2016年11月25日金曜日

私たちは、進化の途中

人類の誕生は、およそ600万年前と言われています。
類人猿、猿人類、原人類、旧人類という段階を経て、現生人類に至ります。
果てしなく長い進化の道のりを経て、今の私達がいることを感じます。


こういった過程を知ると、「進化した姿が我々だ」という思いがしてきます。
でも、そうではないんですよね。
600万年を経て、今の姿になった私達も、人類の歴史からすれば、進化の途中。
これから先、どのくらい人類が歴史を重ねていくかはわかりませんが、私たちもまた進化を続けている。
100万年後の未来では、私達とは別の人類が存在しているのかもしれませんね。


人類の歴史からすれば、ヒトの一生は、ほんの一瞬だといえます。
でも、その一瞬の中にも“進化”があるのだと思います。
600万年というとてつもなく長い時間の中で生きた、とてつもなく大勢のヒトたちと同じように。
一瞬、一瞬の積み重ねが、今の私達を形作っている。


私達の中に“進化”が存在しており、その進化の歩を進めるために私達がいるような気がします。
ごくわずかでも、前に進もうとするというのが、ヒトの自然な生き方。
ヒトも環境の一つ。
自分自身がより良く成長することが、周囲の環境をより良い方向へと変える力となり、より良い未来を作っていくような気がしています。
私の行える“進化”を追い求めていこうと思います。



2016年11月23日水曜日

書店全体から見た“障害児教育”のコーナー

階段を上って、専門書のコーナーに向かう。
馴染みの棚の前に立ったときに、私は気が付いた。
「そういえば、久しぶりにここに来たな」と。


数年前までは、よくここに来ていた。
新しい書籍が並べてあれば、手に取り、中を確認。
知識の更新とともに、療育の流れ、支援者の流れを感じていた。


いつからか、新刊を見ても、手を伸ばさなくなった自分がいた。
中身は分からない。
ただ、タイトルと誰が書いたかを見えば、私にとって、いや、私が関わらせてもらっている人達にとって、必要な書籍かどうかは見えてきた。


目的の書籍がない限り、“障害児教育”のコーナーには行かなくなった。
答えは、この棚の外にある、と感じたから。
心理学、生物学、脳科学、人体、進化、健康、歴史…私をワクワクさせた。
それと同時に、日々の仕事に活きるヒントが手の中に集まっていた。


手の中に集まったヒントを眺めていると、「自分は人を育てる仕事をしているんだ」という声が聴こえてくる。
障害児教育の棚の前をうろうろしていた自分は、人を育てる仕事はしていなかった。
ただ自閉症支援に携わっていた人間だった。
自閉症支援という狭い世界の中をうろうろ歩き回っていた人間だった。


障害児教育のコーナーは、書店全体から見れば、とても狭い空間。
その狭くて小さな空間では、障害者としての成長、より良い生活、幸せになれるヒントが得られるかもしれない。
でも、私が日々、関わらせてもらっている人達が求めているものは、そこにはない。
「障害者として」ではなく、「人として」の成長、より良い生活、幸せになるヒントだから。


いろいろな支援や療育を受けていても、良くならない人がいる。
良くならないということは、そこには答えがないのかもしれない。
20代の私のように、障害児教育の棚の前をうろうろしているのかもしれない。
いくら片っ端から手にとっても、そもそも答えがない場合もある。
障害児教育の大前提は、障害を持ち続けていることだから。


この頃、思うことがある。
人としての発達、成長を援助できる支援者というのは、決して障害児教育の棚の前だけにいるような人間ではないことを。
答えが見つからないのなら、そもそもそこには答えがないのだ。
ギョーカイの常識の外に、人としての幸せがある。

