2017年3月30日木曜日

「やり切りたい」という想いを晴らす


「やり切りたい」と思っているのは、子ども達だけじゃない、親御さん達も。
私のところにいらっしゃる親御さん達からは、「我が子のためにできることをしたい」という想いの"強さ"を感じます。


この想いの強さは、「動物の本能」から出発している。
でも、その本能に何かが覆いかぶさったとき、想いがより強くなるのだと感じます。
「我が子のためにできることをしたい」という言動の背景に、やり切ることを否定された過去が見えます。


ある人は、診断と同時に「一生治りません」と。
ある人は、「この子が普通学級に行くことはありません」と。
ある人は、「頑張らせるのはかわいそうです。無理させたら二次障害になりますよ」と。
ある人は、「将来は作業所でゆっくり働き、施設で過ごすのがこの子の幸せです」と。
ある人は、「あなた達、親が亡くなったときのことを考えているんですか」と。


「私達は、お母さんの味方です」
「困ったことがあれば、何でも言ってください」
「一緒に、この子の成長と幸せのために頑張りましょう」
支援者の甘い言葉は、やり切ることを否定したあと、ささやかれます。
そして、親御さんは無意識に、彼らの敷いたレールの上に乗ってしまうのです。


敷かれたレールの上を進むのは、ラクなことです。
だから、そのまま歩み続ける人もいます。
一方で、そのレールから降りる人もいます。
降りた人は主体性と選択肢を取り戻せます。
でも、降りる際、レールの上にいた分だけの「やりきれなさ」を抱えている。


私が関わっている親御さんで、「やりきれなさ」を両手いっぱいに抱えてきた方がいます。
この方は、10年以上、ずっと敷かれたレールの上を歩いてきた人です。
子どもの成長と将来の可能性のために動きたかったという想いに蓋をして、ずっと環境調整と「理解をー」に力を注いできました。
でも、レールの上から外を見ると、治っている人達が見える。
直接、子どものために力を注いでいる親御さん達がいる。
そして、レールの先には支援者が待ち構えている終着駅がおぼろげに見えてきた。
この親御さん、お子さん(もう青年ですが)と2年ほどの付き合いになりますが、10年分の「やりきれなさ」を二人とも晴らしているような姿が見えます。


私は、本人への援助だけではなく、親御さんの持つ「やり切りたい」という想いにもできるだけ応えていきたい、と思っています。
何故なら、我が子のためにできることをやり切りたかった親御さんが、やりきれなさを抱えたままでいる姿を見ているからです。
それは、昨日、一昨日とブログに書いた道へと、お子さんを送りだされた親御さん達。
もちろん、納得して福祉の道へと送りだした親御さんもいます。
でも、私の知る親御さん達の中には、福祉の道へ送りだした今、我が子に対してやりきった感を得られていない方がいるのです、お子さんが穏やかな生活を送っているかどうかに関わらず。


ですから、今、子育てをされている親御さん達には、やりきった感を持って、将来、我が子を社会へと送りだしてもらいたいと思うのです。
我が子の成長と自立のために、本能のまま、動いてほしいのです。
診断と同時に、子どもの未来が決まることなどないのですから。
より良い未来を形作っていくのは、支援者の言葉ではなく、本人とご家族がやり切ったかどうか、だと思います。

2017年3月29日水曜日

「どうせ福祉だし」

内側から溢れ出る想いを必死に指が追いかけていた。
そんな風に綴ってできたのが、昨日のブログだった。
あっという間の出来事であり、気が付いたら『公開』のボタンを押していた。


一晩経って、その理由に気が付いた。
私は、またあの言葉を聞いてしまったのだ。
そう、この地域に充満していた言葉。
「どうせ福祉だし」


決して口から出てこない言葉。
でも、それぞれの腹の中には存在している。
「どうせ卒業後は福祉だから」
「結局、福祉のお世話になるんだから」


初めて、その言葉を聞いたのは、学生時代、養護学校の補助をしていたときだった。
ボロボロの教材。
いつも同じ活動。
逸脱や問題行動に対処しない教員たち。
「本気で、子ども達の将来を考えて授業をしているのだろうか」
学校に行くたびに思い、大学に戻るたびに、友人と話をしていた。


同じころ、ボランティアで関わっていた子が、休みのたびに当地の大きな施設へ短期入所していた。
まだ小学校に入学したばかりなのに、「高等部を卒業したら、入所施設に入るから」と、そのための練習をしていると言う。
ただの学生だった私には、小学校に入学したばかりの子の12年後の進路が、すでに決まっているかのような話ぶりに違和感があった。


