2017年12月16日土曜日

『支援』という名の介護

『支援』という言葉は、支援者にとって便利な言葉で、親御さんにとっては厄介な言葉です。
支援者は子どもに関係することをやりさえすれば、「支援しました」と言うことができます。
そして親御さんは、我が子に何かしてもらうと「支援を受けた」と認識します。


親御さんの多くは、支援を受けたいと思っています。
その支援が何にかと言えば、子どもの発達や成長に対する支援です。
決して「ただ遊んでくれればいい」「ただ怪我がないように、見ててくれればいい」「ただお世話をしてくれればいい」と思っているわけではありません。
その支援に、学びや教育的な要素が入っていることを多くの親御さんは望んでいるはずです。
ですから、親御さんの思う『支援』とは、教育に近い支援です。


しかし、支援者が行っている支援、支援者が言う支援とは、必ずしも学びや教育的要素が入っているとは限りません。
むしろ支援者が「支援」と言うときには、介護に近いことが多いです。
彼らは何かを教えようとする際、「指導」という言葉を使います。
実際、自分たちがやっていることは介護なんだけれども、学齢期の子ども達や発達障害の人達に「介護」という言葉は使いづらい。
だから、便利な『支援』という言葉を使い、介護をしているのです。


子どもが部屋の隅で、一人で遊んでいる。
それを見守る支援者は、支援していると言う。
しかし、それは見ているだけで、教育的な要素はありません。
見守りという介護です。
パニックが起きたときに、静かな場所に誘導するのも、
トラブルが起きる前に刺激になりそうなものをすべて隠してしまうのも、
外での活動の際、本人が待たないように、事前にすべて手続きを終え、本人はただやるだけにしておくのも、
限りなく介護に近い支援だと思います。


構造化された支援というのも、実態は介護だというものもあります。
本人が迷うことがない完璧なスケジュールを組み立て、提示する。
本人は、それを見て、一日活動をこなしていく。
こうなると、それはスケジュールカードが行う声掛けであり、誘導になります。
スケジュールに選択や考える要素が入っていることや、時間の概念、自ら計画を立てる力を養うことへとつながっていることが大事です。


「〇〇はやってはいけません、バッテンです」「お友達と遊ぶときは、〇〇しましょう」という構造化。
これだって、それが提示されないとできないのなら、支援者が声がけ、指示しているのをただ視覚化しただけ、絵や文字にしただけにすぎません。
見えないルールを視覚化することにより、本人が理解できた。
そして、理解したことを身につけるところまでできて、その子の成長を支援したといえます。
つまり、構造化された支援も、本人の成長、発達に繋がっていないのなら、それは介護になるのです。


福祉リードで発展してきた当地の特別支援は、構造化された支援を好んで用います。
足りない人手を構造化に担ってもらえるからです。
構造化に介護をさせて、「支援しています、エッヘン」と口で言う。
ですから、『支援』という言葉は支援者にとって便利な言葉なのです。


支援者の言う「支援」とは、教育寄りの支援なのか、本人の発達と成長を後押しするものなのか。
はたまた教育的な要素が見当たらず、それは介護という言葉の言い換えなのか。
どちらの意味で、支援という言葉が使われているのか、親御さんには注視してもらいたいと思います。


親御さんは、ずっと発達と成長を後押ししてくれる、将来の自立につながる支援を受けてきたと思っていた。
しかし、実際は支援という名の介護だった。
それだと、本人の成長が乏しいばかりか、介護慣れした人間に育ってしまいかねません。
残念なことに、介護に近い支援をたくさん、それも早期から受け続けた結果、介護されないと生きていけない人になった方をたくさん見てきました。
長年培った介護慣れから脱するのは、相当難しいです。


親御さんも、子どもの頃から介護を望んでいたわけではありませんし、介護を受けさせてきたという認識はありませんでした。
ただ支援を受けてきた。
でも、その支援に発達、成長を促す要素は乏しく、本人が困らないように、転ばないように手とり足とりされていた…。


