と支援物資が届いているようですが、配るための人手が足りず、避難所に届いていない状況があるそうです。 こういった状況を見聞きしますと、「私もボランティアとして…」という気持ちになりますが、災害ボランティアとしての経験がない者がいくと、却って足手まといになります。 ですから、各地から集まってきている災害ボランティアの方たちにお任せし、私はお金の寄付という形で支援させていただきたいと思います。 ボランティアだからといって、誰でも、何でも、良いかといったらそうではないと思います。 「自分はボランティアだから~」と言って、責任を放棄し、ただただやりたいようにやる。 そんなボランティアの姿もたくさん見てきました。 またボランティア活動を通して、自分をPRする人もいました。 (「自分を紹介しろ」って騒ぎ立てたどうしようもないボランティアもいたそうですが…。このような人間が参加する活動、またそれを許すような活動は終わっていると思いますよ) ボランティアって自発性だけではなく、利他の心も重要だと思いますね。 それにボランティアを受ける"相手"がいるのでしたら、相手の気持ちや心が少しでも豊かになる"ウデ"も必要だと思います。 今回、現地に駆け付けた災害ボランティアの方たちのように。 先日、そういったちゃんとした"ウデ"を持った方と一緒にボランティアをやらせていただきました。 はっきり言って、この方にボランティアをお願いするのが申し訳ないくらいの主催者側の人間のやる気の無さ、専門性の無さです。 でも、その状況を知った上で、ボランティアを快諾して頂きました。 それは、活動を楽しみにしている子ども達がいるからです。 子ども達は目を輝かせて活動に取り組みました。 いつもでしたら、すぐに集中力がなくなり、おしゃべりやフラフラが始まるのですが、一切そのような様子もみられず、参加した全員が作品を作り上げることができま

学習時間と成績が比例していかない理由

毎日、学校から帰ったら、3、4時間勉強している中学生の男の子。 しかも、お母さんが付きっ切り。 それじゃないと、全然勉強に集中できないからだって。 でも、成績は下降を続け、学年でも下位とのこと。 本人も、親御さんも、しんどいだろうなって思ちゃいました。 苦手な教科、苦手なスキルを「時間をかければ」「回数を重ねれば」できるようになると考えているのは、定型基準の話ですね。 特に、発達障害の子にとっては、効果が期待できません。 ただの"苦痛な時間"になってしまうこともあります。 どうして効果が期待できないかって言ったら、脳みそに相当な負荷がかかっちゃうからです。 苦手なことをやり続けるには、苦手なことに意識して注意を向け続けなければなりません。 また同時に、周囲の誘惑や刺激に打ち勝つ必要があります。 注意を向けることと、注意を奪われないようにするだけでエネルギーがいります。 それに苦手なことですから、その工程だったり、やり方だったり、教わったことだったり、過去に学んだことだったりと、様々なことを記憶したり、記憶から呼び戻したりする必要があります。 つまり、注意を維持しながら、記憶の更新もしなくちゃならないんですね。 さらに、姿勢の保持が自然にできなかったり、手先が不器用だったりしたら、そういった身体の操作に関するエネルギーがプラスされるのです。 自閉症の人の中には、こういった認知活動を行う脳の部位の未発達や不具合、連携がうまくいかない人が多くいます。 ですから、様々な負荷がかかってしまうと、「とてもじゃないが、何かを学ぶ状態じゃないですよ」ってなります。 毎日、3、4時間も勉強しているのに、成績が下がる一方なのは、こういった背景があるかもしれませんね。 苦手なことじゃないにしても、何かを学ぶには、脳みそへの負荷を軽減させる工夫が必要です。 周囲の刺激を制限したり、学ぶ範囲や時間を細かく分けたり、頭の中で記憶していたものを機器に記憶させたり…。 あと、やっぱり苦手なことやできないことを学ぶには、好きなこと、得意なこと、趣味などとくっつけるのが一番です。 例えば、好きなマンガを読みながら漢字の勉強をしたり、好きなスポーツや遊びを通して社会性やルールを学んだり、好きな塗り絵を通して指先の動かし方を練習したり。

