不自然さからの開放

10年前だって、20年前だって、治る方法が分かっていれば、親御さん達は、そちらの方へとエネルギーを注いでいたと思います。
ただ知らなかったから、支援グッズを作ったり、地域を変えようとしたりしていただけでしょう。
どう考えても、我が子が苦しんでいたら、我が子にできないことがあったら、それをどうにかしたいと思うのが、自然な感情です。
それは動物を見れば、わかります。


動物は、我が子が苦しめば、寄り添い、その痛みを和らげようと行動します。
動物は、我が子にできないことがあれば、特に生きる上で必要な力は、何度も何度も教えようとします。
どちらも学習ではなく、内側から湧き出てくる行動、つまり本能がそういった行動に駆り立てるのでしょう。


支援グッズを作るのも、地域を変えようとするのも、人間特有の行動です。
本来なら、子どもがより良く変わるために動きたかった内なるエネルギーを、知識によって、専門家という社会的権威によってストップをかけていた状態、それが10年前、20年前の多くの親御さん達だったような気がします。
だから、不自然に見える親御さんが多かったのでしょう。


不自然と言えば、「社会を変える」「地域を変える」というのも、不自然な行動です。
何故なら、人間以外の動物は、環境を変えることをしないから。
動物は、環境を変えるのではなく、適応することを選択します。


「自閉症の人のために環境を変える」というのもそうですが、誰かを中心に周囲の環境を変えようとするのは、そもそも無理があります。
永遠に環境を変え続けることは不可能ですし、たった一人で生きているのならまだしも、周囲には、地域には、社会には自分以外の人が大勢いるのです。
また、どう考えても、周囲を変えるよりも、自分が変わった方が早いですし、効率的です。
動物(ヒトも含む)は、環境を変えるという選択は取りませんでした。
動物は、環境に適応することによって、長らく生き延び、繁栄を続けたのです。


私は、特別支援の世界に入っておよそ20年のときが流れています。
この20年間、不自然さと異様さを多く感じてきました。
その一つ、親御さんに付きまとっていた不自然さと異様さは、人間脳を知識と専門家でいっぱいにし、その下の脳の部位を抑え付けていた表れだったように思います。


動物としての本能(脳)は、苦しむ我が子の側に寄り添いたかった、その苦しみを和らげるために行動したかった。
このままでは、自立して生きていくことが難しいと感ずれば、どうしても生きる術を身につけさせたかった。
環境を変えるよりも、本人を変えることによって、生きていく環境の中で適応できるようにしたかった。


「治る」というのは、まだ信じられていないこともあるし、知られていないこともある。
しかし、この「治る」をその目で見て、感じることができれば、知識と専門家で留めていたストッパーが外れ、人間脳よりも深い部位が共鳴し、動き始めると思います。
一度解放された本能(脳)は、誰も止めることができません。
それが動物としての自然な生き方であり、生き延び、繁栄するための戦略だから。


3つ続けて、ブログで過去を振り返ってみました。
振り返って思うことは、どの時代の、どの親御さんも、我が子のために一生懸命だったのは変わりがないこと。
ただ「治らない自閉症」が前提だったから、支援グッズと地域を変えるという方向へエネルギーを注いでしまっていた。
そして、そのエネルギーを注ぐ方向が不自然だったために、「本人をより良く変える、発達&成長させる」という本質的な部分から遠ざかってしまっていた。
しかし、「治らない自閉症」という前提が変わった今、多くの親御さん達が本能(脳)のまま、我が子のために行動できるようになると思っています。
ですから、「子ども達の未来はきっと良くなる」「その子ども達が、地域、社会をより良いものへと発展させてくれる」という明るい気持ちで私はいます。


そんな私にできることは、「治る」をその目で見て、感じてもらうこと。
頭でっかちになった親御さんには、本能(脳)を呼び起こすためのお手伝い。
まっさらな親御さんには、本能(脳)を開放し、伸び伸びと子育てをしてもらうお手伝い。
それに、ギョーカイが行う親御さんへの不自然さの要求をぶっ潰していくこともやっていかねばならないですね、子ども達、親御さん、そして社会のために。

コメント

  1. 昔、付き合いで地元の障害者団体で啓発活動してました。
    役場や企業に出向き活動を行っていましたが、所詮求められていたことは同調圧力だったんですね。
    段々嫌々参加するようになり、仕舞いには、体調不良や多忙を理由に参加しなくなりましたね(笑)なんかこんな無意味なことしているより、もっと学びの時間を充実させた方が手っ取り早いことに気が付きましたね。それ以来、啓発活動の籍は残しながらすっかり疎遠になってしまいました。



    啓発で得たことは社会が変わるのは決して簡単なことではないこと
    (年単位、数十年単位、下手したら生きているうちは実現不可能なこともあるかもですね)

    それより治しやすいところから治していった方が、治るまで年単位かかることがあっても50年も60年もかからないと治らないということはないですし、少なくともギョーカイ型啓発やギョーカイ活動を行うよりははるかに早く状況が改善していきますね。

    これは啓発を行った身としてはっきり断言できることです。
    (最も、現在進行形でギョーカイ型啓発を行っている方々の多くが、この事実に気が付いていない ということはとても残念に思います。)




    数年前に、晴れて啓発の目的が達成されプロジェクト解散となった時、本当に清々したことは今でも記憶に残っています。もちろん二度とギョーカイ型啓発やらなくていいんだ、という意味でですがね(ブ

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    1. 貴重な実体験を教えていただき、ありがとうございました。

      「もっと学びの時間を充実させたい」というのは、自然な感情であり、子ども自身が望んでいることでもありますよね。
      子ども自身が「社会を変えてほしい」と言っているのだろうか?
      本当は、自分自身が受け入れてもらえなかった親御さん、支援者が当事者の声ということにして主張しているのではないか、とも思ってしまいます。

      ご指摘のように、社会を本気で変えようとしたら、それこそ、人の一生ではやり遂げられないような時間がかかりますよね。
      それよりも、「治しやすいところから治す」という方が、目に見えて改善していきますし、子どもの幸せにつながると思います。
      「私の人生は辛かったけれど、社会が少しでも良くなったなら良かった」なんてことを言う子はいませんね。
      それがわかっている親御さんは、我が子の成長と幸せのために時間とエネルギーを使われるのだと思います。

      啓発活動をお手伝いしている親御さんの中には、裏で「忙しい」「雑用ばかりだ」「うまいこと利用されている」など、ブーブー言っている人もいますね。
      そんなにブーブー言っているのなら辞めればよいだけなのに、それができない。
      本当に不思議ですし、その時間をお子さんのために使えれば、もっと早く状況が改善されていくと思います。

      >もちろんもちろん二度とギョーカイ型啓発やらなくていいんだ、という意味でですがね(ブ
      というコメントに、それまでの想いが詰まっているように感じました。
      コメント主さんのように、早く事実に気が付き、治しやすいところから治すという方向に転換できる方が増えることを願っています。
      それが子どもの人生にとっての幸せにつながるから。

      コメント頂き、ありがとうございました。

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