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4月, 2018の投稿を表示しています

子どもの側から診断名を見る

現在のところ、自閉症の診断は風邪の診断に近いといえます。 脳波やレントゲン、血液、遺伝子などの数値化されるデータから診るのではなく、風邪のように症状を診て、その種類、重さ、組み合わせから診断されています。 ということは、画像や数値から判断する病気や障害よりも、人が入り込む余地があるのです。 「人が入り込む余地がある」=「医師が恣意的に診断している」と言いたいわけではありません。 診断には、様々な要素が混じり合っています。 診断する側の“人”のみではなく、そのときの本人の心身の状態であったり、家族からの情報、見たてだったりが存在します。 症状だって、強く出るときもあれば、ほとんど確認できないときもあります。 このようなことが考えられるからこそ、事象を反対側から見ることも大事だと私は思います。 私が関わっている方達の多くは、診断を受けています。 医療機関で正式な診断を受けているのですから、その診断自体をどうのこうのいうつもりはありません。 ですが、私は診断名をそのまま鵜呑みにし、前提として支援、援助を進めていかないように心掛けています。 必ず、疑うのではなく、反対側から見るようにします。 例えば、自閉症という診断を受けた方でしたら、「自閉症ではない」というのを否定する作業を私の頭の中で行います。 「私は自閉症である」は、「私は自閉症ではない、ということはない」とイコールになります。 どうして、こんなややこしいことをしているのかと言いますと、自閉症を前提として出発してしまうと、すべての言動が自閉症の特性に見えてしまうからです。 例えば、こだわり一つとっても、それが変化に対応できない、不安や恐怖を感じるからかもしれませんし、単にその対象が好きだから、それ以外を知らないから、たまたま今、マイブームだからかもしれません。 定型発達の子ども達だって、たくさんこだわりは持っていますし、「やめなさい」と言われても止めないことも多々あります。 症状の強度や頻度にかかわる部分でも、障害からくるものなのか、幼さや脳が発達途中、経験不足、練習不足だから自制できないのか、同世代の子と比べて大きな差があるのか、など考えるべきことがあります。 走り回っている子を見て、それが「多動」だとするのなら、「いや、同世代の子と同じような活発さだ」という見立

「診断できる医師がいない」という訴え

特別支援が始まった当初は、「診断できる医師がいない」とよく言われていたものです。 でも、あれから10年程が経ち、そういった声はあまり聞かれなくなったように感じます。 診断できる医師が増えたという理由からかはわかりませんが、診断を受けた人はたくさん増えました。 現在は昔のサザエさんの歌のように、「あなたもASD、私もASD。こだわるものまでおんなじね」みたいな感じがします。 ASDをはじめ、発達障害の診断を受ける人達が増えました。 当時の人たちから言えば、望んでいた状況に近づいたといえます。 でも、診断を受けた人が診断を受けることによって、自立できるようになった、自分の人生の選択肢が増えた、というような状況になったかといえば、そうとは言えない実態があるように思えます。 特に、以前はそれこそ診断できる医師がいなかったために、診断を受けることの少なかった高機能の人達は、診断を受けることで得られたラクと、その反面で失った選択肢、自立があるように見えます。 では、何故、診断を受けられる人が増えたのに、自立していく人が増えていかないのか。 それは「診断=サービスを受ける手形」になっているという実態があるからだと思います。 そもそも診断とは、自分自身をより良く理解し、成長や自立、選択肢や可能性を増やしていくことが一番の目的であるといえます。 特別支援が始まった当初に診断できる医師を求めていた人達だって、「はい、あなたは自閉症ですね」「あなたはADHDですね」という診断名のみが欲しかったのではなく、どういう特性があるのか、そしてそういった特性に対してどのような対処、方法、支援を行っていけば良いのか、まで診てくれる医師が増えて欲しいと言っていたはずです。 しかし、現状はそこまで診てくれる医師が少なく、診断書を書いて終わり、という話をよく見聞きします。 全国からくる相談メールには、面白いくらい同じことが書いてありまして、診断してくれた医師に行動の原因や特性の背景、どうやって育てていけば良いかを尋ねても返ってくるのは「自閉症だから」と「支援サービスを受けて」の二つ。 確かに、感覚過敏も、こだわりも、問題行動も、大雑把に言えば、その根のどこかに「自閉症だから」というのがあるのでしょうが、それで事足りるなら、ぶっちゃけ医師以外でも言えます。 ある