我が子が"腫れ物"になる悲しさ

「ずっと腫れ物に触るような感じで、息子と接してきました」 ある親御さんが言った言葉です。 目には涙を浮かべていましたね。 愛おしくてたまらなかった我が子。 好きなときに抱きしめ、いっぱい遊んでいたのに、いつしか気を遣って接する存在になってしまっていた。 きっかけは診断名がついたこと。 診断名がついて、「障害」という言葉を聞いて、絶望し、嘆き悲しんだ。 それでも、変わらず愛し続けようとした。 大切な我が子だからこそ、一生懸命勉強し、支援者を頼り、良いと言われたものはすべてやろうとした。 ここから徐々に歯車があらぬ方向へと進み始める。 「叱らないで、褒めて育てましょう」 「間違った行動をしたら、反応するんじゃなくて無視ですよ、お母さん」 「本人は悪くないんです。周囲の対応の仕方が悪いんです」 「家庭でもちゃんと視覚支援していますか?」 「落ち着かないのは、支援が合っていなかったからでしょう」 専門家と呼ばれる人達の言葉を素直に聞いているうちに、いつしか身動きができなくなってきた。 そして、接するのが、だんだん怖くなってきた。 もし、自分の接し方が悪くて、この子に悪い影響が出てしまったら、と。 いつしか一緒の空間にいるだけで、緊張し、辛くなってしまうようになっていた…。 親御さんと話をしていると、息子さんの話なのに、どうも他人の子の話をしているように感じたんですね。 親子の距離が遠いような。 だから、言ったんです。 「息子さんに遠慮していませんか?」 「息子さんと接するのってしんどいですか?」 って。 そうしたら、冒頭の「ずっと腫れ物に触るような感じで、息子と接してきました」という言葉があったんです。 我が子なのに、遠慮しながら、気を遣いながら生活してきたって、本当にしんどかったと思うんですよ。 でも、私は言いましたね。 「息子さんは障害を持っていたとしても、お腹を痛めて生んだ息子さんには変わりありませんね」 「息子さんは腫れ物ではありませんし、それを望んではいませんね。息子さんを腫れ物のような存在にしていたのは、お母さんの方だと思いますよ」 こんな話をしました。 きつい話だったかもしれませんが、ここで変わらなければ、親子共々どんどん悪い状況になってしまうと思い、直言したのでした。 お母さんは、こ

通訳としての心構え

「親御さんや支援者の役割は、異文化をつなぐ通訳のようなもの」と言われています。 定型発達の文化と自閉症の文化を理解し、お互いが分かり合えるように変換して伝えるのが役割です。 私も仕事を通して、親御さんにお子さんの言動の意味を伝えたり、どのように伝えたらわかりやすいかを提案したりします。 こういった通訳を通して、親御さんはお子さんの文化を理解していきます。 ですから、ただ通訳しているだけではなく、文化を学ぶお手伝いもしているのです。 自閉症の本人に対しても、私は通訳をします。 そして、同じように通訳を通して、定型発達の文化についても理解してもらっています。 定型発達の文化の学習ですね。 ずっと通訳に頼り続けるのではなく、お互いがお互いの文化について学んでいくことが大事だと思います。 時折、通訳し過ぎる人を見かけます。 自閉症の文化に合わせて、曖昧な言葉を一切使わず、具体的な言葉で事細かく説明する人を。 もちろん、相手の文化を尊重する上で大切なことなのですが、一方で相手がこちらの文化を学ぶ機会を奪っているとも言えます。 「なんで伝わらないんだろう」「どうすれば、伝わるんだろう」という疑問が文化を学ぶ意欲へとつながることもあると思います。 なんだか相手の顔を見ないで、通訳の顔ばかり見ている感じです。 わからなくても、相手の言葉に耳を傾けることで、通訳を通さずとも理解できるようになることもあると思いますね。 我が子の不思議な言動を理解するために、親御さんはまずその言動を目にしますよね。 それから、その言動の意味を通訳してもらって、理解、学んでいきます。 ですから、自閉症の人の場合にも、定型発達の不思議な言動をまず見てもらい、そのあとで通訳していくことも大事だと考えています。 自分自身で相手の文化が理解できれば、それに越したことはありませんね。 通訳に頼り切ってしまっては、通訳がいなくなったときに、まったくコミュニケーションができなくなってしまいます。 文化も学習課題の一つです。 「相手の文化を知りたい」という意欲を高めるために、敢えて通訳し過ぎないのも大切な心構えになります。