あるとき、私は気が付いた。
学校に行っても、ボランティアで親御さんと会っても、講演会、勉強会に参加しても、「福祉」という言葉が出てくることを。
大学進学で、当地に来た私にとっては、また学生時代まで障害を持った人と意識して関わったことがなかった私にとっては、この地域の文化に気が付いていなかったのだ。


この地域には、古くから施設の存在が近くにあった。
それは物理的にも、心理的にも。
半世紀も前から続き、とても規模の大きい施設。
利用者だけでなく、そこで働く職員もたくさんいる。
この地域に住む人間なら、一度は見聞きしたことのある存在であり、ずっと前からこの地に根付いていた施設。


学校でも、家庭でも、講演会でも、「その施設に入れれば、一生安心」という言葉を幾度となく聞いた。
この地域に住む関係者たちの頭の中には、その施設、福祉という存在があるのだとわかった。
みんな「自立的な生活を」と口では言いながら、身体は施設の方を向いている、そんな感じがした。


大きな福祉施設があることも、必要な方達が利用することも、問題だとは思わない。
しかし、あまりにも施設の存在が大き過ぎて、また身近で、自然過ぎた結果、施設に入ることが当たり前になってしまったことに問題の発端を感じる。
同時に、その施設の元職員として、本当は必要のない人、学び、成長すれば、もっと違う選択肢があった人までも、年代に関わらずどんどん受け入れてしまったことに施設側の過ちがあると思う。


「その施設に入れば、一生安心」という営業トークと治せなかった支援者たち、そして一生懸命学校で教育を受けたり、家庭で子育てされたりしてきた若者たちが、どんどん施設へと入っていた結果が、いつしか「どうせ施設だし」という言葉を生みだしてしまったのだと思う。
この言葉は、支援者から、親御さんから、地域の人達から、熱を奪っていく。


研究の目的も担う養護学校は、普段の授業から熱を奪い、研究のための授業に、つまり己の出世のために熱を使うようになった。
家庭で起きた問題行動も、しつけと言えることも、「私が何とかしなければ」という想いから熱を奪っていった。
地域住民との間でトラブルが起きたとしても、「施設の人」ということで、同じ地域の人間だという熱を奪っていった。


結局、この地域の特別支援に勢いがあった時期は、治せない時代であり、ただ施設内で適応できるための「構造化された支援」がブームになっただけの話である。
でも、今は違う。
治せる時代になり、また福祉以外の選択肢が増えた時代である。
福祉に頼らなくても、自立できる人達、幸せになれる人達が出てきたのだ。
高等部卒業後、作業所に行って、福祉施設に入れば、万々歳という時代ではない。
それなのに当地は、未だに「どうせ施設だし」という言葉が熱を奪い続けている。


教育大の同級生たちは、私を見て、「学生時代と変わらないね」と言う。
私から見れば、学生時代、「あんな教師にはなりたくないね」と話していたあのときの教師と同じ目に、「君たちが変わったんだよ」と思う。


私は今も当地に存在している「どうせ福祉だし」という言葉と闘い続けているのかもしれない、と思った。
関わっている子ども達の通知表、地域の若者たちの進路状況に触れ、福祉に入るための教育、頑張っても、頑張らなくても、結局、みんな行くところは福祉、という現実から、きっと「どうせ福祉だし」という言葉を聞いたのだろう。
「どうせ福祉だし」は、本人から発せられる言葉ではない。

2017年3月28日火曜日

ローカル福祉施設への供給の場

特別支援教育には、こんな雰囲気がある。
小学校は、勉強。
中学校は、勉強よりも作業。
高校は、とにかく作業。
「現場実習に行って、とにかく経験を積ませるんだ」という学校の姿を見ると、そこは学校ではなく、そこは学びの場ではなく、そこは就職予備校であり、当地で言えば、福祉施設への供給の場に見えてくる。
特別支援"教育"が根本的な学びを大切にしなくて、どうするんだ。


同世代の子どもたちよりも、発達、成長の速度がゆっくりな子ども達。
もっとゆっくり時間をかけて、それこそ、定型の子ども達よりも1.5倍、2倍の時間をかけて、根本的な学び、基礎的な学びを積み重ねていけば良いのに、と私は思う。
それなのに、「18歳卒業→福祉施設」という逆算から、学んでいる途中の子がいるのにも関わらず、「はい、中学生になったから、作業学習ね」「はい、高校生になったから現場実習ね」と、彼らの持つ手から鉛筆を取り上げる、そんな感じがする。