特別支援の正体

ある日、突然、養護学校は特別支援学校へと名前を変えた。 子ども達は、障害を持っているのではなく、特別なニーズを持っている子ども達になった。 発達支援センターができ、児童デイもどんどん生まれていった。 そして、それまでは支援の対象ではなかった子ども達も、それらのサービスを利用することができるようになった。 大規模な福祉施設からグループホームへ、人里離れた福祉施設からより地域生活の中心地へと社会の空気は流れを変えていった。 ある意味、養護学校時代の象徴と言うべき施設で働いていた私にとっても、これから始まる特別支援は期待を寄せる変化だった。 早期から、そして軽度の子達も、一人ひとりに合った支援を受けられることで、より良い成長と未来へと進んでいけると思っていた。 きっと彼らが大人になったときは、それまでの時代とは異なり、障害のあるなしの線は薄れ、多くの人には見えない線になると思っていた。 今、当時を振り返り、改めて特別支援を見ようとしても、その姿を捉えることはできません。 特別支援とは何ぞや?という問いに、明確な答えが見つからないのです。 私達が「大きく変わる」と感じた空気感は、今も空気のままだった。 いや、今も当時も変わらず、特別支援とはもともと空気だったと私は感じるのです。 それぞれの立場で期待を寄せていた特別支援。 でも、実際は特別支援という何か具体的なものがあるのではなく、それは空気でした。 「何かが変わるぞ」という空気。 その空気に期待を寄せていた人達が多くいた一方で、特別支援とは実態のないもので、空気のような存在であることにいち早く気が付いた人達がいます。 それが一部の支援者たちです。 その支援者たちは、空気を先導し、作る役割を与えられた人達でした。 「特別支援によって、障害を持った子ども達の未来は変わる」という空気を流しました。 その空気は心地良く、本人や家族たちの期待と合わさり、大きな風を生みました。 その風を受け、支援者たちは全国を、また世界を飛び回ったのです。 全国、世界を飛び回っている支援者の姿を見ていた人達は、「自分たちのより良い明日のために、支援者たちが頑張ってくれている」そう思っていました。 しかし、一向に自分たちの元にやってこないのです。 やってきたかと思えば、輸入してきた知識や

公園内に見える特別支援の線引き

息子と歩いていたとき、通りかかった児童デイの建物を指し、「これは何をするところ?」と言ってきました。 外から中にある遊具が見えていたので、何か遊ぶ場所や習い事の教室だと思ったのでしょう。 小学生の息子に、児童デイの本来の目的と現状について話をするわけにはいかないので、「学校が終わったあと、身体を動かしたり、みんなで遊んだりしながら、自分でできることを増やしていく勉強をする場所」だと説明しました。 そうすると、「僕も行きたい!」というのです。 現在、診断名、療育手帳を持っていない息子は、いくら本人が望んでも児童デイに行くことはできません。 でも、息子の習い事には、障害のあるなしに関わらず、みんな通うことができます。 もちろん、習い事の種類、指導者側の考え方によっては断られる場合もあるでしょう。 しかし、原則、学びたいものを、習いたいことを、自分で選ぶことができます。 雪が解け、温かくなると、放課後の公園には子ども達がたくさん遊んでいます。 そんな中には、児童デイの子ども達もいます。 私はセッションでも、プライベートで子どもと遊ぶのでも、よく公園に行きますので、大型の車に乗って、スタッフの方達と共に遊びに来ているのを見かけるのです。 児童デイの車でやってきた子ども達も、他の子ども達と同じように遊んでいます。 時々、名札を付けた大人が「鬼ごっこをするぞ」と声を掛け、それに集まってくる子ども達を見て、「ああ、児童デイに通っている子達なんだ」と思うくらい。 子ども同士で楽しそうに遊んでいますし、名札を付けた大人も、ベンチに座っている時間が多いので、たぶん、問題なく遊べる子ども達なんだと思います。 で、私は率直に思う。 本当に彼らにとって児童デイは必要な選択なんだろうか。 彼らに教えるべき生活スキル、彼らが身に付けるスキルは、放課後、公園に行き、遊んで帰ってこれるスキルではないだろうか。 もしトラブルや不測の事態が起きるのが心配だとしたら、それこそ、どう対処するかを学び、実践するのが必要な援助ではないだろうか、と。 児童デイを利用するのは、本人のニーズだけではなく、親御さんの事情やニーズというのもあると思います。 でも、どう見ても、彼らは自分たちで遊びを形成し、楽しんでいます。 うちの子は、他の学校、違う学年の子とも、