新学期が始まり、からかいが起き始める時期

新年度が始まると、「うちの子のクラスに、自閉症っぽい子がいて…」という話が良く出ますね。 進学したり、クラス替えが行われたりすると、それまで交流のなかった子ども達の様子を見ることになるので。 他の同級生の子を見て、「うちの子と同じ自閉症では、発達障害では」と感じる親御さんは少なくないですね。 親御さんが気づくということは、一緒に学ぶ子ども達はもっと気づくはずです。 「なんか違うな」「変わっているな」「変なヤツだな」って。 子どもはストレートですし、異質性には敏感ですから。 新年度が始まって間もない時期ですが、クラス内でのからかいは、すでに始まっている場合が多いです。 教師が気づいて、からかいを止めること。 親御さんが、お子さんの変化に注意することは当然ですね。 でも、止めたあとの対応の仕方というか、本人への説明の仕方にコツがあります。 いじめの場合もそうですが、からかわれたら大人は共感しますね。 「辛かったよね」「嫌な思いをしたよね」って。 で、そのあと、からかってきた子どものことを悪い人みたいな話をしますね。 または、「本当はきみと仲良くしたかったんだと思うよ」とか、「表現の仕方がまだ上手ではなくて、練習中なんだよ」とか、建前という自閉脳には分かりづらい嘘をつきます。 自閉脳の人には、嘘をついちゃいけませんね。 それを事実と受け取るので。 からかいやいじめを「本当は仲良くしたい」とか言っちゃうと、疑いを持たずにそうかと思い、からかってくる相手と距離をとらなくなっちゃいます。 反対に自ら近づいていく場合も。 からかってくる人、いじめてくる人とは距離をとるのが、大切な生きる術です。 嫌な人と距離を置かないと、相手の行動はエスカレートするだけ。 ですから、きちんと事実も伝える必要があります。 「あなたが廊下を歩いているとき、独り言を言って笑っているのが、周りから見たら奇妙に見えたんだよ」 「あなたが授業中に「こんな問題、簡単です」って言ったけれど、その問題を難しく感じる人もいるから、その人にとっては、あなたの言動が嫌味に聞こえたんだよ」 というように、からかいの発端となった本人の行動もきちんと伝えます。 これを伝えないと、常に被害者意識を持っていたり、他罰的だったり、人格否定されたと思ったりすることがあります。

ベストを選ぶのではなく、選んだものをベストにする

今春、新しい学校で入学式を迎えた人たちがいます。 その人たちの中に、昨年からこの進路について相談を受けていた人がいました。 本人からも、親御さんからも、「どの学校を選択すればよいでしょうか?」と。 「どの学校を選ぶか」「どの進路を選ぶか」っていう問いに対して、私は答えを持っていません。 結構、この進路の話のように代わりに選択してくださいっていうような相談が多いですね。 たぶん、このように自分で決められない人は、今までに失敗した経験が多く、もうこれ以上、失敗したくない、と思っている人か、自分で決断できないくらい脳みそが疲れちゃっている人だと感じます。 こんなとき、いつも私は、一番おいしいところを私に(他人に)渡しちゃってモッタイナイな」と思います。 選択に至るまでの過程って、頭を使うし、悩むし、疲れるし、大変なんですが、いざ決断というときって高揚感がありませんかね。 だって、自分で決められるんですよ、未来を。 もちろん、バラ色の未来ってことは少ないかもしれませんが、自分の手の中に選択肢があるっていうのはワクワクすることだし、幸せなことだと思うんです。 自分で自分のことを決められなくて、他人がすべて決めていく人生ってつまらないと思います。 覇気のない受け身な人を見ると、それが子どもであっても、成人であっても、生活の中に選択肢がない、または選択するスキルを持っていないことが多いですね。 反対に、生き生きとした毎日を過ごしている人って、自分で選択している人ですね。 初めて本人とお会いするときには、必ず"選択"も確認するくらい影響の大きいポイントです。 冒頭の「どの学校を選択すればよいでしょうか?」という相談に対して、私は「いま、ベストだと思う学校を選択してください」という話をしました。 結局、どんな選択をしたとしても、良い面もあれば、悪い面もありますね。 つまり、自分自身でベストな選択を思えるかが大事なのであって、選んだ道をベストな選択にできるかは、そこでどのような振る舞いをするかにかかっているんです。 選んだ環境で、自分がベストを尽くすと、それがベストな選択になるんです。 未来は誰にも分かりません。 ですから、そのとき、そのときで、ベストだと思う選択をしていくんですね。 入学前に会ったとき、言っていまし

