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「藤家寛子の闘病記」(花風社)を読んで

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私は本を読むのが早いほうだと思います。 そして、花風社さんから新刊が出るたびに、すぐに読み始め、このブログを通して紹介してきました。 もちろん、今回の新刊2冊ともすぐに読みました。 でも、読んだ当日に、すぐにブログで書こうと思いませんでした。 時間をおいて、何度も読み直していたのもあります。 しかし、それが一番の理由ではなく、自叙伝のような個人的な内容、しかも決して良いことだけではない内容のものは、新刊でましたー、読みましたー、紹介しまーす、ではいけないと思うのです。 もちろん、私の個人的な考えであり、感覚です。 決してそれ以外の著者の方のものが軽いわけでも、軽い気持ちで紹介のブログを書いているわけでもありませんが、個人的な情報、また個人の歩みを記されたものに関しては、より重く受け取ります。 著者の藤家さんがポジティブな気持ちで書かれたのかもしれませんし、執筆はご本人が求めていた活動ではありますが、自分の歩み、自分の素を表すことに対して喜びだけではなく、葛藤や苦しみもあったと想像します。 闘病記ですから、苦しみや葛藤、失敗についても記されていました。 そこから得られたこと、また治った今だから気づけること、分かることを伝えてくれます。 どれも貴重なお話です。 また感覚面の違い、捉え方の違いについても、自分の目の前の子の世界を想像するヒントをもらえると思います。 きっと藤家さんも、今を生きる子ども達、親御さん達にとって、より良く生きるためのヒントや手助けになれば、という想いもお持ちだと感じます。 だからこそ、読み手は、情報やヒントのみを見るのではなく、藤家さんという人を見ることが大事だと思うのです。 藤家さんの人を見つめて、読み進めていけば、本当に伝えたいこと、そしてその情報やヒントの裏にある本質に気づくことができると思います。 一つの物語ではなく、一つのヒント集ではなく、人を読むことで、読み手の私達も病気に打ち克つ、治るという方向へ進んでいけるはずです。 経験や技術、知識よりも、人が重いと私は感じています。 読み進めている中で、記されている藤家さんの言葉に、眼も、手も、頭も、すべてが止まった一文がありました。 それは大学進学を希望した理由が述べられた箇所です。 こういった言葉が出るというのが、藤家寛子さんという人

「藤家寛子の就活記」(花風社)を読んで

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26日に花風社さんから2冊の本が同時に出版されました。 著者は藤家寛子さん。 今まで歩んできた道をご自身で振り返りながら 『藤家寛子の闘病記』『藤家寛子の就活記』という形で、今を生きる私達にメッセージを送ってくださっていました。 2冊同時出版でしたが、私は迷うことなく、「就活記」の方から読み始めました。 それは 『30歳からの社会人デビュー』 の先を教えてもらいたかったからです。 この本を読んだとき、私は「これは希望の本だ」と感動したことを覚えています。 藤家さんのブログ等で、この本が出版された以降のご活躍も存じ上げていたので、今のお仕事に就き、また働き続ける中で、どのようなことを感じ、考え、どう振り返られるのかを教えていただきたかったのが、その理由でした。 本の中でも、6年間勤めあげたことによる『自信』という文字が記されていました。 でも、その自信がその『自信』という文字以外、文章全体にも表れていたように感じました。 『30歳からの社会人デビュー』 を読んで、希望を感じ、心を動かされたのは先ほど述べた通りです。 そして今回の「就活記」には、その希望にあふれるメッセージに自信がプラスされたと言いますか、私には自信から確信をもってメッセージを書かれたのでは、と感じました。 それだけご自身で語られているように、この6年間がとても大きいものだったと感じたのです。 私は「就活記」を読み進める中、「自信からの確信」という文字が浮かんできて、そういった視点になっていました。 よく「自信をつけさせることが大事」「自尊心を大切に」などと言われます。 しかし、「就活記」を読んでいる自分には、どれも薄っぺらい言葉にしか思えませんでした。 自信は与えられるものでもないし、自尊心はお膳立てされて得るものでもない。 自分自身で掴みとるもの。 そういった力強いメッセージが藤家さんの言葉から伝わってきました。 私は別に偉そうなことを言うわけでは決してありませんが、この6年間が藤家さんにとって、またこれからの人生において本当に大きなものになるような感じがしました。 社会の中で得られるものの大きさ、他人のために自分の力が活かせることの大きさ、そして自信を得ることがどれほど本人にとって大きなことか。 私は支援者という立場ですので、やはりその3つの

