「治らない」という前提が変わったんだから、エネルギーを注ぐ方向も変えるべきじゃないの!?

「そういえば、どの子もたくさん支援グッズを持ち歩いていたね」
前回のブログで登場した親御さんと“治す”について話していたときに出てきた言葉です。


「今は治る時代になってきたんだね。あの当時は、お医者さんも、先生も、支援者さんも、みんな“治らない”って言っていたから、どの親御さんも必死で支援グッズを作っていたよね」


そうです、そうでした~。
あの当時は、自閉症は治らない障害でした。
3つ組はもちろんのこと、感覚過敏や睡眠障害は治らないというか、それがあるから「自閉症なんだ」と言われていましたね。


治らない障害だから…
「周りが支え、頑張るんだ!」
「歩けない子の車いすのような視覚支援を作るんだ!」
「自閉症の人が生きやすくなるような社会、バリアフリー化が必要なんだ!」
そうそうこんなことが声高々に叫ばれていた時代があったっけ。


不治の病的な立ち位置に置かれていた自閉症。
そんな中でも、「治るもんなら、治したい」という自然な感情を持っていた親御さん達はいましたね。
だからこそ、本当なら治すために使いたかったエネルギーを当地なら“視覚的構造化”という方へと注いでいたのでしょう。
じゃらじゃらとズボンから下がっていたCOMカード、事細かく示されていた一日のスケジュール。
「あんなに下げていたら、活動に支障が出るよね」ってくらい持ち歩いていた支援グッズは、行き場のないエネルギーの象徴だったように思えます。


今、思い返せば、異様な“熱”が当地を包んでいたように感じます。
本気でノースカロライナのような地域を目指していた“熱”。
治らない自閉症の人達が生きやすくなるには、地域自体を変えるべきだという方向へとエネルギーが進んでいた。
「どのお店にも、COMカードが置いてあったらいいよね」
「自閉症の人が働きやすいように、どの職場でも、スケジュールとカムダウンエリアは必須よね」
「聾の人の手話通訳のように、自閉症通訳者を公共施設に配置しよう」
・・・(苦笑い)


治らない自閉症のために、私たちができること。
それは「十分な支援グッズを用意することだ」「地域を変えることだ」
そんな親御さんの想いと、自分たちの繁栄のために自閉症支援を広める必要のあったローカルギョーカイが手を組んだ。
そうです、治らない自閉症だったときは、親御さんも、支援者も、それで良かったのです。


しかし、時代は変わりました。
治る時代、治す時代に変わったのです。
“治らない”という前提があったから、せっせと支援グッズを作り、夢のまた夢みたいな自閉症を中心とした地域づくりにエネルギーを注いできた。
でも、“治る”自閉症になった今、注ぐべきエネルギーの方向性は、目の前の子を治すこと。


風の噂では、未だに「視覚支援」と「自閉症の人が生きやすい地域づくり」に熱量を上げている人達がいるそうです。
そういった人達が、みんながみんな、「自閉症は治らない」と信じているようには思えませんね。
たぶん、今までに注いできた熱量を思うと、なかなか進路変更ができない人がいるのでしょう。
たぶん、ギョーカイとどっぷり手を組んじゃって、抜けられなくなっている人がいるのでしょう。
たぶん、子どもが変わることよりも、子どものために頑張っている自分に酔ってしまっている人がいるのでしょう。
たぶん、治らない自閉症のままの方が、自分以外のところに“責任”を追いやることができてラクだと思う人がいるのでしょう。


治らない時代って、ある意味、どの人も支援グッズを頑張って作れば良かったし、夢は大きければ大きい方が良い、ただ夢を追いかけていれば「素晴らしい!」という時代でした。
でも、治る時代って、「治る人」と「治らない人」、「治せる人」と「治せない人」が出てきます。
つまり、結果が見える時代です。


結果が見える時代は、厳しい時代。
本人にとっても、親御さんにとっても、支援者にとっても。
それでも、「自閉症の人が生きやすい地域、社会を作る」という幻想を追いかけるのではなく、その人が成長でき、自立でき、幸せになれる道を追及する今の方が、より良い人生と、結果的により良い社会へとつながっていくのだと思います。
「治らない」という前提が変わったのですから、エネルギーを注ぐ方向も変わらないといけませんね。

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