このように支援者の言う『支援』と、本人、親御さんが望む、イメージする『支援』とは違うことがあります。
現在行われている支援には、教育~福祉、自立~介護、社会~ギョーカイ、という具合に幅が相当あります。
ですから『支援』という言葉が出たとき、「支援」という言葉を使わなければ、何という言葉で表せるか、別の言葉を考える癖をつけてもらいたいと思います。

8 件のコメント:

  1. はじめまして。こちらのブログに出会って半年ほどになるでしょうか。支援教育という、いまだに捉えどころのない教育?に何度も何度もゆさぶられながら、ずっと違和感があったので、抵抗しながら子どもを育ててきました。
    さて、そんな我が子も小学校6年生になり、いよいよ中学進学が迫っており、進路の選択をシビアにしなくてはならない時期になりました。
    知的には境界域の自閉症スペクトラム。でも身の回りのことは何でもできる。ひとりで買い物も公共交通機関も利用できる。コミュニケーションもとれる。でも中学の学習は厳しいだろうとの予想です。今は普通級です。

    中学では、普通級で通級利用。苦手教科はテストを受けず(内申放棄)その先は高等支援学校のルートを提案されています。その先は障害者枠での就職(福祉の世界では就労という言葉を使われるのはなぜ?)ということになります。

    私は5教科7科目をこなせるとは思えないのですが、それができないこと=高等支援学校=障害者雇用につなげるしかないのか?わからないのです。「内申」っていう制度があるので、どうやら普通高校には行きづらいらしいのです。普通高校にこだわっているわけではないのですが、苦手があると普通高校には行けなくて、その先は支援学校→全て障害者雇用になるというのが受け入れがたいです。
    福祉、教育、支援…今の支援教育は福祉へ結びつけていく気がして仕方ないです。

    高等総合支援学校は教育ですか、福祉ですか、介護という名の支援ですか?

    選択していくことが不安で仕方ありません。はじめてのコメントでこんなに長々と申し訳ありません。お時間あるときにでもお考えをお聞かせいただけるとありがたいです。

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    1. コメント頂き、ありがとうございます。
      住まれている地域、また実際の様子はわかりませんので、いただいた文面から思ったことを書きます。

      まず『身の回りのことは何でもできる。ひとりで買い物も公共交通機関も利用できる。コミュニケーションもとれる』という社会の中で生きる上で基本的なことは、小学校時代できちんと身についている、と思いました。
      これらは社会の中で使うスキルですので、親御さんがしっかりと教えられてきた、また本人にもそれを学び、身につける力があるのだと思います。

      普通級で学ばれてきたということですが、小学校4年生くらいの学力は、しっかり身についているでしょうか?
      もしそれが身についていないとしたら、中学校に行って苦労するでしょうし、授業についていくのも難しいと思います。
      しかし、小学校4年生の学力が身についている、また6年生の授業にもついていけている、としたら、そのまま、中学校も普通級で、といいますか、何故、今の時点で内申点を放棄するような選択肢が提案されるのかがわかりません。
      提案したのが誰だか分かりませんが、診断名、知能検査の字面しか見ていないか、自分たちはどうにもできない、またはラクをしたい。同じくらいの子が普通級の中で成長していく姿を知らないということなのでしょう。

      制度的に内申点がつかなければ、公立高校への道は難しいといえます。
      でも、私立の普通高校の道はありますし、たとえ苦手教科のテストの出来が悪くても受ければ内申点はつきますので、3年間テストを受け続ければよいと思います。

      中学校に行って、まったく授業の意味が分からない、学校外で勉強しても理解できないとしたら、そのまま、普通級で中学校生活を送っても、本人のためにならず、ただ内申点をつけてもらうための日々になります。
      そういったときには、通級を利用し、しっかり学力を身に付けた方が、将来的な選択肢は増えていくと思います。
      またその通級でも、勉強の理解ができないとしたら、就職を重視した高等支援学校に進むという道が出てきますが、ここでも全員が障害者雇用しかできないわけではありません。
      きちんとした技能を身に付ければ、そのまま、一般人として働き、自立する人もいます。
      ただ就職を重視した専門的な高等支援学校以外ですと、福祉に続いているといいますか、福祉に入るのが一番、それしか道がない、と考えている人達ばかりですから、福祉以外の道は難しいといえます。