子どもの支援よりも、私の支援

相談メールに真剣にお返事書いたらキレられました。 花粉症は治ったけれども、生き辛い春です…(笑) このような反応は、メールでも、面と向かった相談でも、たま~にあります。 理由は簡単。 「相談」という形でやってはくるけれども、「相談なんですが~」と口では言っているけれども、アドバイスがもらいたいわけではないんですね、特に我が子に関して。 それよりも、自分がやっている子育て、支援、対応をそのまま「いいね!」って言ってほしい。 ただそれだけ。 だから、私がアドバイスしようもんなら、それがすぐに「否定された」という風に捉えちゃうし、もともと支援が欲しいのは子どもじゃなくて自分自身だから、自分自身に対するアドバイスなら聞く耳はあるけれども、子どもに関するアドバイスはパニックorスルー。 実際、子どもさんはもちろんなんだけれども、親御さんに支援が必要だ、という方は少なくありません。 親御さんが辛くなってしまう背景には、いろいろなものを感じます。 協力してくれる家族がいないことや親御さん自身に発達の課題があること。 頼った支援者が治せない人であったり、我が子よりも自分がしたい支援をするような人であったり…。 まあ、理由は様々。 でも、そこで「お母さんもお辛いですね~」とやっていてはダメだと思うのです。 「〇〇くんが自分自身で課題をクリアし、治していこうとするんだから、お母さん自身も課題解決に向かって動かなきゃ」と私は良く言います。 自分自身が辛いと、また余裕がないと、親としての本能が発揮できないんですね。 だって、親である前に、親になる前に、自分でいること、自分の身体、心、存在を守ることで精一杯だから。 目の前に子どもがいて、明らかに親なんだけれども、その親御さんが幼く見えることもあります。 子どもさんの横に、もう一人子どもさんが並んで座っているような感じ。 「この子を助けてください」と確かに言っているのに、途中から「私を助けて」という声が聞こえてくる。 私と顔を合わせた瞬間、泣き崩れる親御さんは少なくありません。 相当なプレッシャー、そして日々の生活の中に辛さがあるのだと思います。 だからこそ、支援者は治さなきゃならんのです。 親御さんが辛いままですと、自分が優先になり、自分にとって都合の良い支援者を求めてしまい