2016年11月14日月曜日

「愛着障害は治りますか?」(花風社)を読んで

学生時代、生まれて初めて関わった自閉症の男の子のことが知りたくて、書店の特殊教育コーナーで手に取った真っ赤な本。
タイトルは「自閉っ子、こういう風にできています!」
その通称赤本と呼ばれている本を手にしてから、今まで10数年、ずっと花風社さんの本を読み続けてきました。
そして、今日手にし、今日読んだ新刊は、読み終えたときに今までと違うものを感じたのでした。
それは読み手に迫ってくる印象です。
「治すかどうかは、あなた次第です」というメッセージが。


花風社さんは、今までにも多くの治すためのアイディアを提供してくださいました。
特に栗本啓司氏の著書「自閉っ子の心身をラクにしよう!」が発売されて以降、ここ数年で治すためのアイディアのエネルギーが勢いを増した印象を受けます。
そして、そのアイディアに触れた全国の自閉っ子(もちろん、大人も!)が、どんどん心身共にラクになり、発達の遅れ、ヌケを取り戻し、治っていっている。
実際、私も援助している方達が変わっていく様子を目の当たりにしています。
花風社さんの本から得たアイディアが、日々の着想の始まりということは多々あります。


治るためのアイディアをたくさんいただけたし、治る人もたくさん出てきた。
ですから、治る時代、治す時代、治すべき時代を今、私は生きているのだと思います。
栗本氏は今日からすぐにできることを、灰谷氏は発達援助に関わる全ての人のスタンダードとなるべき知識と視点を教えてくださった。
正直、治すのだったら、もう十分アイディアをいただいた、という思いもしていました。
でも、今回、“愛着障害”という切り口で、今までの“治す”をもう一歩奥深く進めてもらった気がするのです。


新刊「愛着障害は治りますか?」の中に出てくる著者の愛甲氏が整理し、提示された『愛着障害のピラミッド』と『遊びのピラミッド』は、“見立て”に大きな影響を与えてくれるはずです。
愛着障害を持った他人への援助をする際にも、愛着障害を持った自分自身を援助する際にも。
適切な見立てができなければ、治すにつながっていきません。
治すための出発地点を明るく照らすのが、この2つのピラミッドです。
ですから、私の頭の中にも、この2つのピラミッドをしっかり建てておこうと思います。


あとがきには、「発達障害も、愛着障害も、障害ではない」というメッセージが記されています。
つまり、どちらも“治る”ということです。
その理由とそのためのアイディア、視点が、一冊を通して語られています。
この本が世に出た以降、治せない理由を探す方が難しくなるでしょう。
いや、反対に治せない理由が明確になるかもしれません。
治せない理由は、見立ての悪さか、援助者自身が愛着障害を抱えているからか、の2つになるはずです。
いずれにせよ、自分自身で乗り越えていく必要があります、手遅れは無いのですから。


師匠と呼べる人のいない私にとっては、唯一の師と呼べるような存在が、花風社さんの本です。
その師から、さらに“愛着”の視点も頂戴しました。
あとは己のセンスと鍛錬にかかっているといえます。
こんなにも重要な視点をもらったのに治せなかったら、それはすべて自分の問題だと思っています。
「治せなかったら、ただ単に“腕”がないだけ」そんなことを思います。
「自立せよ」という声が聴こえます。


愛着障害は、特殊なケースだけの話ではないこと。
「いつ背負った愛着障害か」という視点。
年齢別の症状の表れ方。
発達障害の人に愛着障害が生じやすい理由。
愛着障害から手当てすることで、生きやすさを獲得するのが速くなることも多いこと。
大人の愛着障害を治すための視点…。


発達障害の人と関わる人はもちろんのこと、人を育てることに携わっている人、この時代を生きづらさを抱えたまま生きている人にも読んでいただきたいと思います。
この時代をより良く生きるためにも、次世代がより良く生きられるためにも、著者の愛甲氏、この本は大切なメッセージを私達に伝えてくれるはずです。


2016年11月11日金曜日

資格支援(ブ)