      今の特別支援の世界は、障害を持った人は福祉の中にいるのが一番良い、それしか道はない、と思っている人ばかりです。
      その中を通っていくとしたら、本人とご家族の相当な覚悟がなければ、敷かれたレールの上から出ることは難しいといえます。

      文面から、今までにも、この福祉のレールの存在に気が付かれていたのだと思います。
      そして、今回、中学校選択の際、より具体的な福祉のレールを提示された。
      多くの人達は、そこで、その提示に乗っかります。
      嫌だと思っていても、他に選択肢が見当たらなかったから、また本人と親御さんに抗うだけの覚悟がなかったから。

      しかし、文面から伝わってくる想いは強いものがあります。
      私は、まだお子さんの学ぶ可能性、成長する可能性を狭める時期ではないと思います。
      もし中学校で勉強に遅れが出そうなら、遅れがでないよう、最後尾でもついていけるよう家庭でも後押しできることがあると思います。
      それをやりつくしたあと、また本人が実際に中学校で学ぶのがきつくなったあと、そこから選択を考えても遅くないはずです。

      この時期に、そのような提示があるということは、学校側の準備、人事の都合だと想像します。
      学校側の都合、手続き上の楽さから、一人の子の未来を決めさせようとするのは間違っています。
      本人が、ご家族が納得しないのなら、きちんと「NO」と言うべきだと思います。
      そして「NO」と言ったからには、今からできることをやればよいのだと思います。
      まずは、きちんと内申点が付くようテストが受けられるくらいまでにすることです。
      諦めた時点で、その支援は、教育ではなく、介護に変わります。

      もし、また何か悩みがあったり、コメント欄で書けないことがございましたら、メールをくださっても構いません。
      いつでも相談に乗らせていただきます。

      大久保悠

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  2. お会いしたこともありませんのに、親身なお返事をありがとうございました。
    4年生の学力はついていますが、6年生の学習は正直きびしくなってきてる、と感じています。でもお返事を拝読して、まだやれることはあると思いました。ありがとうございました。

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  3. 初めまして、住んでいる地域の方が発信しているツイッターで見つけ日記を読み進めているうちに、心がすっきりしました。

    以前、年中になる子供を預けていた療育施設がまさに療育という名の介護、見守り的な支援しかしてくれず、「○○してほしい」と伝えるとできないと言われ、しまいには我が子の出来が悪いとまで言われました。

    子供の体調不良が続き、かかりつけ医や信頼できる方に相談しそちらは退所して別の療育施設にかえると驚くほど成長し、言葉が出てきて自傷行為が無くなり、原因不明の発熱もおさまりました。

    話せないから理解できないじゃないと、子供から教えられたと同時に申し訳なくも思いましたが、今度は私の中傷をしているとママ友から教えられ怒りを抑えていましたが、そうすると私の体調にも異変が起きてきました。

    療育って、支援って実は本当の意味で理解せず「看て」やっている位にしか思っていない施設の職員もいます。

    それとは別に、寄り添いどういった療育をしていけばいいか情報を共有しあい子供の成長を喜んでくれる施設の職員さんもいます。

    うちは幸いいい施設に巡り合えたからよかったけれど、傷つけられた記憶も発達障害の子達の心に残ること思うと、気持ちに寄り添えない施設はなくなってほしいと正直思う今日この頃です。

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    1. 想いを綴って頂き、ありがとうございました。
      お子さんが年中さんで、まだ幼かったときに出会った施設ということですので、お母さんご自身揺れ動く思いと「支援者なら我が子のために頑張ってくれる」という希望を持って通われたのだと想像します。
      それなのに実態は見守りであり、挙句の果てに一番理解してくれると思った支援者からお子さんに原因があると言われてしまった…。
      お子さんも、お母さんも、幼いときだったからこそ、余計に傷ついた出来事になってしまったのだと思います。
      お話をお聞きしただけで、私も悲しい気持ちになりました。

