発達援助と家庭料理

幼い子の親御さん、特別支援の世界にまだ足を踏み入れていない親御さんには、支援者との関係について「家庭料理」という例えでお話しすることがあります。


料理のプロは、世の中にたくさんいて、和食が専門の人、中華が専門の人、洋食が専門の人という具合に、それぞれ専門があります。
支援者も同じで、いろんな専門の人がいて、その専門の中でも、うまい店もあれば、下手な店もあります。
「欧米で認められた療法です!」なんていうのもよくあるけれども、それは世界展開しているファーストフード店みたいなもので、その料理がおいしいか、日本人の舌に合うかは別問題。
自分の国だけではなく、各国の市場を舞台に商売しているっていう意味です。


支援を専門家に頼むっていうのは、外食するようなものです。
一般的な家庭では、毎日、外食しないように、毎日、専門家に我が子の支援を頼むっていうのは普通考えにくいことです。
当然、栄養、嗜好は偏りますし、子どもへの発達、成長への影響も少なくないといえます。


子どもの発達や成長を後押しする営みは、家庭料理のようなものです。
どんな材料で、どんな料理を作るか、家族が主体的に考え、選び、手を動かしていきます。
もちろん、親御さんの中にも料理の得意、不得意があるように、どうやって育てていけばよいか、どんな支援が子どもにあっているか、わからない人もいます。
そういったときに、料理教室に行ったり、レシピ本を読んだりすると思いますが、それにあたるのが専門家です。
相談に行ったり、勉強会に行ったりしながら、ときに、実際に支援するのをそばで見たりしながら、親御さんが腕を上げていく。
だって、子育て、子どもの発達、成長の後押しは、日々の積み重ねであり、家を巣立っていくまで続くから。


発達障害の子を持つ多くが、親になって初めて、障害と向き合い、支援者、専門家と呼ばれる人達と付き合います。
そのとき、勘違いする親御さんが少なくないと感じます。
「私じゃなくて、専門家がどうにかしてくれる、よりよく育ててくれる」
しかも、支援者側がそのように仕向けるので、余計、その方向に行ってしまいがちです。


「子どもは社会が育てていくものだ」
そのように主張する人もいます。
でも、発達障害の子ども達に関しては、発達のヌケという人間としての土台の部分に課題があるのですから、家庭生活が重要であり、親御さんの力が大きいと言えます。
その土台がしっかりしたあとは、社会が人を育てていくのだと私も思います。


定型発達の子どもが「習い事何しようか?」「どの学校に進学しようか?」というレベルではなく、様々な他人が様々なことを言ってきますし、その選択がモロにその子の人生に影響してきます。
普通、家庭料理に料理人がなんだかんだ言ってこないのに、「今日の味付けが悪い」「今晩のメインは中華にしろ」と言ってくるようなものです。
ですが、それを受けてしまう親御さんがいて、食べたくない料理を食べて続けているように、舌に合わない支援をずっと受け続けてしまう。


子どもの体調、様子を見て、料理や味を変えられるのが、家庭料理の醍醐味です。
子育ても、発達援助も、子どもの状態に合わせて、支援を変えたり、組み合わせをアレンジしたりしていくのが良いのです。
家庭料理の味が家々によって違うように、子育て、発達援助の仕方もオリジナルで良いはずです。
しかし、特別支援の世界は、「この療法が一番だ」「あなたの子に合っている」と言ってきます。
ですから、家でご飯を作るように、「私が決めます!作ります!」という姿勢でいて欲しいと思っています。


時々、外食するのは良いですが、基本的には自分たちでメニューを考え、料理を作っていく。
支援者はあくまで、よりよい家庭料理を作るためのレシピ本であり、料理教室の先生です。
たまに、「うちの包丁を使わないと、うまい料理はできないよ」と支援グッズを買わせようとする輩もいますが、そんなときは蹴っ飛ばすたくましさが必要です。
親御さん自体、腕を上げ、コツを掴んでいかないと、より良い子育て、発達援助ができていきません。


ですから、支援者側も、親御さん自体が自立していけるよう後押ししなければならないと思います。
同じ家族にストーカーのようにつきまとうのではなく、家族が試行錯誤しながら自分たちの味を作っていけるように導くのが、本当の専門家と呼ばれる人の役割のはずです。
より良い成果のために研究し、腕を磨いていくのが専門家の役割であり、それを参考に我が子に合った子育て、発達援助をしていくのが親の役割ですね。

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