2018年2月22日木曜日

強度行動障害の子に加算で、見えてきた本質

悲しいですね。
本当に悲しいです、怒りを通り越して。
児童デイを強度行動障害の子が利用すると加算されるのに伴って、そういった子がいないか、事業者同士で引っ張り合いが始まっているとのことです。


私も施設で、そういった子ども達の支援に携わっていましたが、本当に大変です。
もちろん、本人が一番大変。
だって、普通の生活を送ることすらままならないから。
起きて、ご飯食べて、学校行って、お風呂に入って、寝る…。
そういった日常生活一つ一つに困難が生じます。


それに自分を傷つける危険性がある、他人を傷つける危険性がある。
自分を傷つけることは、自分の命、生きるを傷つけることになります。
他人を傷つけることは、大事な家族に恐怖感を与えることになり、支援に携わる者を減らすことになります。
自分も、他人も、傷つけてしまうこと。
それは肉体的にも、精神的にも。
そして何より悲しいのは、自分で自分のことを、周囲の人間が自分のことを好きではなくなり、どんどん心が遠くなってしまうことなのです。
本人が一番辛いのに、誰からも愛されなくなって、自分でも愛せなくなってしまう。


施設のときは、24時間365日の体制で、常に職員が支援にあたり、医師などとも連携し、支援にあたっていました。
本気で行動障害を治そうとしたら、支援者も相当しんどいものがあります。
こういった体制の中、職員みんなで考え抜き、最後まで諦めないで支援を続けていった先に、ようやく本人の穏やかな生活が待っているのです。
行動障害で苦しむ本人を見ていたら、支援に携わる辛さよりも、その姿からにじみ出てくる苦しみ、悲しみを感じる方が辛いものです。
ですから、私達は、一日でも、一分でも、一秒でも早く、ラクになってもらいたいと願い、支援に携わっていました。


そういった子ども達を、自分たちの経営のために引き入れようとするなんて、言語道断だと思います。
施設で働いていたあの時の私たちのように、「絶対に治してみせる」という気概があって、その力もあるのなら、私は何も言いません。
でも、かたや「スタッフ募集。未経験者も歓迎。子ども好きな人集まれ」なんて言っちゃっている。
24時間体制で、施設で働いていた人間も大変だと思いながら、日々支援していたのに、こういった募集で集まる人、集めざるを得ない事業所に、何ができるというのでしょうか。


行動障害の子がいれば、周囲に危険が及ぶこともあります。
そうなれば、同じ場所を利用している子ども達を守らねばなりません。
そして、行動障害の子は、大人が付きっきりになり、他の子と空間が分けられるでしょう。
その子専用の場所ができ、他の子ども達との接点がなくなっていく。
ただただ時間が過ぎるのを待つだけの活動。
結果は見えていますね。
行動障害が治まるどころか、どんどん悪化していきます。
「時間が解決してくれる」などということはなく、早めに手を打たないと、ますます困難性が増していくのです。
それこそ、のんびり「いつか治まるだろう」と待っていたら、身を滅ぼしかねません。


行動障害は、本人も辛いし、周りにいる人間も辛い。
「行動障害も障害からくるもので仕方がないね 」みたいに言う人がいますが、たとえ、本当にそうだとしても、割り切れるものではありません。
行動障害はありのままにできないし、ありのままで幸せにはなれません。


自分たちにとって急場しのぎの「加算」に目がくらんで、一時期、収入が増えたとしても、行動障害の子がいる児童デイは、人が辞め、人が集まらないでしょう。
そして、そのしわ寄せは、利用している子ども達に、行動障害を持つ本人の生活と人生に向かっていく。
事業者は「や~めた」といって畳むことができますし、別の仕事を、人生を歩むことができます。
でも、成長と将来の自立のためにより良い放課後の時間、子ども時代の時間を過ごせなかった子、行動障害をそのままで、ありのままで時間だけが過ぎてしまった子は、簡単に辞めれないし、そのツケは自分たちで払っていかなければならないのです。


その子の分の加算はいただくけど、その子の生活、人生に責任は持たない。
そんな事業者がいないとも限りません。
だからこそ、私は怒りを通り越して悲しいですし、心から治ることが一番だと思うのです。

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