先送りの代償は、日に日に大きくなり続ける

私は問題の先送りっていうのが大嫌い。 先送りにして、うまくいったことがないから。 問題に気づいたんだったら、すぐに動き始めなよって思います。 日々、仕事をしていて、「もっと早く対応していたら違っていたのに」ってことが多々あります。 「もっと幼いときに」「問題の出始めに対処できていたら…」と思えば、悔しさが湧き出てきちゃいますね。 頭が柔らかいときに、身体が小さいときに、糸が複雑に絡まる前に、適切な対応ができていたら、人生変わっていたのに、と。 本人はしゃべらなくても、気づいていなくても、訴えなくても、今の本人とは別の姿が見えちゃうから、「様子を見る」「何もしない」「先送り」って残酷って思っちゃう。 成人してからでも、問題が大きくなったあとでも、必ず改善できるって信じて支援をしています。 でも、一日遅れたら、取り戻すのには3日、4日、5日というように、何倍もの時間がかかるような印象は持っていますね。 私はベストを尽くす。 でも、先送りしていた分、本人にも、家族にも、私は多くを求めますよっていうスタンスです。 今までの分を取り戻すくらい私が支援していない時間であっても、変えるための努力はしてもらいます。 新年度、新学期が始まり、学校や支援機関には先送りされた課題を持ったまま来る当事者の人達がいると思います。 是非、今、気づいたんだったら、「今年中に」とか、「今年度中に」とか、悠長なことを言っていないで、すぐに取り組んでほしいのです。 新年度、新学期が始まって、まだ数日でしょうが、問題は前年度から続いています。 その過去から続く問題は、そのままにしていた時間分、または数倍の時間が解決するまでに  かかります。 ですから、親御さんも「まだ始まったばかりだし」とか、「新学期早々に言ったら、モンペと思われないかな」とか言って自分を守っていないで、声に出してほしいと思います。 より良い対策を練るための先送りだったら歓迎です。 しかし、何も考えずに、ただ問題を先送りにしているんだったら、私は大きな声で批判をします。 先送りは"逃げ"です。 問題や課題から逃げていたら、未来を変えることはできません。 ですから、入学式、始業式からエンジン全開でいきましょう。 人生に年度替わりはありませーん。 支援はタイミング

著者の目を通して本を読む

おもしろい本の読み方をしている人がいる。 どんな本を読んでも、「ほら、私の言っていることって正しいでしょ」って言う人。 私からしたら、「えっ、そんな主張していないはずだけど」って思うんだけど、その人からしたら自分と同じ主張をしているらしい…。 つまり、こういう人は、「著者が何と書いているか」ではなくて、自分の読みたいように本を読んでいる人です。 自分の信条によって、文章が歪んでしまうんですね。 良いように解釈しているというか。 己の主義主張を補完するために本を読んでいます。 私は、自分の主義主張は横に置いといて、本を読むようにしています。 著者の視点を感じるためです。 いろいろな視点を頭の中に入れ、臨機応変に視点を変えられることが自閉症支援の基本ですから。 自分以外の視点を取り入れるため、本を読んでいるともいえます。 自分の視点のみしか持たないと、冒頭の人のように自分の視点に合わせて情報を歪ませてしまう危険性がありますね。 支援者の中にも、自分の視点しか持たない人、持とうとしない人っていますね。 関わっている人が「できる人」と思えば、「こんなこともできます」「あんなこともできます」って言いますし、もしできなくても「本当はできるんです」「今日は、たまたま調子が悪いんです」なんて言うこともあります。 反対に、この人は「ダメな人」と思えば、上手にできたとしても「支援者がいたからできたんだ」「他の場面ならできない」「実際の就労なんて無理」とか言いますね。 アセスメントって、表に出た行動のみで解釈するので、支援者の私情や信条が入りやすいんですよ。 ケース会議に出ても、支援者の私情&信条が強い人がいるので難しいですね。 支援者の思い込みが強くて話し合いにならないこともあります。 同じ人を支援しているはずなのに、正反対の解釈をする人もいます。 ですから、会議の大半の時間を本人の話ではなく、支援者の思い込みを解くために使わなければならないこともあります。 自分の内側にまっすぐな信念を持つことは悪くないと思います。 でも、他人の視点が入るだけのスペースは空けておきたいですね。 自閉症の人達は、一人ひとりの違いが大きいわけですし、脳みそのタイプが違うわけですから、様々な視点から見ていく必要があります。 そのためにも、著者の目を通して