成仏系支援者

懐かしい歌声が聞こえてくるなと思ったら、息子が熱心に『ゲゲゲの鬼太郎』を観ていました。 近頃、夕方に再放送がやっていて、毎日、そして時々怖がりながら観ています。 私が子ども時代に観ていた話の再放送なので懐かしくもあり、そういえば、同じように妖怪や幽霊はいるのかな?死んだら魂が抜けていくのかな?なんて真剣に考えていたような気がします。 その当時から、もう30年くらい経ちましたが、未だに妖怪や幽霊は見たことがありません。 でも、この仕事をするようになってから、成仏できずに彷徨っている幽霊みたいな人達に出会うことがありました。 成仏系支援者の存在ですね。 成仏系支援者というのは、一見すると熱心な人であり、正義感の強いような人物です。 自分の主義主張をしっかり持っていて、その実現のために世の中に訴えかけます。 行動力もあって、いわゆる“良いこと”を言うので、好印象を持たれ、一定の支持者が周りにはいます。 しかし、その周りにいる人達の入れ変わりは激しい。 その理由は「信じるものは救われる」だから。 成仏系支援者は、悲しい人、辛い人、過去に傷を負った人が好物です。 現在進行形で生きづらい人に対して、「私は、あなたの気持ちがわかります」「私は、あなたを全面的に受け入れます」と、手を差し伸べてきます。 当然、今、辛い人は、その差し伸べられた手を温かく感じ、つないでいきます。 それが周囲にいる人達の中心になります。 このように書くと、良い支援者じゃないか、優しい支援者じゃないか、と感じられると思います。 でも、その裏の顔が出る瞬間があるのです。 それは周りにいる人の辛さが和らぎ、弱々しい存在でなくなると、急に冷たくなることです。 また、その支援者の主張と違う意見を述べると、あれだけ優しく、すべて受け入れるような雰囲気が出ていたのに、頑なに同意しなくなるのです。 成仏系支援者は、雨が降ろうが、やりが降ろうが、決して自分の主義主張を変えることはありません。 ここに成仏系支援者と、私が思う素顔があります。 成仏系支援者は、自分の過去に、自分自身の内側に、行き場のなくなった想いを持っています。 分かりやすく言えば、コンプレックスであったり、過去の自分への後悔や惨めさ、特に子ども時代に負った心の傷があります。 そういった行き場の