他人から与えられるものには、そこまで有難がることはないと思っています。
だって、そこにはその他人の意思が入る余地があるから。
それよりも他人が奪えないものの方が価値があると思います。
自分の意思で手に入れて、他人からは奪えないものに本当の価値がある。
だから、資格よりも、自分の血となり、肉となった“腕”の方が大事だと考えています。
免許状は燃やせても、身に付けたスキルは燃やせませんね。


研修をせっせと受けて、資格や認定書をもらうことに価値を置いている支援者は少なくありません。
それが純粋に腕を上げるためにだったら、良いと思いますが…。
腕を上げることに付随しての資格や認定書ならわかりますが、どうも資格や認定書がメインのように感じる人がいる。
こういう人は、だいたい治せない支援者。
何故なら、自分がメインになっちゃっているから。
自分がメインということは、自分の方に治すべき課題がある証拠です。
目に見える形の資格や認定書を得ようとするのは、それ自体が自己治療だと感じますね。
自分の課題をクリアにしていない人は、他人の課題をクリアにすることはできません。


そもそも自分の腕を上げるというのは、孤独で、忍耐力のいる作業です。
それなのに、どこそこの研修を受けて、資格や認定書をもらったからスキルアップしたよ、みたいな考え方は甘いと思いますね。
資格や認定書に、その人が実際の場面でより良い支援ができる、という保証をする力はないのです。


それにね、研修を受けていない人が認定される場合があるんですよ。
「こんな時間も、お金もかかる資格、この人が本当に取ったの!?」という人が、資格取得者の名簿に載ってたりする。
それは、与える側と仲良しだから、宣伝のために、与える代わりに研修生をよこしてねってヤツ。
運転免許でも、全員学科と実技があるのに、それすらない資格もたくさんある。
特別支援のギョーカイは、8割がインチキ(ブ)
ある支援者が怒っていました。
「俺たちは、遠い場所まで行って、何日も研修受けて、やっとなのに、お偉いさんになると…」
まあ、そんなもんです。


民間の資格でも、なんとかメソッドでも、最初に始めた人は素晴らしい腕の持ち主が多いです。
そういう人は、孤独に、コツコツと、地道に、他人から見えない内にある信念を頼りに歩みを続けてきた人だから。
なので、わかっているはずです、認定書をもらっただけで満足している人は良い支援者になれないことを。
でも、経営のため、自分の承認欲求のために、こういった仕組みを作ってしまう。
現場でバリバリのときは、どんどん自立させていたのに、組織のトップが近づいてくると、自分の側から自立させない支援者になるのは、よくある話です。
私は願うのです、自立させる支援ができる人は、支援者も自立させてほしい、と。
更新が必要だとか、レベルが何段階もあるとか、いつまでも支援者を自分から自立させないというのは、見ていて残念に思います。
支援者同士で参勤交代みたいなことをやるのは、気持ちが悪い。


人を育てるということは、自分の足で立ち、自らの意思で歩を進められる人間を作ることだと考えています。
ですから、子どもや大人、支援者を自立させない、または自立を阻むように見えるというのは、本当の意味で人を育ててはいないということ。
人を育てているように見えて、自閉症支援、発達障害支援をやっているただのマニア、自分の課題を癒している自己治療の人がいます。
資格や認定書に重きを置くのではなく、自らの信念の元、自分の足で歩みを続けられる人こそ、己の腕を上げることができ、そして他人の自立を援助できる。
私は自閉症支援をやる人ではなく、人を育てられる人になりたいと思っています。

2016年11月8日火曜日

あなたの空間から、どんな雰囲気を感じますか?