「18歳で進路を決めなくてはならない」
というのは、ローカル福祉業界の営業戦略。
そうやって順番待ち、利用者数を確保しつつ、新しい通所施設やグループホームを作るための根拠と安心を得ているだけ。
こんなことに教育がプレッシャーを感じたり、慌ててしまったりしてはならない。
本当なら一般就労できる可能性があった子も、より自立的な生活ができた子も、18でというか、12歳くらいで、ぶちっと教育が切れてしまうもんだから、ローカル福祉業界の敷いたレールの上に乗ってしまうのだ。


通所施設とグループホームは、別々のようで実際には分かれてはいないことが多い。
「一般就労しつつ、グループホームを利用したい」というニーズには応えていないのが現状(ローカルの場合)。
だいたい通所施設を利用している人の中から、新しいグループホームの利用者を集め、優先させる。
自分のところの通所施設を利用していない"外部"からの受け入れは、待機者名簿の最後方へ。
「(外部から)入りたければ、多額の寄付金を」というのも一般的な話。


今月は、当地の進路状況の話を聞いたり、通知表を見せてもらう機会が多かった。
「高校卒業後、すぐに福祉施設に入るための教育?」
「作業をするための学校?」
毎年のことだが、そんな"?"が浮かぶ1ヶ月だった。


私は、知的障害を持つ子にも基礎となる学力を身に付けさせてもらいたいと思う。
また特別支援教育全体として、もっと「人を育てる」ことを大切にしてもらいたいと願う。
作業学習をいくら積み重ねても、作業所で働く力は身につくかもしれないが、人としての成長と発達にはつながらないこともある。
とにかく学校は、本来の教育を行ってほしい。
今のように、学校がローカル福祉施設への供給の場になっているように見えてしまうのが、私は悲しい。

2017年3月22日水曜日

本来の成長の流れに戻るための支援

仕事とは面白いもので、一人、私の支援が必要なくなると、二人、新規利用の問い合わせがくる。
で、私が誰も卒業させられていない間は、新規利用の方がこない…。
私の支援がいらなくなった人が、知り合いなど、新しい人を紹介して連れてこられることは皆無なので、本当に不思議なものです。
お客さんを増やすことが目的ではありませんが、「誰かが見ている」という"眼”を感じながら、支援がいらなくなる支援のために、私の仕事に励んでいます。


私の仕事は「支援が必要なくなる支援を行う」というものですから、新規で利用される方にはその旨を伝えています。
「私はずっと支援するつもりもありませんし、支援し続けることもできません」と最初にお話しします。
大切なことは、自ら成長できる段階までいくことです。
それを私は、「その子の本来の成長の流れに戻った」と表現しています。


他の支援者と話したことがないのでわかりませんが、初対面のとき、私はその子の状態、発達段階の他に、「本来の(成長の)流れってどんな感じだろう?」と見ます。
発達の遅れやヌケ、症状や過去の学習の影響で、本来の成長、発達の流れに乗っていけないから支援が必要なのだと捉えています。
そこには大前提として、「どんな人の内側にも、成長、発達させる力を持っている」という信念があります。
「もし本来の流れに乗ったままだと、今頃はこんな姿かな。中学生、高校生、大人の頃ははこんな姿かな」と空想します。


「何かができるようになる」「問題、課題が解決する」というのは、私が考える支援の目的ではありません。
あくまで、それらは成長の流れに乗るための前段階の行為。
本来の流れに戻りさえすれば、あとは本人が治し、本人が成長させていくのです。
ですから、流れに乗る前までが私の仕事になります。


支援に携わっていると、ある瞬間、「流れに戻ったな」と感じることがあります。
それは初対面のときに見えたその子の本来の成長の流れです。
そして、本人と親御さんに「そろそろ卒業のときがきましたね」とお話をします。


これも面白い話で、「卒業」の話を切りだすと、本人は「わかりました」ですとか、「私もそう思っていました」ですとか、「もう大丈夫です」と言います。
一方で、親御さんの方が「もうですか」「もう少し」などと言われます。
こういった姿を見るたびに、子ども自身は、自分の状態と自分の成長の流れがわかっているのだと感じます。
なので、やっぱり私の役割は、「その前まで」だなと思うのです。


「卒業があるから新たな出会いがある」
そんなことを仕事をしながらも感じています。
そして「卒業させられるから私の仕事が続く」という誰かの"眼”を感じながら春の気配を感じる今日この頃です。