詳細な記憶から曖昧な記憶への発達

記憶するのが得意な子がいました。 特に自分の興味関心のある分野に関しては。 幼いときから携わっていた支援者たちは、「将来は、〇〇系の大学に進んだらいい」「〇〇の研究者になって生きていくのがいい」などと、あたかも既に進路が決まったかのように言ってきたのでした。 でも、その子が進んだのは特別支援、そして福祉の道。 あれだけみんなで「大学大学」と言っていたのに、大学を受験する資格すら得ることができませんでした。 ただ詳細に記憶できたとしても、それだけでは大学生になれませんし、そもそも「詳細に記憶する」というのは、記憶の発達段階で言えば、最初の方なのです。 高校くらいまででしたら、詳細に記憶する力は武器になります。 これから試験の形式、求められるものもどんどん変わってくるでしょうが、現行の大学入試はより多くの知識を正確に記憶していることが有利だといえます。 しかし、大学に入ってからは別でと言いますか、大学以降、社会人になれば、ただ正確に記憶しているだけではより良い学びはできませんし、知識の分量よりも、それを基に何を考え、何を発想するかにポイントが置かれるようになります。 一般の学生でも入学後戸惑うのですから、大学に進学する、また進路として目指し始めた若者たちにはこういった違いを事前に説明することが大事だと考えています。 また同時に私の中では、詳細に記憶する段階から曖昧に記憶する段階へと発達を促していくことも大事だと考えています。 小さな子は、どんどん新しいことを記憶していきます。 まだたどたどしい言葉しか出ないような時期に、物や人の名前を覚えたり、歌を覚えて口ずさんだりする。 そんな姿を見て、「うちの子は天才かも」と思うのが、親の性。 そして年齢が上がっていくと、「どうしてこんなことも覚えられないの」「どうしてこんな点数なの」と言われるのが日常になり、記憶することに苦労するようになる。 でも、これは子どもの頭が柔らかくて、年を取るごとに固くなるからではなく、記憶の発達。 脳が成熟していけば、詳細に記憶するから、曖昧に記憶するへと発達していくのが自然なのです。 曖昧に記憶するというのは、ヒトに見られる特徴です。 他の動物は、詳細に記憶します。 それは写真で切り取ったように。 でも、写真で切り取ったように記憶するという

「障害」という言葉に引っ張られる、すり寄っていく

口癖のように、「この子はアスペルガーだから」と言う親御さんがいました。 友達とケンカしても「アスペルガー」 部屋の片づけができなくても「アスペルガー」 学校のテストの点数が悪くても「アスペルガー」 なんでもかんでも「アスペルガーだから」と言っているその言葉に、悪意や軽蔑といった雰囲気はありませんでしたが、長年言い続けていたためか、まるで日常会話に出てくる単語の一つのように自然と口から出ている印象でした。 お子さんにお会いすると、育て直しが必要な発達段階があることがわかりました。 でも、その抜けている発達段階も少しずつ育ってきている雰囲気がありますし、何より発達のヌケのわりに現実で困っていることが大きい気がしました。 ですから、最初に親御さんと約束をしたんです。 「アスペルガーと言うのをやめてください」と。 私は言葉や雰囲気に引っ張られることがあると考えています。 別の人ですが、「順調にいっていても、数か月ごとに落ちてしまう」という相談を受けたことがあります。 そして、その“落ちる”を掘り下げていくと、相談機関に行くと落ちることがわかってきました。 別にその相談機関がヘンなことをやっているというのではありません。 むしろ何もしていなくて、ただ相談が終わると次回の予約が決まるから通っていただけで、内容もただ近況を話すだけの雑談みたいなものだということでした。 「日頃、自分が障害を持っていることを自覚しますか?」という私の問いかけに、「できないことがあって落ち込むことはあるが、自覚することはほとんどない」という返事がありましたので、相談機関という雰囲気に引っ張られているのだと直感しました。 きっとこの方は、障害を自覚するために相談機関に行っている。 相談機関に行ったあと、落ちてしまうのは、日頃意識しなくなった“障害”が意識化されることで、その障害を持った自分という姿に近づいてしまうからだと考えました。 でうすから、「その相談機関に通う意義や必要性を感じられていないのなら、通うのを止めるのも一つの手だと思います」と伝えました。 そこから連絡が途絶えましたが、半年くらい経ったあと、「落ちることがなくなった」と連絡がきました。 もちろん、別の要因があったかもしれませんし、たまたまだったかもしれませんが、障害を持った自分ではな