オーブンレンジに記されていた注意書き

朝ランが心地良い気候になりました。 ほのかな温かさを感じながら走る朝は気持ちが良いものです。 朝日を浴びて、身体を動かすと、一日元気に過ごせますし、ごはんがよりおいしく感じ、より深く眠ることができます。 私は、食べること、走ること、寝ることが好きなので、狩猟採集民の血が色濃く流れているのだと思います。 働いてお金を得ることは、おいしいご飯を食べるためであり、大事な人達と共にその時間を過ごすのが、何よりの至福の時だと感じています。 食べることが好きな私は、料理も好んで行っています。 何を作ろうかと考えるのが面白く、どうやったら効率よく、さらにおいしくなるか、思いを巡らせながら手を動かすのも面白いですね。 健康を考え、油を減らしたいと思っていますので、最近はよくオーブンレンジを使って調理しています。 オーブンの中の焼き具合をチェックするときに、初めて気がついたのですが、サイドに注意書きがありまして、そこには「技術のあるサービスマン以外の人は“絶対に”キャビネットを開けないでください」と太字で強調されて書かれてありました。 確かにむやみに開けると、危険があったり、壊してしまうかもしれません。 でも、その何で?は書かれておらず、すぐ下にはカスタマーサービスの連絡先が書かれていたのでした。 支援者の中には、家庭で起きた問題を「自分のところで支援してどうにかする」という人がいます。 もちろん、根本から発達を促し、発達のヌケを育て直そうとする場合には、そういった別の場所での支援や療育が結果的に家庭での問題解決へとつながることもあります。 でも、基本的には問題が起きた場所に問題があるから問題が起きるわけです。 いくら別の場所でのイライラや不満、疲れが溜まっていたとしても、その場所が本人にとって安定した場所であり、そこにいる人との関わりが心地良いものであったとしたら、問題までに発展しないはずです。 ですから、最優先に変えないといけないのは、その問題が起きた場所であり、そこにいる人。 それなのに「うちの支援機関に来なさい」というのは、自分で原因を探らず、対処せず、「とにかくカスタマーサービスへ」と言うのと同じように感じました。 「素人がやると危ないぞ」というのを醸し出しつつ、自分のところへ誘いだす感じです。 オーブンレンジならカス

「頑張り続けることに疲れました…」

「ずっと頑張り続けることに疲れました」 このような相談を受けることが少なくありません。 不登校やひきこもりの方に多いですね。 また親御さんでも、同じようなことを言う方がいます。 そもそも頑張るのは、自分のためですから疲れれば休んで、元気になったら再び頑張ればいい。 そこに自分の意思があるはずです。 何か目標達成のために、自分の未来を変えるために頑張るのは、心地良い疲れを運んできてくれると思います。 でも、どうも心地良く感じていない、それが辛さとつながっている。 ということは、自分のためではなく、他人のために頑張っている。 その他人が、一番近く、愛情が欲しい人なのは想像するのも難しくないと思います。 頑張る、頑張らないにかかわらず、存在をそのまま受け止めてもらった感覚に乏しい人は、このように頑張る姿を見せることで認めてもらおうと、もがきます。 そのもがき続けることに疲れたというのが、頑張り続けることに辛さを感じている人だといえます。 よく彼らは言います。 「頑張れない、頑張っていない今の状態の自分には価値がない」と。 本人側の背景として、発達の遅れやヌケがあったために、うまく愛着が育っていかなかった、そこにもヌケがあるという場合もあります。 でも、そういった子の親御さんを見ると、「それ何の役に立つの??」みたいな民間の資格を取ったり、ナントカコーディネーターと名乗っていたり、ギョーカイ活動に熱心だったりする。 「私達も輝かなくっちゃ」「輝いている私を見て見て」と言って、Facebookにキラキラ、モリモリ写真をあげているタイプ。 そういうときに、私は思うんです。 あー、親御さん自体が心の底に寒々しさを抱えているのねって。 今でにも、いろいろな方に紹介したり、プレゼントしたりしたのが、花風社さんから出版された 『愛着障害は治りますか?』 です(kindle版も出ました!)。 この本を読んでから、改めて過去を振り返ってみると、愛着形成に課題を抱えた人が多かったこと、そして今も出会う方達の中に多くこういった課題を持っている人が多いことに気が付きます。 自分を高めるために、またその知識、技能をひと様に活かすために、いろんな資格を習得される方もたくさんいると思います。 でも、そういった人達の中に、頑張ることで自分の存在

