見えるものにこだわりだしたら、賞味期限が近いぞ、支援者は

スーパーに行くと、山積みされたチキンが置いてありました。
つい2日前までは、「クリスマスチキン☆」なんて言われてもてはやされていたのに、今は値引きのシールが貼られ、賞味期限を待つばかり…。
中には、「お正月のご馳走に」なんて顔(いや、足?)で並んでいるのもあるけれど、どう見てもクリスマスの売れ残り。
いくらパッケージを変えても、賞味期限が迫っているのは変わりがありません。


特別支援の世界に入って15年くらい経ちますが、支援者の賞味期限がわかるようになりました。
だいたい支援者っていうのは、見えるものにこだわりだしたら、賞味期限が迫ってきてるんですね。
例えば、やたら魅せる支援グッズを作りだしたり、なんでもかんでも資格を取りだしたり。
他にも、高価な専門書や支援器具を集め出したり、やたら著名な支援者と知り合いになろうとしたり。
Facebookでどんな人が友達か、何人友だちがいるか、「いいね!」の数なんかにこだわりだしたら、もう賞味期限はすぐそこまでの5割引シールです。
で、自分で専門用語や資格、グッズを作りだしたら9割引シールで、それに万単位のお金を取りだしたら廃棄商品状態で、もう支援者ですらなくなります。


一方で、鮮度の良い支援者というのは、見えないものにこだわる人だと思います。
子どもの成長や未来、発達課題や気持ちなど。
変化として確認することはできるけれど、それ自体は見ることができません。
でも、本人の生活、人生にとってはとても重要な意味があるもの。
この見えないものを援助するのが支援者の役割であり、存在意義なんです。
だからこそ、見えないものにこだわる人が支援者であり続けられる。


しかし、見えないものにこだわり続ける、というのは、大変なことでもあります。
だって、見えないのですから。
子ども自身も、親御さんも、他の支援者も、見ることができません。
ですから、支援者自身に揺らぎが出るのです。
「自分の支援が正しいのか?効果があるのか?」
実際に、親御さんや他の支援者から言われることもあります。
で、大半の支援者というのは、資格や肩書なども見えるもので、相手、または自分自身の心をねじ伏せようとする。
揺らぎへの抵抗が見えるものへのこだわりとして表れるのだと思います。


見えるものというのは、ラクなんですね。
「私の支援は効果がありますよ」と見せるのも、取得するのも(だいたいはお金があれば手に入れられるので)。
ですが、ラクな分、ハマりやすく、またハマればハマるほど、子どもから、支援者の役割から遠ざかっていく。
支援者の役割は、子どもの成長、発達、課題を援助することですからね。
子どもさんにとっては、資格があるかどうかよりも、治す支援者が良いに決まってます(もちろん、親御さんにとっても、社会にとっても)。


支援者は、見えないものにこだわり続けなければいけません。
そして、こだわり続けるには、見えるものに逃げないためには、信念が必要だと思います。
私の支援者としての信念は、「その人の内側に成長する力、発達する力、解決する力がある」というものです。
ですから、私の支援は、「邪魔をしない」「阻害しているものを取り除く」「持っている力を引き出す、加速させる」になります。
そのために日々、必要な知識、技能を身に付ける努力をしていますし、信念があるので揺らぎに動じず、支援者としての役割を見失わなくて済むのだと思います。


本物の支援者は、みなさん、信念を持った人ですし、見えないものにこだわり続けている人です。
また他人から見えない場所で、おのれの腕を磨くための努力が続けられる人。
信念を持たない人、失った人から、揺らぎ、見えるものへと心が奪われ、支援者としての賞味期限が近づいていきます。
こういった支援者は、まるでスーパーに山積みされたチキンのようです。
信念がないので、新年が迎えられずにオサラバです。
チキンなので、ギョーカイと闘うことができず、支援者としてはレイムダック、死に体ですね(ブ)

コメント

このブログの人気の投稿

【No.1358】体軸が育つ前の子と、育った後の子

【No.1364】『療育整体』を読んで

【No.1370】それを対症療法にするか、根本療法にするかは、受け手側の問題