2017年5月9日火曜日

「問題行動の原因は、不適切な支援にある」というメッセージがもたらした影響

そうそう、「適切な支援がないと、二次障害になる」というのと同じ類の言葉がありましたね。
「問題行動の原因は、不適切な支援にある」というやつ。
私が新人のとき、よく上司や先輩、お偉い先生方から言われたことです。
まだまだギョーカイとはナンタルモノカ、を知らなかったあまちゃんの私は、その言葉を信じ、問題行動と向き合うたびに、己の力の無さを悔い、勉強する動機づけにしていました。


「問題行動が起きるのは支援者のせいだ」というメッセージは、問題を起こしても辞めさせられることのない福祉の世界の人間にも影響を与えました。
それは、支援者、仕事人としてではなく、その人の持つ心にネガティブな想いを懐かせていたのだと感じました。
そして、このメッセージは「隠す」という方向へ、ヒトの心を動かすのです。


自分が接している人に問題が起きたとき、「これは自分の支援の至らなさだ」と自動的に頭に浮かび、次の瞬間、口でそのことを否定する言葉を発している、そんな感じです。
「調子が悪かったんだ」「過去の経験が影響して」「周囲がうるさかったから」…。
「問題は障害のせいではなく、自分の支援の至らなさ」
これを受け止められない心の持ち主は、自分以外の「何か」のせいにし、そしていつしか見ようとしない、問題自体を隠そうとしてしまうのです。


あるとき、学校から寮に戻ってきた子から、ただならぬ雰囲気を感じたことがありました。
でも、先生からの引き継ぎでは「特に変わりなく」で、連絡帳を見ても、良いことしか書かれていない。
その瞬間、わかったんですね、「悪いことはなかったことにしよう」としているって。


ここからは一般論です。
全員に当てはまる、といっているわけではありません。
こういう風に書かないと、「そんな人ばかりじゃない」「一生懸命頑張っている人もいる」などと、言ってくる人もいて、めんどくさいので。


学校という組織、文化、仕事というのは、リスク、問題を一番に嫌うように感じます。
これは学校の補助、ボランティア、教育実習、施設職員、学校の教師、現職を通して感じたこと。
理由は簡単。
損失だけではなく、「売り上げが少ない」「成果が足りない」というのでも責任が問われる仕事とは違い、問題が起きたときのみ、責任問題になる仕事だから。
つまり、問題を起こさなければ、クビにならない仕事であり、どうしても自分で責任を負おうとしなくなる。
自分のクビをかけて働こうとしている人間、問題が起きないように自己研鑽を積もうとする人間がいる一方で、普通の人達は責任回避というラクな方へと流れてしまう。
こういうのは、どんな仕事、場所でも同じだと思います。


このような文化、土壌のある学校に、「問題行動が起きるのは支援者のせいだ」というメッセージは、インパクトが強いものです。
学校で問題行動が起きれば、一大事です。
だって、それは教員の支援、指導の問題で、「あなたに責任がある」と言われてるのと同じだから。
ですから、記録として残る連絡帳、個別支援計画書、成績表等に、問題行動の記述は見当たらない。


「問題行動の原因は、不適切な支援にある」というメッセージは、問題の本質から目を逸らさせただけだった、と思うのです。
このように積極的に発信してきた当時の先導者たちは、我が子との間に負い目があり、自分の至らなさを受け止められない人であり、自分たちの組織を発展させていくために特別支援を広めることに突き進んでいた人たちのように感じます。
でも、彼らのやったことは、現場の職員を問題から遠ざけてしまうこと。


問題行動が、その人の外側のみで起っているわけなどないのです。
問題行動が湧き上がってくるのは、その人の内側からであり、その人の身体を通して行われること。
ですから、その人に無関係なことはなく、治すべき対象はその人の内側にある。
それなのに、外側にその原因を見ようとするから、問題はなくならないのです。
ギョーカイが問題行動を治せない理由は、ここにあります。


「想像力の障害」という特性は、問題行動の要因の大きな部分だと思います。
世の中の切り取り方、情報の取り方に影響を及ぼし、独特な解釈を生みますので、ツッコミを入れ、修正していく必要がある。
これは環境を変えることではどうにもならない。
そうです、治す対象は、その人の内側にあるから。
相手の表情が読めないことは人間関係のトラブルを生みますし、感覚過敏は他人との共有を阻みます。
これらも内側にストーリーの始まりがあります。


今ではその人の内側にある課題を育て、治す方法があるので、「問題行動の原因は、不適切な支援にある」という主張に耳を貸すものは少なくなります。
当時も、今と同じように、「問題行動は治す対象であり、変えるのは本人です。アプローチは身体からが近道で、育て直すのは発達のヌケなのです」と言われれば、もっと違った今があったように感じます。


問題行動は、環境がきっかけになることもありますが、変えるのは環境の方ではありません。
問題行動は治す対象であり、治すのは本人の内側にある。
そして、今はその原因となる特性を治すアイディア、方法があるのです。


問題が起きないように、起きないように、先回りしていた親御さん、いつも子どもとの間で緊張ばかりしていた親御さん。
そのような親御さんの姿を思い出すたびに、「問題行動の原因は、不適切な支援にある」という言葉が支援者、先生たちにだけではなく、親御さんにも大きな影響を与えたのだと思え、悔しくなるのです。


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