近い将来、支援者が“親御さん”ばかりになるでしょう

これから10年もしないうちに、“支援者が親御さんばかり”という時代がやってくると予想しています。
児童デイのスタッフも、学校の補助員も、就労支援の支援員も…。


労働人口の減少と、障害者福祉、教育にかけられる予算の削減で、一人の人間が働いて生きていくには十分な対価を得られない仕事になるでしょう(もうなってるかっ)。
でも、仕事自体はなくなることはない。
そうなると、この仕事を求める人は、対価以外の部分でやってくる人になります。
そこで増えてくるのが、障害を持った子を育てている、または育てた親御さんということになると思います。
労働と対価の差を埋めるのは、個人の“想い”ですから。


ギョーカイは癒着が激しいので、「(客観的に見て)どの児童デイが良いと思いますか?」と訊かれることがあります。
まあ、私が親御さんの主体性を奪うことも、親御さん自体が覚悟をもって選択できないのも問題なので、私は明確な答え、意見は言いませんが、考えるヒントは言います。
見学に行く際、事業所内で見るポイント、そして、どの児童デイにも、“親御さん”がいるので、その親御さんではなく、その親御さんの子どもさんを見て、我が子もその子と同じようになりたいと思うか、どうかが重要だという話をします。
「あの親御さんの息子さん、娘さんのように、将来なってほしい」と感じるのなら、入って損はないと思います。
むしろ、その親御さんの振る舞い、考えから、大きなヒントがもらえるはずです。
しかし、その反対もあるわけで…。


この小さな地域で、15年以上、この業界にいると、どういった親御さんで、どういったお子さんなのかがわかるのです。
正直言えば、他人のお子さんの支援をやっている場合じゃないでしょ、相談に乗っている場合じゃないでしょ、と思うことも少なくありません。
仕事として他人様の支援、相談をやっている場合じゃなくて、まずあなたのお子さんの成長、幸せのために動いてほしい、と思うのです。
我が子が問題行動で、その子自身も、周りも、大変な思いをしているのに、どの口が、どの手が相談、支援しているんだ、と沸々したものが湧き上がってくることもあります。
だいたいそのような人は、我が子の課題を「〇〇の支援が悪い、理解がない」と言って他人のせいにするのが相場なので、沸点に達する場合もあります。


私は親御さんに求めるものが大きいですし、ギョーカイの支援者より、かなり厳しいと思います。
それは第一に、親御さんの持っているものが、子どもの成長と未来に影響するから。
また、このままの福祉制度、特別支援教育が未来永劫続くわけがないから。
しかも、近い将来、もしかしたら今の子どもが、まだ成人する前に、大きな変化が訪れるかもしれないから。
そして、冒頭で述べたように“支援者が親御さんばかり”という時代が来るはずだから。


親御さんが支援者になったとき、ただ「私の子も障害を持ってました」では、適切な支援はできないと思います。
しかも、親御さんの基準は、いくらあとから勉強しようとも、研修を受けようとも、“我が子”になるはずです。
良い支援、悪い支援は、我が子基準になってしまうのは当然だと思います。
ですから、我が子を育てる際、いろんな方法を知ってほしいですし、学んでほしい。
そして、自分自身の頭で考え、手を動かし、子どもに合わせた支援を作り上げる経験をしてほしいと思うのです。
それが我が子の成長、将来の可能性へとつながりますし、もっと先を見れば、その親御さんが支援者になったとき、これから生まれてくる子ども達の支援へとつながると考えているのです。


ギョーカイは、どうあがいても縮小していくしかありません。
そうなれば、全国に散らばる少数の本物の支援者、残党のギョーカイ支援者、パートの一つです支援者、大部分の親御さん支援者となるでしょう。
私は、ギョーカイが消え去ったあと、次に特別支援を支えていくのは親御さん達だと想像しています。
だからこそ、私は本人たちの発達援助と同じくらい、親御さん自身にも私の関わりを見てもらい、感じてもらい、考えてもらうことを大切にしています。


*一年前のブログ『引き継ぎが日本語でできるとは限らない』も近未来を想像したものです。
どちらかというと、“親御さん支援者”の次にくる未来だと思います。

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