診断基準に書かれていない

自閉症の診断基準に、「二次障害があること」なんて記述はありませんね。
他にも、「支援がないと、安定した生活が送れない」ですとか、「一般就労はできない」「週40時間働くことができない」「通常級は無理」「集団は無理」「頑張るのも無理」「社会の無理解に苦しんでいること」なんていう記述もありませんね。


でも、ギョーカイは、あたかもそれらが自閉症の人の必須条件のように言います。
彼らが主張する「早期発見、早期療育」「支援があれば」「理解があれば」の根拠は、こういった二次障害を防ぐためであり、安定した生活を送るため、というもの。
でも、そんなのが自閉症の特性ではなく、自閉症の人、すべてに当てはまるわけはないのです。


じゃあ、彼らが支援によって、自閉症の人達を何から守り、何を手助けしようとしているのか?
そうなんです。
その“何か”なんて、元からないんです。
彼らは、自閉症の人達を守ると言いながら、守っていたのは自分たちの仕事であり、組織なんです。
確かに、二次障害を持つ人、一般就労が難しい人も、中にはいます。
でも、それは自閉症の必須条件ではないですし、避けては通れないことではないんですね。
それなのに、いつの間にか、自閉症とそういったネガティブな事象をくっつけ、「それから守るんだー」「支援が必要なんだー」「社会の理解が必要なんだー」としたのです。


よく考えてみてください。
支援を受けることによって「ネガティブな事象を避ける」ってオカシナ主張だとは思いませんか?
本来、支援を受けることで、「ポジティブな結果が得らえる」「ポジティブな方向へと進める」というのならわかるのです。
特別支援で言えば、支援を受けることで自立度が上がり、就職の可能性が広がり、進路の選択肢が増える、というのなら、私も「支援があれば良いな」「彼らの主張を応援したいな」と思います。
でも、彼らのやっていることは、本人と家族を怖がらせ、自分たちのやりたい方向へと引き入れているだけなんです。
「支援がないと、大変なことになるぞー」と言って、支援者という仕事を守っているんですね。


ですから、みなさん、騙されてはいけません。
仕組みは、霊感商法と同じで、「ほら、あなたには霊がついています。このままでは災いが生じますから、壺を買いましょう。はい、百万円」と一緒です。
違うのは、壺が支援で、百万円が税金、ということです。
そもそも二次障害は自閉症にくっついていません。


そういえば、昔、ギョーカイは「適切な支援がないと、二次障害になる」という強引な主張をされていました。
でも、二次障害を持つ自閉症の人達は、ギョーカイ支援者の側ばかりにいませんかね?
これは、あなた達がずーーーとやってきた視覚支援、ABA、早期発見、早期療育、そして「社会の理解ガー」が、不適切な支援だったという証明ではないでしょうか(ブ)


これらが実を結び、適切な支援になっていたのなら、二次障害の人は増えるのではなく、減っていくはずです。
二次障害にならないための支援が、二次障害が減らないばかりか、治らないし、増える方向へといっている。
これでは、社会は聞く耳を持ちませんし、手を貸しません。
社会のためになる仕事をしなくてはいけませんね、特定の団体を生き延びらせるために社会は存在していませんから。


社会が求めていることは、自閉症の人達にその資質を社会で活かせるようになってもらうことでしょう。
それこそが、社会のためになり、より良い方向へと進んでいくのです。
ですから、社会はそもそも防ぐ支援なんて求めちゃいない。
求めているのは、ポジティブな変化をもたらす支援ですね。


支援を受けることで、働ける可能性は減るし、二次障害も増えちゃうし、福祉資源も益々必要になっちゃう。
例え、支援によって二次障害にならなかったとしても、彼らの持てる力を活かせなかったことに対する社会的損失の方が大きいと私は思いますね。
ギョーカイが栄えて、社会が滅びる、なんてことはないようにしなければなりません。


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