2017年3月14日火曜日

支援者の描く自閉症像に寄っていく子

これは私の感覚のお話です。


「THE自閉症支援みたいな支援を幼少期から受けている子が、どんどんTHE自閉症っぽくなるようになる」
そんな風に感じることがあります。


確かに自閉症の器質があり、その特性も出ているけれど、その子には自然な雰囲気があった。
でも、THE自閉症支援を受けてるうちに、その子自身がTHE自閉症に近づいていくような感じがあります。


THE自閉症支援も、経験の少ない、発展途上の、白いキャンパスを持つ子どもにとっては、重みのある刺激であり、重圧感のある環境です。
そういった刺激と環境の中で過ごせば過ごすほど、脳は与えられた場所でより良く適応しようと形作り始めます。
自閉症の特性を持つ脳が、THE自閉症へと歩み始める瞬間です。


THE自閉症へと歩み始めた脳は、THE自閉症支援の中で動きが出てきます。
しかし、その一方で、その子から自然な雰囲気が失われていきます、勢いが失われてきます。
コミュニケーションカードが上手に使えるようになると、自然な会話から遠ざかっていくのが、その典型です。
「衝立の中は落ち着くが、居心地が悪い」
「スケジュールがあると安心できるが、生活が窮屈だ」
子どもの中には、このような違和感を感じる子もいます。


THE自閉症支援は、提供する側にその"不自然さ”の認識がないと、THE自閉症支援に酔うという現象が起きます。
THE自閉症支援を提供する→THE自閉症支援に適応する→ますますTHE自閉症支援を提供する・・・。
専門家ではなく、支援マニアになっていく人は、このスパイラルにハマった人間です。
子ども自体がTHE自閉症に適応していっている姿を「自分の支援がうまくいっている」と勘違いするのです。
そして、知ってか知らずか、その子を自立から遠ざけていきます。


THE自閉症支援に適応した子どもは、成長するにつれてTHE自閉症支援を求めるようになります。
それが成人の場合、社会という自然な環境の中で過ごすことの方に違和感を感じるようになるのです。
「支援を受ければ受ける程、自立できない、就職できない」という現実と無縁とは言えないでしょう。


「自閉症として成長したいのではなく、一人の人間として成長したい」
「特別支援が社会に適応できる子ではなく、特別支援適応の子を作っている」
理想と現実です。


自然な雰囲気を持つ自閉っ子には、自然な援助を行い、不自然な雰囲気を持つ自閉っ子には、まず不自然さからの脱却を目指します。
THE自閉症支援を止めた途端、発達が自然で伸びやかになった子も少なくありません。
適応支援と発達援助の違いです。


私がお会いする子の中には、支援者の描く自閉症像に寄っていく子がいるように感じます。

2017年3月13日月曜日

湧き出る想いは「成長の出発地点」

その子から湧き出てくる想いが、成長のきっかけになる。
私はそう思って、子ども達と関わっている。


ある子は、「勉強がわかるようになりたい」と言った。
医師も、担任も、支援者も、みんながみんな「それは無理だ」と言ったが、私は掴んだ成長の端っこを離す気はなかった。


私は勉強できる身体作りと、勉強する習慣作りをお手伝いした。
あれから半年。
この子は、勉強の準備ができた身体で、毎日、コツコツと家庭学習を続けている。
100点の答案はもう少し先になりそうだが、それでも訪問するたびに、嬉しそうに答案を見せてくれる。


「勉強がわかるようになりたい」という湧き出る想いが満たされていくと、成長が枝分かれしていくように感じた。
「はい」か「いいえ」、単語だけのやりとりだったのが、自然な会話ができるようになった。
周囲の子と喧嘩ばかりしていたのに、毎日、一緒に遊ぶ約束をするような友だちができた。
家でお手伝いをするようになり、夜は自ら布団に入るようになった。


子どもはときに、湧き出る想いを表現することがある。
それを聞いて「何故?」「急に?」「難しいんじゃない?」と、頭が反応する。
でも、そこには字面からは読み取れない表現が重なりあっている。


子どもというのは、何をすれば、自分が成長、発達できるか、を知っている。
一見すると、突拍子なく、現実離れしているように感じることでも、その子にとっては、それが答えなのだ。
子ども自体も頭では分かっていないかもしれないが、その子の身体がそう言わせている、ということもある。


子ども達の湧き出る想いを両手で掬うことができているだろうか。
湧き出る想いは、成長の出発地点を教えてくれる。

2017年3月1日水曜日

万年野党(ブ)

