2016年9月14日水曜日

人当たりの良いヤブ医者が一番儲かるのと、ギョーカイの仕組みは同じって知ってましたよね??

昨日のブログを書いていて、ふと思ったのですが、もしかしたらギョーカイの仕組み自体をご存じない方がいるのかもしれませんね。
それだと、「支援者は一生懸命支援してくれる」「支援者は自立のために手助けしてくれる」「支援者は当事者のことを一番に考えてくれる」なんて本気で思う人がいてもおかしくはないですね。
いや、確かにいるんですよ、支援者の中にこのような人たちは。
でも、それは“支援者”だから、ではないんですよ。
それは、その“人”が一生懸命な人だから、志のある人だから、プロフェッショナルだから、なんです。
私の言っている意味は、以下の文章を読めば理解していただけると思います。


堤未果氏の新刊「政府はもう嘘をつけない」(角川新書)の帯に書かれていましたね。
「お金の流れで世界を見抜け!」って。
ギョーカイもお金の流れを読み解けば、その仕組み、成り立ちが見えてきます。
ギョーカイのお金ってどこから得ているのでしょうか?
利用者負担とか言われていますが、そのほとんどは税金ですね。
まあ、ライセンスビジネスとか、検査だけで〇万円ってところもありますが、それは民間会社の話です。
ちなみに、福祉サービスを使っていると、あまりお金がかかっていないような気がするかもしれませんが、実際、同じ業務を民間が100%利用者負担で、ってなったら、上記の民間会社のような利用料がかかるのですよ。
「タダだからイイや」って雑談をしに、相談機関に行ってはいけません。


ギョーカイの財布の中身の大部分は、税金です。
ということは、その税金が適切に使われているかを評価するのは、“行政”の仕事になります、“利用者”ではないのですよ。
税金が少しでも入ると、作成すべき書類が膨大になるのは、お役所の仕組みだからですね。
個別支援計画がどうだとか、施設の建物、人員が要件を満たしているかどうだとか、適切にお金が使われているかどうだとか、いろいろ行政に提出しなければいけません。
で、ここがミソです。
もし自分が行政の人間で、相談機関でも、児童デイでも、通所、入所施設でも、その機関を評価しなければいけないとなったら、どうしますか?


1つの機関から、膨大な報告書が届くのですよ。
1つ1つ丁寧に見ますか?
もちろん、紙面上の部分は、きちんと精査し、評価はできると思いますし、しなきゃいけません。
でも、紙面にかかれていないことまで評価しますか?
というか、労力を割いてまで、自分の足と目で現場を見ますか?
もっと具体的に言いましょうね。
その個別支援計画が、その場で行われている個々の支援&療育が良い支援か、意味のある支援か、そうではないのか、なんてことを行政の人の中でどれくらいの職員さんができるのでしょうか?
「この子のスケジュールの提示数は、半日でいいの??一日、行けるんじゃない」
「課題分析の評価、あまいんじゃないの」なんてね…(笑)
たとえ、できたとしても、各施設を利用している利用者さん、一人ひとりに聞き取りをし、評価するっていったら、それだけで1年が終わってしまいますよ、現実的ではありません。
しかも行政には、定期的な部署の異動のルールがあるのですし。


個別支援計画だって、膨大な数の提出書類の中の1つにすぎません。
それよりも、指摘するのなら、支援の専門家ではない人でも指摘しやすい部分を指摘するでしょ。
防火設備がどうだとか、提出書類がすべて揃っているかどうだとか。
だから、個別支援計画を1つ1つ丁寧に見て、その内容までなんて見ているとは考えにくいのです。
でも、立場上、その機関の支援が適切かどうかは評価しなければいけません。
で、見るのが、実績数です。
これって素人でも判断しやすいですよね。
昨年よりも、実数が伸びていれば、ニーズがある機関、頑張っている機関って形上は評価できますから。


「ふむふむ、他県の機関より実数が多いな」
「昨年よりも、利用者数が伸びてる。減ってないからOK」
「稼働率は100%に近いな」
「講演会や学習会、機関支援など、定期的に行われている」
「よし、適切な機関として評価しよう」
「(書類も揃っているし、実数も良いから、自分が“適切”と評価したあと、何かあっても自分の責任は問われないな。異動するまでの間、問題が起きなければOK)」
まあ、どこもこんなところでしょう。


ギョーカイが何を見て行政から評価されるなんてことは、百も承知ですね。
だから、せっせと実数を稼ぐのです。
だって、支援を受けにきた人が、1回で「もう大丈夫です」ってなったら、実数は1しかカウントされませんので。
できるだけ長く利用してほしいんですね、そういう評価の仕組みだから。
よって、「人当たりの良いヤブ医者が一番儲かる」仕組みと同じと言っているわけです。
実数を増やすには支援を延ばすか、利用者自体を増やすのです。
「生涯にわたる一貫した支援」って良い言葉ですね~。
ちょっと発達に遅れがってなったら、すぐに「きみは発達障害」って。
「自閉“傾向”」「“グレーゾーン”の子」って良い言葉ですね~。


ここまで読んでいただいた方には、私が支援者批判をしているように感じるかもしれません。
でも、それは問題の根本的なところで、私の考えとは違います。
この問題の根本は、支援者ではなく、このシステム自体です。
本来なら、その人の問題が解決し、成長でき、自立できたら、それが一番の評価になるはずです。
つまり、「利用しました」「はいっ、一回で解決です、自立です」がベストなのです。
ですから、実数ではなく、福祉サービスを使わず自立できた人の数、または福祉サービスを利用するにしても、全部が全部ではなく、部分的にもその人の持っている力を使い、より自立的に過ごせる場面が増えたという数が評価されるべきだと考えています。
もちろん、身体的な障害を持っている人とは同じようにはできないかもしれませんが、少なくとも発達障害の人達の支援に対しては、このような評価に変えていくべきだと考えています。
利用者の利益が、支援者のモチベーションと評価につながる仕組み。


しかし、最大の抵抗勢力がギョーカイなんですね。
だって、支援の質、自立度が評価の対象になれば、支援者の技量が問われます。
今のように「大卒一年目で相談業務やってます、エヘッ」なんて無理ですし、求人があったから児童デイで働いています、なんていうのも一瞬で淘汰されます。
それに当然、ウデが良い支援者がいて、どんどん自立させられたら、「こんなに予算出さなくてもいいよね」って判断されるこのご時世です。
だから、必死に「自閉症は治りません!」「生涯にわたる支援が必要なんです!」と訴えるのです。


こういった問題は、ギョーカイ内の志ある支援者たちは気が付いています。
私は異端児のような扱いをされていますが、同じ想いをもっている支援者たち、仲間たちがいるのです。
でも、その人たちがおのおのの場所で、本当の自立、利用者の最大限の利益を目指したら、冷や飯を食わされるのが現実です。
しかも、そういった支援者だって、働いて稼ぎ、生きていかなければならないのです。


だから、私は次のようなことを言いたいのです。
「もし身近な支援者が、あなたのために最大限支援してくれているのなら、支援者ではなくて、その“人”が本物なのです。
現場の職員は、日々、こういったジレンマと戦いながら支援しています。
こんなシステムでラクだ、良いなんて、思っている人ばかりではありません。
でも、人間は弱い生き物で、自分を優先させてしまうことが往々にしてあります。
だからこそ、当事者の人達、親御さん達には、支援者に頼り切るのではなく、「自分の一番の支援者は自分自身だ!」という主体性を持っていただきたいのです。
どんな支援を選ぶのか、どんな人を選ぶのか、どんな未来を選ぶのかは、一人ひとりの決断にかかっているのです」と。

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