2017年4月10日月曜日

私だったら、お土産は受け取らないな~

私が医師だったら、そして診断名をつける仕事をしていたら、本人や親御さんからモノは受け取らないですね。
「どこどこに行ったときのお土産です」とか、「お世話になっているので、皆さまでどうぞ」というくらいのものでも、ゼッタイに、私なら。
だって、身体的な障害とは異なって、発達障害の診断って人の意思が入りこめる幅があるんですもん。
当然、人が行うことですから、ミスも起きるでしょう。
また本人やご家族の状況、医師の考え、思いなどが、ある種の空気感を生むこともありますよね。


「スペクトラム」ということからも分かるように、自閉症、発達障害の人がピョンと離れて存在しているわけではなく、みんなつながっているわけです。
それに発達のヌケを埋めたり、成長したりすると、どんどん症状は良くなるし、治る人も出てくる。
これは当然の話というか、自然な話。
みんな生きているんだし、脳には可塑性という特徴があるんだもん。
ある有名支援者が「良くなることはなくて、悪くなるのが一般的。だから、現状維持できているだけでも儲けものだと思いましょう」と語っていましたが、学生時代の私でも、これが営業トークか、本気で言っているかは分かりませんでしたが、「現状維持のための支援」なんて馬鹿げていると思いましたよ。


学生時代と言えば、いろんな発達検査を見させてもらいましたが、こんなに検査者の意思が入るものなら、あんまり意味がないな、と思って見ていましたね。
あるとき、「今の行動を評価してみろ」と言われるから、見たまんま評価すると、「それは厳し過ぎる」って良い評価に変えられちゃった。
あとから聞いたら、前回、検査したときと同じだと、支援の効果が疑われるからだって。
だから、大きく成長はないけれど、ちょっと成長した感じにするのがミソらしいですよ、奥さん。


また話が逸れちゃいましたけど、とにかく私なら情が入りこまないような対策をする。
「重いように書いてください」という方も方だし、「重めに書いておきましたよ」という方も方。
子どもそっちのけで、大人同士がこういったやりとりをするのは憤りを感じます。
ペン先で、一人の子の人生を変えちゃうかもしれないことをやっているのです。
それに支援サービスの量、免除や補助とも関わってくる。


数年前、「耳が聞こえない」「目が見えない」って、実際とは異なる診断書を出して、不正をはたらいていた医師と患者が捕まったのもありましたよね。
実際よりも症状が重いように書いて、行政に提出したら、これも数年前の事件と同じ話じゃないですかね~。
「児相の評価と、ドクターの評価が違うんです」と言われる親御さんは結構います。
減らしたい方と増やしたい方のせめぎ合い。
まあ、だいたいは児相の方が、本人のことを客観的に見てますね、直接モノを貰っていない分(ブ)


"イシ"によって、実際と異なる診断、評価を受けることにどのような意味があるのでしょうか。
発達のヌケを埋め、成長し、良くなったり、治ったりした子は、むりくり診断基準の中に押し込めない方が良い、と私は思いますね。
治ったのなら、治った人生を歩んでいけばいい。
それなのに周りの大人が「ねえ、治ってないよね。治ってないって言ってぇ~~~」って、子どもの可能性を奪っているようにも見えます。


意思の入った診断書より、客観的な評価の方が、本人の、親御さんの頑張りへとつながると思います。
実際、手帳の再判定で「交付対象外」とされたご家族が目の色を変えて、将来のために一生懸命頑張るってことがありますから。


意思が入る余地があるものだったら、なるべく意思が入らないような対策を取る。
それがプロという者。
患者の好き嫌いがペン先に影響を与えるから、ゴマを摺って持ち上げたり、青くしたり、お土産を渡したり、言いたいことを遠慮したり・・・、結局、子どもではなく、大人の顔を見るようにさせちゃうんですね。
これじゃあ、良くなるもんも、良くなりませんわ!

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