感覚面の課題へ直接的なアプローチ、間接的なアプローチ

「ティーチだって感覚過敏にアプローチする!」と言う人がいます。 確かに、感覚面の課題は自閉症の人達に多く見られることですし、生活の質や心身の問題と関係するところなので、大事な支援の一つとして位置づけられています。 ですから、「感覚過敏にアプローチする」というのは間違えではない。 でも、直接的なアプローチではないですよね。 間接的なアプローチで、少しでも軽減されることを目指しているのが実態だと感じます。 大雑把に言えばこうです。 感覚過敏は、本人が不安やストレスを感じている場面で症状が強くなる。 だから、視覚支援や環境を整えることで、本人の不安やストレスを減らし、その結果として症状が軽くなることを目指す、です。 本人が持つ感覚の課題を変えるのではなく、環境を変えるアプローチ。 当然、不安やストレスの原因は環境面だけの問題ということはありませんので、環境を変えることが、必ずしも本人の不安やストレスを軽減させるとは言えません。 見通しが持てたり、周囲の情報が整理され、理解できたりすることで、一時的に感覚過敏が収まったように見えます。 それを見て、「視覚支援、構造化が、感覚過敏にも有効だ」なんて思う人もいる。 しかし、環境などの本人の周囲を変えただけで、本人は変わっていなし、本人の持つ課題をどうにかしようとアプローチはしていないから、どこまでいっても感覚面の課題は治らない、持ち続けたまま。 本人が感覚面で苦しまないようにするには、ずっと環境を調整し続けないといけません。 ほら、環境調整だけの支援を受けている子は、ずっと感覚過敏を持ち続けているでしょ。 私は、常々言っています。 「環境調整には限界がある。だからこそ、身体を通して、発達のヌケを育て直しましょう」と。 耳栓も、イヤーマフも、視覚支援、構造化と同じ。 一時的な助けにはなるけれども、ずっと使い続けるには不便なもの。 できることなら、使わずに生活できた方が本人はラクだし、選択肢も増える。 相変わらずティーチ信者の多い当地。 「感覚過敏だって、良くなっているから!」と言われるが、良くなっているように見えるだけ、しかも一時的に。 視覚支援、構造化によって、感覚過敏が落ち着き、喜んでいるのは周囲の大人と支援者じゃないかな。 「ほら、見ろ、ティーチサイコー!私の支援

眼の主体性、足の主体性、動きの主体性

お子さんの身体や発達に注目する親御さんが増えたと感じています。 いや、厳密に言えば、もともと「身体のしんどさをどうにかしてあげたい」「発達の遅れを取り戻させてあげたい」と、どの親御さんも思っていたはずです。 でも、特別支援をリードしていた人達が、「治らないから障害だ」「必要なのは支援と理解だ」とやるもんだから、優先順位が違っていただけ。 どの親御さんも、我が子の苦しむ姿、発達が遅れている姿を見て、「どうにかしたい」という気持ちを持たないわけはありません。 ですから、やっと「これが支援」と言われてきた方法が対処療法であり、心から求めていた我が子の身体と発達にアプローチするものではないことがわかった今、自然な想いがどんどん表に出てきたのだと思います。 親御さんが借りてきた想いではなく、自分の内側から出る想いを発せられるようになると、主体性が出てきます。 身体と発達は、他の誰のものでもなく、自分のものなのですから。 親御さんの主体性は、子どもの主体性とつながり、育んでいきます。 だから私は、お子さんの身体や発達を重視する親御さんが増えてきたことを喜ばしく思います。 身体を育てる、発達を促す、発達のヌケを育て直す、という営みには、本人と親御さんの主体性が必要です。 しかし、その主体性とは、人の持つ意思や態度、行動だけではなく、育てたい身体、発達段階の主体性のことも言う、と私は考えています。 眼を育てたいとき、眼の主体性を考えているのか。 足を育てたいとき、足の主体性を考えているのか。 爬虫類の動きを育てたいとき、爬虫類の動きの主体性を考えているのか…。 つまり、眼を育てたいときは、眼が見たいものがそこにあるのかが重要であり、足を育てたいときは、足が動き出したくなるような心地良さが必要ということ。 眼が見たいものがないのに、ただ訓練で動かしても、眼は育たないと思います。 爬虫類のような腹部を付けた両手両足での移動だって、そういった動きがしたくなるような仕掛けが必要なはずです。 いくら高いお金をかけようが、週に40時間お教室に通おうが、それがただの訓練で、動きの反復だとしたら、そこに身体の育ち、発達はないと思います。 それよりも、育てたい身体が自然と、自発的に、主体的に動き出すような環境を用意する方が良いのだと思います