嫌われることを厭わない親御さんは治している

昨日のブログの最後に、支援者の多くが嫌われるのを怖がる傾向があることを書きました。 それで、ふと思ったのですが、嫌われることを避けたり、怖がったりしている間は、治らないし、治せないということです。 ある程度の年齢、キャリアになって、仕事上、自分のことを嫌っている人がいない、というのは、「真剣に仕事しているの?」「自分なりの信念、哲学をもって仕事をしていないの?」と感じます。 でも、特別支援の世界に入ってから、嫌われないようにしている姿をよく見かけるようになりました。 効率の良い仕事をするよりも、質の高い仕事をするよりも、嫌われない方が大事??と思うような人も少なくありませんでした。 あとから、その背景に愛着形成の課題があることや、支援者という仕事自体に愛着障害の人が多いことが分かりましたが、それまではただただ理解不能、ここは学校か!?というツッコミでいっぱいでした。 支援者の多くに愛着障害があり、嫌われたくない、嫌われることが怖い、という考えがある。 だからこそ、彼らの行う支援、SSTが、いかに好かれるか、いかに嫌われないようにするか、というような方向になってしまう。 だから、治せないし、社会の中では生きづらいまま、理解されないままになります。 で、今日のメインはギョーカイ話ではないので、この辺にして、親御さんの中にもこういった嫌われたくない人、嫌われることが怖い人が多い気がします。 教師や支援者に言いたいことがあっても黙っている人。 でも、本人以外の人には、「〇〇ってダメだよね」なんて言う。 私にも言ってこられる人がいますが、「じゃあ、直接、その方とお話しされれば」「じゃあ、そこを止めれば」と言っています。 だって、何か違和感を持ったまま、問題点に気が付いているのに、子どもをそこに通わせているのは、そっちも問題ですから。 子どもの大事な育つ時期にベストが尽くせないのは、子どもの未来への影響が決して小さくありません。 子どもが成人したあと、「小学校のあの先生が悪かった」「あの支援者の対応が良くなかった」など、いつまで経っても言い続けている親御さんも見かけます。 子どものため、自立のためと思えば、おのずと身体が動き出すのが自然だと私は思います。 でも、その動き出す身体を止めるものがあるとすれば、自分自身の中にある「自分

1%の真実

特別支援や障害者福祉に批判的な意見を述べることが多いので、私のことを「よっぽど嫌っている人」「恨みがある人」「全否定している人」と思っている人がいます。 でも、誰にとっても有害なものであり、無くなってほしいものだとは思っていません。 そういった教育や支援が必要な人はいますし、そもそも必要な人、必要な時期に積極的に利用し、より良い成長、生活、人生へと繋げていけば良いと考えています。 入所施設で働いていたときも、いろんな批判を受けることがあるけれども、入所施設、福祉があることで救われる人もいる、必要な人もいる、と感じながら仕事をしていました。 今は治りたい人、治したい人達と共に歩んでいますが、特別支援、福祉は大切なものだと考えていますし、一緒に働いた仲間たちや同じ志を持った人達がたくさん教育、福祉にいるのも事実です。 じゃあ、なんで批判的な意見を述べるのか。 そもそも私は批判的な意見とは思っていなくて、真実を述べているだけ、情報提供しているだけ、という認識です。 また、ある側面だけの情報を伝えるのはフェアではなく、卑怯だと考えています。 特に、情報の裏を読み解くことが苦手で、そのまま信じてしまう傾向が強い方達、初めて出会う障害、特別支援という不安で、手探りで、情報を欲している家族の方達に向けてブログを書いていますので、内容によっては厳しく、ネガティブな感情につながるような内容でも、きちんと記そう、それこそが誠意である、という想いでいます。 真実を伝えると、相手がショックを受けるから、そこには触れないでおこう、良い面だけを伝えようとするのは、結局、その人のためにならず、自分自身が可愛いがための行為だと思うのです。 ギョーカイ(ギョーカイは否応なしに嫌いですし、潰した方が良いと思ってますが)、支援者が発信している内容を見ますと、「同じ話を聞いたことがあるな」と思うことがあります。 つまり、ギョーカイであっても、障害を持った人を自己治療、食い扶持のために利用している支援者であっても、中には自立する人もいるだろうし、幸せな生活を送っている人もいます。 だから、「支援があって良かった」「特別支援によって成長、自立した」というのは事実。 でも、そういった良かった事実の裏で、選択肢が狭まった人、生きづらいままの人がいませんか?と感じるのです。

