2017年11月12日日曜日

障害者をメンドリに仕立てる土壌の正体

福祉施設で働いていたときも、支援学校で働いていたときも、同僚の人達は一生懸命で、「利用者、生徒のために頑張りたい」という人ばかりでした。
現場の職員の中に、「この子の障害は重いままで良い」「問題はそのままで、成長しない方が良い」と考えている人はいませんでした。
それは当たり前のことで、支援者は問題がなくて、自立的に生活できる人の方がラクですし、教員は子どもの成長を願う人が就く仕事ですから。


しかし、このように障害を持った人をメンドリにしようとは思っていない現場の職員たちも、知らず知らずのうちにメンドリ化の土壌を育みます。
それは、障害を持った人と関わる仕事を求める人の中には、身内に障害を持った人がいる人が多いこと、愛着障害を持った人が多いことが関係しています。
障害を持った身内(その多くは兄弟児)がいる職員と一緒に仕事をしていますと、どうしても手を貸し過ぎる傾向があります。
そういった様子からは、子ども時代、手を貸すことを求められ、また手を貸すことで家族から有難がられていた姿が見えます。
口では「自立」と言うものの、先に、先にと自然に動き過ぎることがあるため、結局、その人を自立から遠ざけてしまう、介護慣れさせてしまいます。


同様に、愛着障害を持った職員は、自分を頼ってくれる人がいることで自分の存在価値を感じようとする傾向がありますので、その子が自分の手から離れようとすると、急に気分が落ち込んだり、そうさせまいとしたりします。
ですから、これまた無意識のうちに自分の側にい続けてくれることを求め、結果的にメンドリとして籠の中に閉じ込めてしまうのです。


他にも、特に教員は、子どもが障害を持っているから自分が先生であり、その子が生徒になりますので、支援級から普通級へ転籍するのを嫌がったり、自分の力量不足や課題の多いクラスを受け持った場合には、一人ひとりに合わせて伸ばしていくよりも、その日一日を無事に終えられるよう学級適応を目指した指導になってしまったりすることもあります。
福祉の場合は、志を持って就職した人よりも、「仕事がなくて」や転職組が多いですから、もともと知識を持っていない、障害=介護だと思っている、問題なく静かにしててくれればよいと思っているなど、結果的に大人しいメンドリを求めて仕事をしてしまいます。


このように直接かかわる現場の職員は誰も最初から障害を持った人をメンドリにしようとは思っていませんが、結果的にメンドリを求めてしまう土壌があります。
一方で直接かかわらない管理職や相談職の人達は、意識の中にメンドリがあるように感じます。
それは個人の問題もありますが、それよりも制度の影響が大きいといえます。
より重い人により多くのお金が、利用回数に応じてお金が増えていく制度になっています。
成果は問われていませんし、数値として出る障害ではありませんので、支援者側のさじ加減で重くも、軽くもできてしまいます。
管理職は、ある意味、ブラック企業みたいな職場を任されていますので、どんどん自立させて、どんどん新しい人を受け入れるよりも、同じ人で、できるだけ大変じゃない人に長く利用してもらいたい。
だから、軽い人は重いように評価し、自立できそうな人は「もう少し支援が必要」と評価する。
同様に、相談職の人達も、猫も杓子も発達障害の時代で、一人が抱えている担当者数が多すぎる状況ですから、新規は受けたくないですし、一方で回数は稼がないといけませんので、同じ人を継続支援にしてしまう。


管理職や相談職の人というのは、もちろん、身内に障害を持った人がいる人も、愛着障害の人も、仕事がなくて&転職組も多いですが、それよりも制度からの影響で、メンドリ化しているように感じます。
猫も杓子も「発達障害」と診断するのも、「早期療育!」と言って早くから唾をつけておこうとするのも、治せないし良くならないから啓発活動、ライセンス活動に傾倒していくのも、愛着障害と制度が混ざりあった姿なのかもしれません。


特別支援の世界に入って15年くらいですが、最初から障害を持った人のことを「お金」としてしか見ていない職員はいませんでした。
むしろ、ほとんどの職員は良い人で、熱心な人ばかりでした。
しかし、良い人だからこそ、といいますか、良いだけの人が多いために、「障害者の楽園」みたいな方向に進みがちですし、都市部以外のところに支援校や福祉施設があることが多いので、村社会で、公共事業みたいになってしまう。
成果は評価に入らない制度が、「自立しない方が良い、お得」という価値観の形成を後押しし、愛着障害を持つ職員と合いなって多くのメンドリを育てる方へ向かうこととなります。


このことに気づかず、どっぷり支援の中に浸かってしまう親御さんは、いつの間にか、自立よりも、しっかり支援を受けられることを目指してしまいます。
結果として、支援者にとって良いメンドリになることが、良い人生につながると錯覚してしまうのです。
また、ずっと利用してもらいたい支援者側と、責任を持ちたくない、もうすべて任せてしまいたい親御さんが、同意の上でメンドリにしてしまうこともあります。


メンドリとして育った人は、他の誰かが食する卵を産むことはできますが、自らの羽で飛べることを忘れ、それができなくなってしまうのです。
ですから、特別支援の世界にはメンドリを育てる土壌があることを知ったうえで、本人、家族自らできることは行い、そして足りない部分、できない部分を教育、支援で育んでいくのがメンドリではなく、社会に羽ばたく人を育てることにつながると思います。


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