義務教育が終わった瞬間

義務教育が終わった瞬間、普通学級から支援学校へと進んでいく子ども達。 このような話を耳にするたびに、彼らにとっての9年間は、成長するための良い時間となったのか、と感じてしまう。 親御さんとしたら、できることなら普通学級で学んでほしい、地域の子達と共に成長してほしい、と願うのは自然な気持ちだといえる。 だが、本当に純粋な親心だけなのだろうか、と疑問に思うこともある。 そこに見栄やエゴが見え隠れする。 心からそれを願っていたのなら、苦手な部分、治さないといけない部分をそのままにはしていないはずだから。 支援者は、親の意向に賛辞を送り、「私も普通学級で学ぶ方が良いと思う」と言う。 そして学校に対し、配慮と支援を求める、学年や学校が変わるたびに。 でも、配慮や支援を求めること、認めさせることで、支援者の仕事は終わりなのだろうか。 義務教育の間は、学校の方も「うんうん」と聞くかもしれないが、受験や進路に関してそうはいかない。 当然、合理的な配慮は認められる。 しかし、義務教育が終わった瞬間、支援学校に行くということは、学校に求めていたのが配慮だったのか怪しくなる。 もし配慮があることで、普通学級で学べていたとしたら、受験や高校に対し配慮を求めればいい。 普通学級で学べるくらいの力があり、そこが本人にとってより良く成長できる場なら、そのまま普通校へ進めばいい。 本人が普通校ではしんどそうだから、親が不安で心配だから、といって支援学校を選択する場合もあるのはわかる。 でも、普通高校ではなく、支援学校へ進む人の大部分は、9年間でしっかりとした学びができなかった子と感じる。 もともと本人にとってベストな学び場が普通学級だったのか。 支援や配慮があったから、普通学級で学び続けられたのか。 学校に求めていた正体が、障害に対する配慮ではなく、本人、親に対する忖度ではなかったのか。 「できれば普通学級で」という親心もわかる。 普通学級に在籍していることで周囲からどう見られるか、どう見てほしいか、見てほしくないかという想い、また「もしかしたら、同級生と同じように変わってくれるかも」という期待があるのもわかる。 だからこそ、そばにいる支援者は、そんな親心を汲みつつも、客観的な評価をし、その子にとってより良い選択へ導くのが役割のはずだ。

生きる力とは、命を守る力

私は、子ども達が生きる力を培う、その後押しができているのだろうか。 いや、生きる力というよりは、自分自身で自らの命を守る力だ。 私達は、地震の多い土地で暮らしている。 これからも大きな地震がやってくるだろう。 地震以外の自然災害だってやってくるはずだ。 そんなとき、必要なのが、自らの命を守る力。 3.11のあと、地震や津波を想定した避難訓練、防災教育が意識的に行われるようになった。 もちろん、自分の住む地域で災害が起きたときに、どういった行動をとればよいか、事前に理解しておくことは大事だと思う。 しかし、それで十分なのだろうか? 私が子ども達に身に付けて欲しい力とは、防災に関する知識や行動なのだろうか? こういった疑問を持ち続けていた。 3.11は、誰も想像できないことが起きた。 みんな、いつかは災害が起きることは知っていたのに、何かを考え、行動する時もないくらいの間に、多くの尊い命が失われていった。 震災を経験した方達の心の中には、今も救いたかった命がたくさんあるはずだ。 これから先も、自然災害を人間が完全に掌握することはできないだろう。 未曾有の災害のときには、自分の命を守れる人間は、自分しかいない。 だからこそ、子ども達には命の危険を察知し、その瞬間に命を守る行動がとれる人間に育ってほしいと思う。 それには、幼少期からの実体験が重要になる。 自然と同化し、いろんな遊びを通して、自らの身体と感覚を育て、研ぎ澄ましていく。 自然と対話し、身体と対話する営み。 自分の命を守るとは、動物の本能の現れだといえる。 そんな本能が発揮されるためには、人間脳より深い部分の育ちが必要。 受精し、魚類から両生類、爬虫類、哺乳類へと進化する過程の中に発達のヌケがあれば、命の危険を察することができないかもしれない、瞬時に命を守る行動がとれないかもしれない。 ヒトになる前の段階を丁寧に育てていくことは、その子の命を守ることでもある。 子ども達の人生を考えたとき、3.11のような大震災に再び遭う可能性がある。 また震災、自然災害以外にも、事件や事故に遭う可能性だってある。 そんなとき、親はそばにいないかもしれない。 少なからず、私はそばにいない。 だから、そばに人がいなくても、自ら動ける人間に育ってほしい

