親御さんは、治ってほしいから早期療育に行く

幼い子の親御さんは、みなさん、「治る」を求めていらっしゃいます。
最初から「一生涯の支援」なんて求めてはいないのです。
改善ではなくて、治るが希望です。


「治したい」というのは親として当然の想いです。
そんな当然の想いをもって、早い時期から療育を求めていきます。
ですから、早期療育というのは、治したいという想いを持った親御さんが受けに行くものです。
しかし、早期療育をおこなう方は、親御さんと同じ想いを持ち併せてはいません。
むしろ、親御さんの希望とは正反対の方を向いているのです。


私のところにいらっしゃる親御さん同様、発達障害を治したいと思い、また治ることを期待して早期療育を受けに行きます。
幼い我が子を抱きかかえ、いろんな時間と引き換えに療育機関に行く。
そして辿りついた先が、期待していたもの、希望したものではなく、一生涯の支援コース。
障害があるのだから、より多く支援を受けることこそが、親にできることであり、この子の幸せにつながる…。
そんな風に囁き、特殊な価値観に誘導していくのです。


一生涯の支援が決まっているのなら、年端もいかない子を抱きかかえ、いろんなものを投げ打って、早期療育とやらに行くでしょうか?
親御さんは早期から療育を受ければ、症状は治っていくし、将来の自立につながると思っています。
それなのに、何をやるかと思えば、絵カードの使い方の練習、ごく限られた場所でしか意味をなさないSST…。
これって支援者が支援しやすいような“植え付け”を行っているだけでしょ。
早期から支援を入れておけば、あとあと支援がラクっていうのでしょ。
早い時期からメンドリにしておこうっていうのでしょ。


早期療育というのは、治す方を向いていないといけません。
支援導入期ではなくて、この子が生を受けたそのときから今までにやり残してきた発達のヌケを育て直す時期だと思います。
早期から発達のヌケを育てなおしてきた。
それでも埋まらないものがあれば、そこは上手に支援を受けながらより良く成長と生活の充実を目指していく。
それが自然な姿、流れだと思うのです。


幼い子の親御さんは、いろんな面で余裕がありません。
そんなとき、親なら誰でも思うし、願う「治る」だけをもって早期療育の扉を開けてしまいます。
扉を開けた瞬間から走りだし、気が付いて振り返ったときには、すでに扉が見えなくなっていた…そんな家族の姿も多く見てきました。
ですから私は、幼い子の親御さんとお会いすると、情報提供をしています。
福祉は慈善活動ではないことを。
支援者はマザーテレサではなく、普通の人間であり、労働者であることを。
そして、早期療育の中に「治す」という選択肢は用意されていないことを。
診断の扉を開けても、療育の扉を開けても、相談の扉を開けても、就労の扉を開けても、結局、建物の中ですべてつながっている。


現在、早期療育を受けてこなかった人の方が自立した人生を送っている、そんな状況が生まれているのです。
早期療育とは、早期から支援しやすい人、支援を受け続けてくれる人を作るために行われているものと言われても仕方がない状況です。
わざわざ余裕がない時期に受けに行くものではないのです、早期療育とは。
だって、療育する人間が一生涯支援が必要だって言っているのですから。
幼いときだからこそ、家でできる育て直し方があるのです。


一年前に書いたブログ→『そろそろ「早期療育」の結果が出る頃では?』

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