2016年9月13日火曜日

学校には行かないけれど、児童デイには行きます

学校には行かないけれど、児童デイには行く。
このような子ども達の姿が珍しくなくなったと聞き、ガックリきましたね。
これで良しとする大人がいるという証拠ですから。

学校って不登校の“数”を減らしたいんですね。
教育委員会がうるさいですし、管理職は気になる数字ですし。
ですから、個別のアプローチをして何とか登校できるように促します。
でも、時間と労力がかかりますし、結果が伴わないことが多々あります。
そこで学校は通院を勧めるんですね。
だって、診断名が付けば、病欠扱いにできるから。
これが一昔前の手でした。

しかし、近頃では、病名ではなく、発達障害の診断を受けるように促すという新手が現れたんですね。
とにかく学校側は、「発達の遅れがあるかもしれません」「一度受診を」と言うんです。
親御さんは不登校で悩んでいる中、さらに「発達障害」と言われれば、びっくりしますよね。
それで、急いで病院へと向かいます。
病院に行けば、ほとんどの場合、ちゃんと発達障害の診断が出ます。
だって、ハナから学校が勧める病院は、発達障害が増えて欲しい系の病院だから。

発達障害の診断名がつけば、次に勧めるのは相談機関。
相談機関は、相談1回ごとに報告書の実数が増えて、万々歳です。
そして、児童デイという存在を伝え、手続きの仕方も丁寧に教えます。
で、自分のところと仲良しこよしの児童デイを勧めて、はいっ、完了。
仲良しこよしの児童デイさんは、コンサルテーションを頼んでくれますからね。
ここでも実数1ゲット!
いや、年に数回、支援ミーティングがあるから、その分、増えていきますね。
児童デイも、自己努力しなくても、お客さんが定期的にいらっしゃるので、こちらもOKです。

学校側も、「特別なニーズのある子」となれば、そこまで不登校に過敏になる必要はなくなりますね。
ギョーカイ連中も、「お母さん、児童デイは療育をやるんですよ」「児童デイに通えているだけでも、〇〇くんはとっても頑張っています」なんてお決まりのセリフを言えば、親御さんの心配は別のことへと逸れていきます。
これで、みんなが丸く納まりますね、本人以外は。

「学校行かないけれど、児童デイには元気に通ってます」と言われて、「それはよかったね、お母さん」じゃねーよ、学校、病院、相談機関、児童デイ!
本人にとっては、何のメリットもない診断名をつけられて、しかも、「障害」という状態ではない子に、「はい、スケジュール」「はい、視覚支援」じゃないでしょ。
「やっぱりコミュニケーションカードがあると、きちんと伝えたいことがわかりますね」って当たり前だろ、その子は障害を持った子ではないのだから。

診断って、福祉を使うためのもの?
診断って、問題の根本をあやふやにするためのもの?
診断って、行政に提出する実数を増やすためのもの?
診断って、ギョーカイが生き延びるためのもの?

学校には行かず、児童デイにだけ通い続けることが、この子の将来にとってベストの選択なのか、立ち止まって考える必要があるのではないでしょうか。
児童デイって18歳になったら通えないよ。
そもそも「私は障害者です」と言って生きていくのかい?
子ども自身は、それで納得しているの?
このままでは、「不登校の理由は発達障害があるから」ってならないかい?
「当事者主体」「当事者のニーズに応える」と言いながら、いつもギョーカイの思惑に翻弄されるのが、子ども達、そして情報を持たない親御さん達です。

私は忌々しき事態だと思い、ブログに表しました。
これがまかり通る社会を今の子ども達、未来の子ども達に残してはいけないと思っています。

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