子どもの周りにいる大人も自制する力

教習所の教官から「一番おいしいところを味わわないと」と良く言われたものです。 あのクラッチとギアをつなぐ“半クラッチ”の状態を待てずに、すぐにつなげてしまう癖がありましたので、こうやって「じっくり動力が伝わるのを感じなさい」と指導されていました。 免許を取ったあとも、しばらくマニュアル車に乗っていたため、ギアを切り替えるときには、時々「一番おいしいところ」という言葉が聞こえてくるようでした。 この仕事を続けていますと、自分が直接援助するだけではなく、ひと様の支援、援助を拝見させて頂く機会があります。 そんなときもまた、時々ですが、「一番おいしいところ」という言葉が聞こえてくることがあります。 「今、まさに自分で感じようとしている瞬間なのに…」 「あの子は何もしていないように見えるけれども、試行錯誤しているのに…」 「発達課題をクリアしようと、自分で育て直しをしているのに…」 「この年齢で、きちんと失敗しておくことが今後につながるのに…」 そんなとき、周りにいる大人が待てずに、手や口を出してしまう姿。 主体である子どもの学びを待てない理由には、様々なものがあると感じます。 純粋な親心から思わず手や口が出てしまう人もいれば、「失敗経験はさせてはいけない」という思い込みから動いてしまう人もいます。 また自分自身が子の失敗する姿、困る姿を見ていられない、自分が否定されているように感じてしまうため、反射的に手助けして回避させようとする人もいます。 あと個の成長、学びよりも、学級経営を優先させてしまう教員のように、自分がやった方が早いから、あとあとめんどくさくないから、などといって手を出す場合もあります。 いずれの理由にせよ、大人と比べれば、まだ成長途中であり、知らない世界が多い子どもなのですから時間がかかることは当然ですし、たくさん失敗します。 見ていられないなと思うこともありますが、だからといって、大人が常に手や口を出していたら、学ぶ主体を奪いかねることになりかねません。 特に発達障害を持つ子ども達は、実年齢よりも前の段階に戻って、自ら育て直し、発達課題のやり直しをするものですから、周りの大人は待つことと、自制する力が求められます。 でも、いくら待つこと、自制することが必要だと分かっていても、ただただ見守り続けることは親御さ