      施設を変えられてから、お子さんがより良い方向へと歩まれたということで、どんな人が関わるか、どんな人と縁があるかで、それこそ、子どもさんの人生が大きく異なってくると思いました。
      人にとって縁は大切なものですが、腐っても支援者という職業をやっているのなら、良い方向へ、少なくともマイナスな方向へと進めてしまう支援はやってはいけませんね。

      今、この時点でも、支援者ということだけで、その支援を信じてしまい、良からぬ方へ歩んでいる家族がいると思います。
      コメントにもあったように、私もこういった支援者は直ちに立ち去ってもらいたいです。
      そのためには、親御さんに主体性を持って子育てを行ってもらいたいと思います。
      子どもを育て、発達、成長させるのは、親御さんです。
      それを補助するのが、支援者。

      いきなり目の前に「障害」が現れると、藁をも縋る想いで支援者を頼り、絶対視しがちです。
      しかし、支援者も職業の一つであり、いろんな人間がいます。
      中には、ご経験されたようなヒドイ支援者もいます。
      ですから、私は支援者の実態、特別支援の実態を親御さんに伝えたくて、ブログ等で発信しています。

      地元に良い施設、支援者がいるか、そうでないかで、子どもさんの人生が左右されるのは間違っていると思います。
      私は、どこにいても、どんな環境であっても、将来、社会の中で自分の資質を活かし、よりよく生きていってもらえるよう子ども達には育っていってほしいと願っています。
      そのためには、本人と家族が中心の発達援助だと思います。

      お子さんがより良く成長していく姿が、悪い支援者、施設を無くすことにつながります。
      同じ想いを他の人がしないようお子さんの発達と成長を後押ししていただきたいと思います。
      私も応援しています。

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  4. 返信ありがとうございます。
    私が綴った事は、つい数か月前までのことで今は子供も伸び伸びと
    楽しく過ごしている様子が、療育施設の先生からラインの動画等を
    使って見て取れるし、家でも成長を感じます。

    前に利用していたところは、親である私がいずれは保育園に通園させ
    たいと言っても、この子は無理と何の根拠もなく言い放ち
    他にも、愛情が足りない、愛着障害があるねと言いました。
    私は悩み苦しみ、愛着障害とは何か?口にした職員に問いただしても
    答えが得られず、自分でも調べました、精神的にも追い詰められました。

    でも、かかりつけ医・療育センターの主治医・親の会の代表
    信頼できる方々に相談していくと、みな「この子は愛着障害ではない」
    その職員が、知ったかぶりしているだけだから、今のまま育児を続けて
    良いと励ましてくれ、施設を変えたわけですが・・

    なんと最近になり、そこの職員が私の中傷をしていると新しい施設の所長
    さんと、ママ友から聞いてしまいました。
    偶然、他のお母さんも新しい事業所に子供をうつしたりしたのを
    私がなにか言ったと思ったらしく、あることないこと言われ
    今はパニック障害と、心因性による眩暈に悩んでいます。

    どこに怒りをぶつければいいのかと、苦しい気持ちでいっぱいですが
    沈黙は金雄弁は銀というしと、歯を食いしばり耐えています。

    所長さんも、ママ友もあちらの言葉より、私を信頼してくれ何かトラブル
    あったのかと心配もしてくれますが、私の中傷はまだ我慢できますが
    子供の悪口を所長に言いに行く神経が信じられないし、許しがたいです。

    でも、今までも退所した親の悪口を言う施設だと、被害に遭ったママ友や
    別の事業所の方からも聞いたので、その職員は口では子供を大事にと
    言いながら、真逆の事をしている上っ面の療育?は、いずれ化けの皮が
    剥がれる時が来ると思うので、私は子供の成長をサポートし
    偶然、その職員が我が子の成長を見たときに自分のしたことに気付けたら
    と、なんとか自分のアンガーコントロールしながら、前に進もうと必死です。

    てらっこの先生みたいな方の講演が、岩手でも聞けたらと思います。
    自己流の療育をしている職員の心にも刺さる言葉が沢山聞けるだろうし…
    あっ、それより親メインの講演があれば嬉しいかななんて
    徒然なるまま書いてしまいましたが、これからも育児につかれた際
    こちらで力を戴こうと思うので何卒よろしくお願いします。