「見えないものは、ない」という方たちに"希望"という情報を提供できるか

日々、私がお付き合いしているのは、「見えないものは、ない」という方たちです。 ですから、「見えないものを見えるようにする」ことも、大事な支援だと思っています。 社会的なルールやマナー、相手の気持ち、周囲からの願いなど…。 これらの情報は、自分以外の"他人の視点"と言えるでしょう。 その人に見えていないものは何かを探り、情報を提供していきますが、その中には"他人の視点"以外の情報もあります。 例えば、同じ自閉症の人の情報です。 特に、生き生きと生活している自閉症の人の情報。 私が支援に携わらせて頂いた方の中には、自閉症という診断名を告げず、一般の就職試験を受け、採用された人が何人もいます。 その中には、働きが認められ、本採用になったり、どんどんキャリアを重ねている人もいます。 また、知的障害を持っていますが、一般枠で就職し、他の人と同じように働いている人もいます。 このような地元にいる人達の話をすると、みなさん、とても驚くんですね。 「同じ障害を持った人で、そんな人がいるとは思わなかった」って。 「病院や支援機関の人の話では、一般就労は無理って言われたので」って。 「ソーシャルスキル」とか言って、"他人の視点"の情報は提供されますが、こういった地域で生き生きと暮らしている人の情報って、今、困っている本人たちにはあまり教えないんですね。 良く言えば、本人たちのプレッシャーにならないような心遣いかもしれませんね。 「頑張らせない」「無理させない」がギョーカイスタンダードですから。 そもそも自分たちが支援した人の中に生き生きと生活している人がいない、っていうのもあるかもしれませんが(ブ) 生き生きと生活している自閉症の人の情報ってとても大事だと私は思うんです。 希望になりますから。 今はよくない状況かもしれないが、やりようによっては自分だって明るい生活が送れるかもしれない。 こう思えると、未来へと進むパワーになると感じますね。 ちょっと頑張ろう、ちょっと生活を変えてみようと思えるだけで、少しずつ歯車が前進し始めるんです。 このような明るい未来や希望も、「見えないものは、ない」という方たちにとっては、見えていないことが多いんですね。 私はよく話をしますよ、地域で

「成長したい!」という情熱

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いつも「どうやって火をつけようか」と考えていますね。 もちろん、家じゃなくて、心の火。 もっと具体的に言えば、その人が持つ「成長したい!」という情熱のことです。 私は、どんな人でも、自分の中に「成長したい!」という情熱の火を持っていると思うんです。 消えかかっている人もいれば、「今のままでいい」「どうしようもないんだ」という人もいますが。 まったく成長したいという気持ちを持っていない人はいないでしょう。 みんな持っているんです、成長したいという情熱の火を。 でも、本人の状態や経験、環境によって消えかかっている。 また中には、見ようとしない、気づいていないだけの人もいるように感じますね。 私のところにくる依頼って、本人からだけではなく、親御さんや支援者からもくるんです。 本人から依頼がくる場合は、その人自身が「変わりたい」「成長したい」という気持ちを前面に出してくるんです。 でも、親御さんから、支援者からの依頼の中には、本人が乗る気ではない、考えられる状態ではない人が多いんですね。 依頼を頂いて、訪問すると、「なんで来たんだよ」「なにが目的だよ」っていう本人からのリアクションなんてしょっちゅうです。 こんな状態で、何かを始めようとしても、ほとんど効果はないですよね。 ですから、まずはその人の内にある「成長したい!」という情熱をどのように燃え上がらせるかを考えます。 一緒に楽しいことを考えたり、未来や夢を語り合ったりします。 ときには、「このままではいけない」と直球勝負をすることもあります。 叱ることだってありますよ。 家族が心配していることを伝えることもあります。 とにかくその人に合った心を揺さぶる方法で「成長したい!」という情熱の炎に風を送ります。 どんなに拒絶されても。 だって、どの人も「成長したい!」という情熱を持っているはずだから。 ズバッと言えば、本人が変わらなくても、誰も困らないんです。 親御さんや支援者がいくら心配してても。 本人の人生は、他の誰のものでもありませんから。 私だってその人のことを一生なんか支援できませんし、幸せになろうが、不幸になろうが関係ありません。 だからこそ、その人の持つ「成長したい!」という情熱を刺激し、自分自身で成長していってもらいたいと思うんです。 自分の未来を変え