自我と自制

子ども時代に自制する力を養っておくのは大事なことだと思います。 ヒトは社会性の動物であり、集団を作って生きる動物です。 もし自分の感情、欲望のままに行動していたとしたら、集団、社会は成り立ちません。 たとえ社会ができたとしても、それは強い者が弱い者を支配する集団です。 そこに自由な雰囲気、個々が大切にされた空気感はありません。 ですから、友達と思いっきり遊ぶために、学校の中でより良く学ぶために、そして社会の中で自分の資質を活かして自由に生きていくために、自分の感情や欲望などを抑えられることが必要になってくるのです。 ヒトが他の動物と異なる点は、この自制心だと思います。 人間脳が自制する力の源。 しかし、人間脳がいきなり発達しないように、いきなり自制する力を育てようとしても無理があります。 人間脳の土台に、爬虫類と哺乳類の脳の発達があるように、自制する力の前に大事な育ちがあると私は考えています。 それは自我を育てること。 自分がどんなことが好きで、どんなことが嫌いか。 自分はどう思い、どう行動するか。 自分は他の人と分かれた異なる人間である。 そういったことが感覚で、肌身で理解できることが大切です。 そのために“自分を出す”時間、経験が必要になってきます。 “自分を出す”とは、「僕が〇〇したい」「私が〇〇と思う」ということです。 この“自分を出す”という育ちを飛ばし、自制心を養おうとしたら、どうなるのか。 それは動物のしつけであり、餌付けです。 上位の者が下位の者を押さえ付けるように、またアメとムチで相手の行動をコントロールするように。 私達が育てたい子ども達は、「僕は〇〇したい。でも、我慢する、相手に譲る」という姿ではないでしょうか。 「僕は〇〇したい」を飛ばしたり、否定してしまったら、ただただ我慢する、言われた通りに行動する、そんな動物のような子どもをつくることになります。 特別支援の世界は、どうも自制する力ばかり養おうとしていないか、自制できること=自立、ゴールと捉えているのではないか、と疑問に思うのです。 別の言い方をすれば、自分を出すことの否定、自我の否定です。 もちろん、不適切な行動は直さないといけませんし、自制できなければ、集団生活、自立は難しいことでしょう。 でも、自分というものをしっか

子どもの絵と発達

子どもさんが描いた絵は、たくさんのことを教えてくれます。 今、どれくらいの発達段階か。 今、どのように世界を見ているのか。 今、どのように自分の身体を感じているのか。 今、何を育てたくて、何に困っているか。 私は可能な限り、子どもさんが描いた絵を見せていただきます。 セッション開始前や本人と会う前に見せてもらうことで、子どもさんの発達のイメージを自分の中に描きます。 またセッションの経過とともに変化する絵を見て、発達の進み具合を確認し、新たな課題を教えてもらいます。 世界中、文化に関わらず、同じ年代の子は、同じような絵を描きます。 絵も心身の発達と同じように、みんな同じ表現、プロセスを経て発展させていきます。 ですから、脳と身体の発達が絵に表れるのです。 絵を見れば、だいたい定型発達の子どもでいうところの何歳くらいの絵なのかがわかります。 また脳と身体の発達段階だけではなく、その子が感じているものがストレートに表れます。 自分の外の世界をどのように捉え、何が見えているか、何に意識が向けられているかが絵に表現されますので、ここに一人ひとりの違いが出てきます。 同じように、自分の内面に関しても、どのように捉え、何を感じ、意識が向いているかが表されます。 子どもというのは、とても賢い存在であり、自分の状態、何が必要なのかを感じることができます。 自分の発達に必要な動き、遊びを自ら進んで行うように、絵にもしっかりそれを表現します。 背中を育てたい子は、背中を育ててほしい絵を描きますし、関節を育てたい子は、関節を育ててほしい絵を描きます。 ですから、私はそういった声を絵から聞き、実際のアセスメントや発達援助の参考にしています。 そして幼い子の場合、また言語面での発達に遅れがある子の場合、育てて欲しいこと以外に、感覚面や身体面、日常生活での課題や困っていることが絵に表れることもあるので、その辺は素早くキャッチできるよう心掛けています。 このように絵は、実際のアセスメントと発達援助を補助する情報を与えてくれるものです。 しかし、残念ながら参考にならない絵もあります。 それは描かされた絵、教えられた絵です。 一見すると上手で素晴らしい絵に見えるのですが、絵を描く“技術”として身につけ、描かれたものからは、本人の姿が見