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    1. ねこさんへ

      支援者の多くは、愛着障害を持っていると言われています。
      そのヒドイ支援者も、愛着障害をお持ちなのでしょう。
      ですから、
      自分の思った通りの結果が出ない=自分のせいだとは思われたくない
      自分に意見、要望を言ってくる、別の施設へ行く=自分自身が否定された
      と捉えているのだと推測します。
      結局、自分が必要とされている感を得たくて支援者をやっている人間なのでしょうから、「必要ではありません」という言葉に過剰に反応し、自分自身でバランスをとるために、悪口やあることないことを言うのだと思います。

      お子さんが成長された姿からも、その職員の言っていたことは明らかに間違っているとわかるはずです。
      周囲も、お母さんご自身も。
      ですが、今もネガティブな感情に引きづられていられるような気がします。
      その時間、エネルギーは、お子さんの生活、成長に用いたいとお母さんも思われているはずです。

      余計なお世話だと思いましたが、アンガーコントロールの仕方があっていないような気がします。
      人によりですが、抑えるよりも、発散される方が良いタイプの方ではないかと想像します。
      我慢して辛くなるなら、発散してラクになる方法もあります。
      正々堂々と間違いを主張する、その職員と戦うというのもありだと思います。

      とにかくお母様には、子どもの成長と家族の幸せに集中できる日々が一日でも早く訪れることを願っています。
      私も文面から、お母様のお子さんに対する愛情の深さを感じます。

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    2. ご多忙にもかかわらず、コメントありがとうございます。
      私の今の気持ちを代弁してくださっている気がして
      久しぶりに泣けました。
      いつも、どんなに苦しくても家族をはじめ周囲には悟られたく
      なくて泣くのを我慢していたのだけど、コメントの言葉を目で
      辿る度に、こんなに涙が(怒りが)蓄積されていたのだと感じ
      それと同時に、少し浄化されたような気がしました。

      その施設の中にもいい職員もいましたが、短い期間子供を預けて
      いましたが、例えば子供が顔に青たん(あざ)を付けてきたこと
      別の日には、目の近くに傷とたんこぶがみつかり、施設に問い合
      わせると、確認したがどういう経緯でけがをしたか解らないと
      言われたことがありました。

      その当時、別に責めようと連絡したのではなく病院で説明する
      ために聞いた事にさえ、こういう対応をされたこと忘れません。

      また岩手の夏は盆地ゆえに暑いのですが炎天下歩くことで
      水分も取れず、二回ほど軽い熱中症になり、水分補給を促すよう
      お願いしても、子供が嫌がり飲まないんです!!と語気を荒げ
      言われたこともありました。

      他にもやめる直前は、子供が施設に行くと熱を出し数回
      かかりつけ医に診てもらい、診断は心因性のものだと
      SOSを出していると言われたのですが、迎えに行った際も
      「うちは病児保育じゃないから」と・・・
      挙げたらキリがないくらい酷い対応をされました。

      他にもASDなのですが、別の施設では1か月ごとの課題を出して
      くれて、数人と遊べるように心がけようと課題が出た時も
      「自閉症児は、コミニケーションできないから」と
      はなから、サポートする気持ちがないのだと解る発言をされた
      事もあり、いい職員もいましたが数名の職員の言動はいまも
      私の心をかき乱すことがあります。

      ただ、直接対決では水掛け論で私が疲れ果てそうな気がする
      ので、こういう場所で(愚痴ってごめんなさい)心の整理を
      していきながら、少し気持ちが落ち着いたら今度は就学に向け
      新たな気持ちで、子供をサポートしていきたいです。

      今も時々子供が、夜中泣くことがあり今は少し話せるように
      なったので「こわい、こわい」というのですが
      その「こわい」を取り除くためにも、子供の気持ちを解ろうと
      する支援者でありたいし、子供の基地でいながらいつか安心して
      旅立てる(自立できる)ように少しだけ前にいる道標で
      いれたらと考えています。

      本当に、こちらを知ることが出来て良かったです。
      これからもブログの更新を楽しみにしております。
      ありがとうございました。

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