空間の雰囲気は、その子がどう成長していくか、変わっていくか、に関係すると思っています。
訪問型のサービスをしていますので、いろいろなお宅や施設に伺いますが、扉をくぐった瞬間、ビビビッときます。
「これじゃあ、伸びないな」とか、「この雰囲気なら、近い将来、良い方向へと変わるはず」とか。
定期的に訪問している場所は、雰囲気の変化も感じます。
伸びる雰囲気と伸びない雰囲気があるんだと思っています。


近頃、グググッと伸びた子がいます。
この短期間で、こんなにも変わるのかなってくらいに。
で、この子のお宅は、とっても伸びる雰囲気になったんです。
“なったんです”ということは、以前はそうは感じませんでした。
最初に訪問したとき、「こりゃあ、大変なおうちに来てしまったな」と思ったのが、正直なところです。
でも、今は伸びる雰囲気がビンビンです。
きっと年度内に、当初の目標は達成し、私は用済みになるはずです。
卒業式よりも、卒業が早いと思います。


伸びる雰囲気って、私の感覚なので、言葉にするのは難しいです。
ですから、親御さんやその施設の職員さんに、その形を提示できません。
じゃあ、指をくわえてよい雰囲気になるのを待つのか、といったら、そうではなくて、伸びない雰囲気を出しているものを消したり、変えたり、伸びる雰囲気が出るようなものを加えたり、なんてことを思いつくままお話ししています。


伸びる力は、それぞれの子の中に存在しています。
それなのに伸びないというのは、伸びるために使うエネルギーがそのため以外のところに使われているのだと思います。
それってモッタイナイないことです、特に伸び盛りの子どもにとっては。
ですから、生活空間の雰囲気は大切だといえます。


伸びるために、成長するために目一杯エネルギーを使えている空間からは、心地良い雰囲気を感じます。
反対に、生きることにもエネルギーを使わなければいけない空間からは、重苦しい雰囲気を感じます。
あなたの空間から、どんな雰囲気を感じますか?

2016年11月4日金曜日

時代は人を選ぶ

いつの世も、時代が変わるときには、新しい人物が出てきます。
ですから、「人が時代を変えている」といえるかもしれません。
でも、私はそうは思えないのです。
時代の方に意思を感じてしまうのです。


新しい時代の幕開けは、前の時代を象徴する人物が去って完成します。
その人物が去るのを見て、人々は「新しい時代がやってきたんだ」と実感します。
そして次に、人々が問われるのです、「時代の流れに乗るの?抗うの?」と。


いつの世も、時代の変化に抗う人はいるものです。
変化はストレスですし、変化を受け入れるには腹が据わっている必要がありますから。
前の時代で良い思いをしていた人達は、流れに逆行しようとします。
しかし、時代の流れを止めることはできません。
何故なら、前の時代からすでに流れはあったから、目立たなかったかもしれないが。
一度できた流れを人が止めることはできないのです。
人を超えたところに意思を感じます。
そういった意味で、時代の方がその時代に合った人を選んでいる、と思えてくるのです。


新しい時代を生き抜くコツは、流れに身を任せることだと思います。
流れに乗って、さらに「その流れを加速させる」といった気概を持って行動できれば、自ずと生きやすい未来が見えてきます。
そのためにも、時代の流れに気づける眼を持っていなければなりません。
気づけなかった人は、流れに抗う人達と同じように、流れに飲みこまれてしまうのです。


自閉症、発達障害の世界も、新しい時代がやってきました。
生きづらさを訴える時代、周りが調整する時代、「一生治りませんから…」の時代は終わったのです。
これからは生きやすさを求めて、本人自らが動き、治す時代なのです。
その流れに抗おうとしても、時代の方がその人を受け入れてはくれません。


未だに「生きづらいよ」「社会の理解ガー」と言い続けている人がいます。
でも、その声に一昔前のエネルギーはないのです。
症状を改善し、持って生まれた資質を磨き、社会の中で活かす人達がたくさん出てきました。
もう珍しい稀有な存在ではありません。
私たちの身の周り、地域、社会にこのような人たちはいるのです。
ということは、今の時代が彼らを選んだのです。
治す時代、治りたいと思うこと、それに向かって行動することが普通になる時代です。