スキャンダルや問題が起きると、俄然やる気を出す。
自分が攻撃されない立場で、ただ批判を続けているときが一番輝いて見える人たち。
それが万年野党の証ともいえますね。
自分たちが与党になった姿を想像させられない人達には、社会からの支持を集めることができません。


ギョーカイ人の言動、振る舞いを見ていると、「自分たちが与党である」と思っているのかな、と感じます。
確かにギョーカイ内では与党かもしれません。
でも、社会から見たら、あなたたちは正真正銘の万年野党なのです。


「社会の理解ガー」と言っているときというのは、彼らが輝いている瞬間でもあります。
社会を敵に見たて、「私達は、自閉症とその親御さんのために闘っている!」「社会という敵から、理解を手に入れるんだ!」という自分たちの姿に酔いしれているのです。


いつも思うのですが、「社会の理解ガー」という人達、もし社会が理解しちゃったらどうするのでしょうかね?
国民のほとんどが、自閉症、発達障害について知識をもっている。
街で、職場で、学校で、彼らを見かければ、「あ~、自閉症ね」「あ~、ADHDね」って、すぐにわかっちゃう時代が来たら…。
そんな時代がくれば、真っ先にいらなくなるのが「社会の理解ガー」と言っている人達ですよね。
だって、「私達だって自閉症、発達障害については知ってるよ。だから、専門家だったら、改善しろよ、治せよ」ってなるに決まっているからです。


そんな声が聞こえてくれば、スキャンダルがなくなったときの万年野党のように、一気に輝きを失います。
「ほら、社会は理解したよ、自閉症、発達障害について知識を持ったよ。次は、あなた達の力が試されるのですよ」
そうやって、ただ文句を言って酔いしれていればよかったときとは異なり、ぽんっと政権を渡されると、あたふたするのが目に見えています。
「社会の理解ガー」という声以外に、彼らに武器は持っていないのだから。
破れかぶれで、政権をとっても、次は「合理的配慮ガー」と声を上げ始めるかもしれませんね(ブ)


社会に子ども達を送りだす仕事をしている人間が、社会を敵に見立てて主張している時点で、完全にアウトだと思いますね。
そもそも社会を敵にしないと、自分たちが輝けない、価値が見えない、という時点で終わってます。
腕や実力がない人間が、何かを敵に見たてて存在意義を感じよう、自己責任から目を背けよう、とするのは、どんな世界でもよくあることです。
社会が理解したあとは、それこそ、今以上に腕と実力が問われる時代になるのです。
とにかく「理解ガー」と言っていれば良いだけの時代ではなくなるのです。


ギョーカイは完全に“終わり”という道へ歩み始めているのだと思います。
本来なら、腕の良い治す支援者が、少数精鋭でいればよかった。
でも、おのれの愛着障害故に、人を集め、組織を作り…そこには、腕の悪い支援者、人のためと言いつつ自分のために支援者をやろうとする人間まで集めてしまった。
そういった仲間を養うために、治す方向ではなく、「理解ガー」とやってきてしまった。


彼らが求めるように、社会が理解してしまったら、もう理解のための支援者は用済みになる。
そして、社会からの声、「治せない支援者は去れ」ということになり、ギョーカイはTHE END。
またそれとは別に、社会から「理解はいいから、まず治せよ」と言われてしまえば、おまんまの食い扶持が確保できずに、ジリ貧になり、ギョーカイはTHE END。
結末は一緒ですね。
違うのは、一気に潰れるか、じわじわと潰れるかの違いだけ。


あなた達が求めている社会、「自閉症、発達障害に理解がある社会」が本当にやってきても、ギョーカイのあなた達は大丈夫なの?
でも、もしかしたら、「自閉症、発達障害に理解がある社会」が来ないことを知ってて、「社会の理解ガー」ってやってるのかな?
もしかしたら、どっかの万年野党みたいに、パフォーマンスでやっているんじゃない?


正直なところ、私が「社会の理解ガー」を支持しないのは、また嫌悪感を懐くのは、彼らがパフォーマンスで「社会の理解ガー」とやっているように見えるから。
本気で、社会が理解すれば、自閉症、発達障害の人達が幸せになる、と思って行動しているのなら、まだ愛しがいのある人達だと思う。
でも、自分たちの宣伝と生きながらえるために、自閉症、発達障害の人達を使っているとしたら、それこそ真のバカ、救いようのないバカだと私は思うのです。