「治す」という言葉を気にいってくれた親御さん


昨晩、久方ぶりにある親御さんとお会いしていきました。
「就職できるように頑張りたい」というお話があり、数年前まで関わらせてもらった方でした。
就職したときは、パートで「週20時間まで」という契約でしたが、そのあと、本人の頑張りが認められ、社員さんに登用されたそうです。
今は、しっかり週40時間、きちんと社会保険も、手当ても、有休もあり、その企業の一員として働いているとのことでした。
この若者は、あまりお金に執着がない方で、お小遣いも「いらない」というような人でしたが、「私が頑張って働くことで、税金を納められ、誰かの役に立てる」ということが意欲へとつながっているそうです。


就職して以来、本人とはお会いしていなかったので、この数年間の出来事を一気に話してくださいました。
そして、話は子ども時代へと遡っていきました。
保育園では、言葉を発することができず、いつも教室の片隅で固まっていたこと。
偏食がひどく、ほとんど食べられるものがなかったこと。
衣類へのこだわりがあり、いつも同じ服ばかり着ていたこと。
変化に弱く、新学期がくるたびに寝込んでいたこと。
小学校に上がっても、同級生との違いが大きくなるばかりで、「一生、この子の面倒を見続けないといけない」と夫婦で話していたこと・・・。
だからこそ、今の我が子の姿に感謝の気持ちでいっぱいになるし、「あのとき、諦めなくて良かった」と、しみじみと語られていました。


この親御さんは、いち早くギョーカイの支援が本人の成長と自立へとつながらないことを察し、ご自分で「働ける大人」になるために必要だと思うことをお子さんに教えてきた方でした。
ちょうどこの子が小学生くらいは、当地の視覚支援がイケイケドンドンの時期でしたが、そんなことには目もくれず、週40時間働ける身体作り、教科学習、「これからの時代はパソコンが使えた方が就職に有利」と言ってパソコンの勉強、自立のために料理、洗濯、掃除、買い物の勉強をやってこられました。
教え方も、周りがみんなSSTに、PECSに、構造化でしたが、ただ一緒に根気強く教え続けただけというもの。
でも、親御さんのこの粘り強く、我が子の未来を想う姿勢が、この子の未来を変えたのだと思います。
「就職してから一度も休まず働いている」と言ったときの親御さんの笑顔には、「自分たちが信じてきた道は間違っていなかった」という思いがにじみ出ていたように感じました。


話の後半で、「大久保さんは、今、どんな仕事をしているの?」と訊かれました。
「今、治すための仕事をしています」と言うと、驚いた反応を見せたあと、「“治す”って良い言葉だね」って言っていました。
そして「私の時代も、“治す”という言葉が普通に使われて、治すための支援が欲しかった」と。


そんな親御さんの反応を見て、私は次のようなことを話しました。
「〇〇さんも、子どもの頃、たくさんこだわりもあったし、変化のたびにパニックになってましたよね。偏食だってひどかったし、身体に触れられるのもダメだった。でも、今の〇〇さんにこういった症状がありますか?ないですよね。これって“治った”と言ってもいいんじゃないですかね。治ったから、いろんなことが勉強できるようになったし、身についたし、今、こうして社員として働けれているんじゃないですかね」
この話を聞いて、親御さんは「〇〇(我が子)も治ったんですよね。本当にうれしい」と喜ばれていました。


この子は、幼少期、典型的な自閉症といわれていました。
でも、小学校、中学校、高校へと進む中で、いつしか「グレーの子」と呼ばれるようになった。
そして、今は社員の一人として、毎日、仕事をしている。
労働時間も、給料も、社会保険も、有休も、ほかの社員さんと一緒。
今は誰も、「典型的な自閉症」「グレーの子」とは言わない。
スタッフも、お客さんも、「◯◯さん」と言います。
これって治ったってことでしょ。


昨晩は別れ際に、「大久保さん、これからもたくさん治してね」と言われました。
この親御さんは、「治る」という言葉が気にいったようです。
そして、この親御さんは、言葉こそなけれども、我が子が幼かった頃から、ずっと治したかったし、治すために行動されていた方だと感じました。
この親御さんのように、明るく、そして自然に「治す」という言葉が出る未来にしたい、と思いを強くしたひと時でした。

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