当然、支援者も、時代から選ばれる存在になります。
「昔は良かった」「前の時代なら、今まではうまくいっていた」というのでは、退場を求められるだけです。
時代が求めているものに合わせて、自らも変えていく必要があるのです。
「現状維持は退化」という言葉もあります。
時代は確実に流れていますので、立ち止まっていると、後ろに流されて行くのは自然なこと。
時代の流れと同じスピードで進むことを「現状維持」と言い、時代の流れよりも先に進むことが進歩と言います。
古い時代の終わりと、新しい時代の始まりを感じた私は、治す時代の流れの一部になろうと思います。

2016年11月1日火曜日

他者のために行動できる姿勢を育てる

録画していた10月29日のNHKスペシャルを観ていたら
「長寿の人は“慢性炎症”が極めて低い」
「“慢性炎症”は、食事や運動だけではなく、心の満足感とも関係がみられる」
「快楽型の満足感では炎症を抑えることはできないが、生きがい型の満足感だと抑えることができる」
という話が出てきました。
いつまでも現役で働いていたり、ボランティア活動をやられていたりするお年寄りを見かけると、年齢よりも若々しく見えるのは、このような医学的な理由もあったのですね。


「人類は社会的な集団生活を行い生き延びてきた。つまり、人間の脳や神経は社会とつながり、お互い助けあうように、生物学的にプログラミングされている、と考えられる」
という話にはゾクゾクっとしました。
これって祖先からのメッセージだと思いましたね、遺伝子に乗せられた。
「ヒトはヒトのために生きて、ヒトになる」という言葉が思い浮かびました。
世のため、人のために行動することが、もちろん社会、人類の繁栄へとつながり、そして自分の健康、長寿にもつながっていく…。


相談を受けていると、「自分には居場所がない」「自分は必要とされていない」などの言葉がよく聞かれます。
そんなとき、私はこう思うのです。
「“居”場所ではなく、“誰かのために動ける”場所が欲しい、と言っているのではないだろうか?」
「必要とされないのは、周囲に問題があるのではなく、必要とされるようなことをしていない、行動できないことに問題があるのではないだろうか?」
と。


話を聞いていると、みんながみんな、日々の生活が満たされて“いない”わけではありません。
衣食住はあるし、好きなことだってできている。
自分のことを大切に想ってくれる家族もいる。
中には仕事をしている人だっています。
でも、“生きる”だけが満たされても、満足しないんですね、ヒトは。
ヒトは社会的な動物ですので、人間脳が喜ぶには人との交流、相互作用が必要なんだと思います。


ですから、私はどんなことでも良いので、「誰かのためになっている」という実感が持てる活動が生活の中に組み込まれるような援助もしています。
家のお手伝いでも良いし、地域活動、ボランティア活動でも良いですね。
支援者からは「彼は傷ついているので、好きなことをやって心の回復を~」とか、「今は休む時期だと思いますよ。だから、ゆっくり休ませて~」とかいうアドバイス(?)を受けていた人でも、他者貢献ができていると感じられるようになると、心身ともに元気になっていき、自ら前進していけることも少なくありません。


私が施設で働いていたときも、どんどんお手伝いをしてもらっていました。
それは衣食住を満たすのは福祉であって、教育ではないからです。
人を育てるっていうのは、人の間が必要だと考えていました。
重い障害を持っていた人も、行動障害を持っていた人も、お手伝いとなると、一生懸命やっていた印象が強いです。
「はい、食事」「はい、お風呂」「はい、あとは好きなことを」では、彼らの成長も、満足感も得られていないように私は感じていました。


我欲で生きる人は老化が進み、他者のために生きる人は老化が抑えられる。
まるで「他者のために生きよ」と、祖先たちから言われているようですね。
そう考えると、ヒトを育てるということは、他者のために行動できる姿勢を育てることなのかもしれません。