眼の主体性、足の主体性、動きの主体性

お子さんの身体や発達に注目する親御さんが増えたと感じています。
いや、厳密に言えば、もともと「身体のしんどさをどうにかしてあげたい」「発達の遅れを取り戻させてあげたい」と、どの親御さんも思っていたはずです。
でも、特別支援をリードしていた人達が、「治らないから障害だ」「必要なのは支援と理解だ」とやるもんだから、優先順位が違っていただけ。


どの親御さんも、我が子の苦しむ姿、発達が遅れている姿を見て、「どうにかしたい」という気持ちを持たないわけはありません。
ですから、やっと「これが支援」と言われてきた方法が対処療法であり、心から求めていた我が子の身体と発達にアプローチするものではないことがわかった今、自然な想いがどんどん表に出てきたのだと思います。


親御さんが借りてきた想いではなく、自分の内側から出る想いを発せられるようになると、主体性が出てきます。
身体と発達は、他の誰のものでもなく、自分のものなのですから。
親御さんの主体性は、子どもの主体性とつながり、育んでいきます。
だから私は、お子さんの身体や発達を重視する親御さんが増えてきたことを喜ばしく思います。


身体を育てる、発達を促す、発達のヌケを育て直す、という営みには、本人と親御さんの主体性が必要です。
しかし、その主体性とは、人の持つ意思や態度、行動だけではなく、育てたい身体、発達段階の主体性のことも言う、と私は考えています。


眼を育てたいとき、眼の主体性を考えているのか。
足を育てたいとき、足の主体性を考えているのか。
爬虫類の動きを育てたいとき、爬虫類の動きの主体性を考えているのか…。


つまり、眼を育てたいときは、眼が見たいものがそこにあるのかが重要であり、足を育てたいときは、足が動き出したくなるような心地良さが必要ということ。
眼が見たいものがないのに、ただ訓練で動かしても、眼は育たないと思います。
爬虫類のような腹部を付けた両手両足での移動だって、そういった動きがしたくなるような仕掛けが必要なはずです。


いくら高いお金をかけようが、週に40時間お教室に通おうが、それがただの訓練で、動きの反復だとしたら、そこに身体の育ち、発達はないと思います。
それよりも、育てたい身体が自然と、自発的に、主体的に動き出すような環境を用意する方が良いのだと思います。


動物の進化、発達を考えれば、眼を育てたいからといって、「あっちを見なさい、こっちを見なさい」と親が子に訓練などさせません。
眼が見たいものを見ていたら、眼が育っている。
だからこそ、身体を育て、発達を促すには、主体性が引き出させるような刺激、環境を用意することも必要だと考えています。


身体や発達に注目する親御さんが増えた今だからこそ、「訓練や反復、経験させればよい」というイメージからもう一歩深くとらえてもらいたくて、私はいつも「身体、発達の主体性」という言葉を使ってお話ししています。
子ども達の周りに心地良い刺激、思わず動きたくなるような環境があることが、発達援助の始まりだと言えるかもしれません。

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