構造化信仰の解毒完了

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昨日、また卒業生を送りだしました。 私の支援からの卒業です。 目標だった受験にも合格しましたし、ポジティブな変化も見られました。 自分自身の弱点を知り、対処の仕方、成長の仕方、心身の整え方も身に付けましたので、「進学しても頑張ります!」と力強い言葉を残して旅立っていきました。 最初は受け身で、おどおどしていたのですが、見違えるほど、たくましくなったような気がします。 ひと時でしたが、成長する姿をそばで見られたのは、本当にうれしいことです。 嬉しいことといえば、この若者のお母さんの変化もですね。 最初にお会いしたときは、「視覚支援」「視覚支援」「視覚支援」の方でした。 なんでもかんでも、紙に書いて教えようとしていましたし、うまくいかないことがあれば、「このし書く支援のどこが悪いんでしょうか?」と、視覚支援にすべての原因があると考えているような方でした。 「構造化すれば、自閉症の人はハッピーになる」という当地特有の誤学習をされてましたね。 視覚支援に親御さんの方がこだわってしまって、本人は全然成長できないという典型的なパターンでした。 だって、構造化しても本人が変わらなければ、状況は変わりませんから。 だって、構造化ばかり見ていて、本人を見ていませんから。 ですから、依頼された内容を本人にクリアしてもらうことと同時に、裏の目標として「構造化信仰の解毒」がありました(笑) とにかくお子さんを見てもらうことの重要性を訴え続けましたね。 お子さんには、こういった特徴があり、課題がある。 それを実際の場面を通して理解してもらいました。 そのあとで、じゃあ、お子さんを弱点を克服するには?どうやって成長、発達させるの?という点を私がお見せし、お母さんにもやってもらいました。 いくら説明しても、お母さん自身が支援し、ポジティブな変化を実感できなければ、考え方は変わっていきませんので。 お子さんが変わっていくと、お母さんも変わっていきましたね。 そして、お母さんの子育ての仕方が変わるから、お子さんもさらに変化が加速していくんですね。 構造化に当てはめて失敗を繰り返していた悪い流れが変わり、良い循環になっていきました。 構造化に当てはめられた本人も辛かったでしょうし、当てはまらなかったのを見ていたお母さんも辛かったのでしょう。 親子関係

ご褒美の4年目突入!

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本日で開業4年目を迎えました。 利用してくれている方、卒業された方、応援してくれている方のおかげだと思っています。 朝から多くの励ましのメールを頂戴しました。 みなさま、本当にありがとうございます! 3年間、無収入でも仕事が続けられるくらいのお金を貯めてからの起業でした。 「まずは3年間」 「とにかく3年間」 の気持ちで、てらっこ塾を始めました。 ですから、この4年目が迎えられたことを私自身も心から喜んでいるところです。 この春より社会人として飛び立った方たちは、みなさん、今日も出勤&研修だそうです。 このように、それぞれの場所で、それぞれの方が自分の能力を発揮し、活躍されることが真の啓発だと思っています。 一緒に働きながら、お互いの"人"を理解していく。 人を理解した先に、自閉症というものがあるのだと考えています。 自分たちの手でより良い社会を築いていってもらいたいというのが、私の心からの願いです。 「とにかく3年」の3年が終わりました。 学生時代から目標にしていた起業でしたので、「3年できれば悔いはなし」というのが正直な気持ちでした。 利用してくださる方が少なければ、きっぱり3年で辞めて、生きるための仕事に就こうと考えていました。 ですから、ここまでお仕事を貰えるとは想像していませんでした。 私の支援を信じて利用してくださったみなさまのおかげです。 3年間を振り返ると、「信じられるか」が大事だったと感じています。 利用してくださる方は、成長の一端を任せるのですから、大久保を信じられなければなりません。 ですから、結果をお見せすることが、安心して信じてもらえることにつながると考え、尽力しました。 また私も支援を行っていく中で、その人の成長を信じることができるかが重要でした。 今がどんなにひどい状況であったとしても、必ず改善する道はあり、必ずその人の中に成長する力を持っている。 この信念を持ち続けながら関わらせて頂くことが、未来を変える後押しとなるのだと実感しています。 3年間で、多くの「もう支援はいりません!」「自分の力でやっていけそうです!」という言葉を聞きました。 学校で伸び伸びと勉強できている方、自分の未来のために新たな進路を歩みだした方、社会人として地域で働いている方…。