忘れ去られる登場人物の一人でありたい

私は、その人の支援を終えるとき、「私のことは忘れてください」と必ず言っています。
確かに、人生のある期間、共に学び、発達のお手伝いをさせてもらったかもしれません。
でも、治したのは、その人自身であり、「支援がなくても大丈夫」という想いも、その人の内側から湧き出たものです。


私にとって“発達援助”とは、“治す”とは、仕事であり、日々の生活、また私の人生にとって大きなウエイトを占めるものです。
そのくらいの想いをもって仕事をしています。
しかし、その人にとって、その人の人生において発達障害を治すことも、支援を受けることも、人生の目的にはなり得ませんし、大きなウエイトを占めてはいけないものだと思います。


私は、新規で利用される方にも、必ずこう言うようにしています。
「発達障害を治すのは目的ではありません。人生の通過地点です。人生の目的は、本人が幸せになることと、本人が持つ資質を他人のため、社会のために活かすことです」
発達障害に悩み、苦しんだ時期があったとしても、「障害に打ち克つのが我が人生」「障害と向き合い、受け入れた人生」などという人生にしてほしくない、と私は思うのです。


この世界にいると、支援したいのが支援者であって、必ずしも当事者みんなが支援を受けたいとは思っていないのだと感じます。
支援者にとって支援は仕事ですが、本人にとっては支援を受けるのが仕事ではありませんし、人生の目的でもありません。
ここのところを勘違いしていると、「先生のおかげで」なんて言われると、喜んでしまう支援者になってしまうのです。


だいぶ会わなくなってから、久しぶりに本人や家族と顔を合わせる。
そんなときに、上記のような「先生のおかげで」という言葉を受け取ると、その当時の自分を思い出し恥ずかしくなってしまいます。
本人が主体的に発達、成長を遂げていくものなのに、「私の支援」という色が残ってしまっている。
本人の治る過程の中に、日々の生活の中に、馴染むことのできなかった自分のウデの悪さが身に染みるのです。


また、いつまでも、治ったあとでも、支援を必要としなくなったあとでも、「発達障害」「支援」「支援する人、される人」というような言葉、私との日々が残ってしまっている。
人生の目的ではない発達障害を治すことが、まだ思いだされてしまう。
理想は、身体が覚えていて、頭で忘れている状態です。
私を必要としなくなった彼らと再び会うときには、彼ら自身の人生の目的に向かって、まっすぐ歩いていて欲しいのです。
「あの人、見たことがあるな」「あの人、誰だっけ」が、私が思い描く理想の支援者像であります。


10年後、20年後、私が一時期関わらせてもらった本人とそのご家族が、「そういえば、発達障害って言われていた時期があったよね」「そういえば、支援を受けていた時期があったっけ」と、思い出話の一つとして、笑い話の一つとして会話がなされるくらいが、ちょうど良いと思うのです。
その家族の思い出話の中に、私の名も、存在も、必要ありませんから。

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