「自閉症だから」という思考

普通の子として
ちょっと変わった子として
不思議ちゃんとして
生きてきた人が、あるとき、診断を受けに行く。
そのきっかけは、自分の中に生まれた違和感だったり、実生活でのトラブルだったり、周囲からの勧めだったり…。

周囲との違いに気がつき、その違和感を自ら調べ、診断までたどり着く人もいます。
でも、ほとんどの人は、離職や不登校、いじめや精神疾患など、ネガティブな出来事が出発点となっています。
だから診断を受けたとき、白黒思考と重なって「今までの問題は、自閉症のせいだった」と捉えやすいのです。
それに医師も、支援者も、「〇〇というトラブルの背景には、自閉症という特性が関わっていた」なんてことを言うので。
本当は、自閉症だけがトラブルの背景ではないのに。

家族が「あなたの障害に気づけなくて、ごめんなさい」などと謝罪の言葉を述べれば、「早く気づいてくれれば、私はこんな辛い思いをしなかった」と恨んだり…。
悲しむ家族を見て、「自閉症って個性さ」なんてポジティブな感情が湧くわけがありませんよね。
家族の謝罪だって、早期に気づけなかった自分自身への罪の意識や後悔、子どもに余計な苦労をかけてしまったという悲しい思いなど、複雑な感情を「あなたの障害に気づけなくて、ごめんなさい」という一言にしているのです。
でも、自閉脳の捉え方では、このような定型発達の意図とは異なる受け取り方をしてしまいます。

「自分を理解したい」というような前向きな診断なら違うのでしょうが、ほとんどの場合は、トラブルが起きたあとの診断です。
ですから、診断直後にどのような話をするかが重要だと思います。
あまりにも「自閉症ガー」とやってしまうと、トラブルと自閉症を強くくっつけちゃう危険性があります。

何でも自分の障害のせいにする人がいますが、そういった方のほとんどは、ある程度、大きくなって診断を受けた人、またはトラブルが起きたから診断に至った人ですね。
これは、その人の性格的な問題と言うよりは、トラブル=自閉症というような思考を作らせてしまった周囲にも問題があるように感じています。
その問題の1つが、上記に書いたような診断時の説明の仕方の問題、周囲のリアクションだと考えています。

私は、本人たちと話をするとき、「自閉症だから」というような誤解を招く言い方はしないようにしています。
トラブルの原因は、複数あって、その1つに自閉症という特性がある、というような表現をします。
それでなければ、なんでも自閉症のせいにする思考を強化してしまうから。

自閉症だとしても自立した生活を送っている人は世の中に山ほどいますし、トラブルを起こさない人の方が多いですね。
反対に、自閉症でなくても、ひきこもる人もいますし、就労ができない人もいます。
トラブルの要因なんて、1つに絞ることはできません。
でも、こういった自然に浮かんでくることが、自閉脳では自動的に想像できないこともあるんです。
ですから、トラブル=自閉症、なんでも悪いのは自閉症、というような思考が形成されやすく、また1度形成された思考を変えるのは難しい。
そうして、こういった思考から抜け出せない人は、「他人よ、どうにかして」「社会よ、私を助けてくれ」という主張になりやすい傾向があるのです。

就労できない理由は、自分が自閉症だからでも、早期診断を受けなかったからでもありません。
就職の面接に行っていないから。
就職に必要なだけの体力がないから。
お金が貰えるだけのスキルがないから。
身なりを整えていないから。
苦手なことを克服していないから、改善しようとしていないから。
苦手なことを「苦手です。こういった手助けがあれば、できます」と伝えていないから…。

このように理路整然と話をすることで真実とやりようが見えてきますし、前へ進もうとする意欲が生まれてきます。
「自閉症だからねー」と言っていれば、その場から動けるわけはありません。
だって、自閉症はなくなりませんから。
「自閉症でなくなったら、ひきこもりから脱せます」なんて言われても、「じゃあ、自分はどうしたら良いんだ」と思うしかなくなっちゃいますね。
こういったトラブルを抱えている人の支援の第一歩は、「自閉症だから」という思考を弛めていくことだと考えています。

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