なければ、無い方が良い対象を強引に正当化する

障害も、発達の遅れも、感覚過敏も、無いなら無い方が良いに決まっています。 それなのに、一部(?)の支援者と親御さんが強引に正当化し、美化しようとします。 「障害は個性です」「特性は活かしましょう」と支援者が言う。 「障害を持った子が生まれて、私の人生は素晴らしいものになった」と親御さんが言う。 きっと私がその人達の子どもだったら、「お前のために、私の人生があるんじゃない」と憤るはずです。 一般の感覚、社会の感覚と同じように「治してほしい」と願うはずです。 でも、時々、そういった困難を持った本人の中に、「私は障害があって良かった」「私は不登校を経験できてよかった」と言う人がいます。 もちろん、その困難を克服し、治し、自分の強みまで磨き上げられた人がそういうのなら分からなくもありません。 しかし、そういった人だって、困難の真っ只中では「どうにかしてほしい」「ラクになりたい」と思っていたはずですし、もう一度、その困難な状態に戻るかと言ったら、うんとは言わないでしょう。 結局、今、そう思えている、ということ。 で、だいたい無いなら無い方が良いものを「あって良かった」と言っている本人というのは、周りの人間に洗脳されている人であり、「あって良かった」と言ってなきゃやってらんね~という状況の人です。 無理やり不自然な価値観を生みだし、それを丸飲みしようとしている。 「ただでも苦しい状況なのに、そんなの丸飲みしてさらに苦しくない?」と私は率直に思いますし、それ以上、苦しまなくて良いでしょと思います。 やるべきことは、苦しい状況を丸飲みし、受け入れてしまうことではなく、その状況を打破し、苦しみから抜け出すこと。 それを手助けするのが、支援者であり、家族の存在だと思うのです。 それなのに、苦しむ本人以外の人間が自己満足のための価値観を植え付けようとする。 特に子どもに対して行う場合は、教育でも、支援でもなく、ただの洗脳。 「きみの障害は個性なんだよ」「否定するものではないんだよ」「良い面もたくさんあるんだよ」 素直な子どもがそのまま受け取ってしまったら、彼らの発達、成長する動き、エネルギーを削ぐことにならないでしょうか。 それに今、自分が感じている生きづらさに対して大人は何もしてくれない、そのままでいろというのは、子どもに無力感を持たせ

良い支援という理想郷を求めて

「良い児童デイ、知っていますか?」と尋ねられると、私は「知りません」と答えます。 何故なら、良い児童デイなどは存在しないからです。 これは当地の児童デイがろくでもないと言っているのではなく、また児童デイという存在意義が見当たらないと言っているのではありません。 児童デイを利用することで伸びていく子ども達はいますし、中には課題を的確に把握し、そこに対して適切なアプローチができる支援者もいます。 つまり、「良いか、悪いか」と見ることがおかしいのだと思います。 良い児童デイ、施設ではなく、子どもに合っているか、合っていないかであり、もっと言えば、その時々の子どもの課題、伸ばしたいところを親御さんが理解したうえで、それに適切なアプローチができる場所か、どうかなのだと考えています。 児童デイに限らず、「良い施設は?」「良い支援者は?」などと表現する方達がいます。 しかし、こういった発言が出ている段階では、子どもさんを治すことは難しいといえます。 実際、私が接してきた限りでは、まずうまくいっていない。 どうしてかと言いますと、良い支援を求めている時点で、他者に委ねようと身体が動き出しており、また支援、子育てに正解があるように錯覚してしまっているからです。 もちろん、自分ができない部分を施設、支援者に頼ろうと積極的に動かれている親御さんも中にはいますが、多くの方は理想を探しに行こうとする雰囲気が漂っています。 「自分はまだ知らないけれど、自分の地域にはないけれども、理想の支援があり、理想的な地域がある」 そんなまだ見ぬ理想郷を求めて、厳しいようですが、彷徨っている親御さんは少なくないように感じます。 これはギョーカイのセールストーク、理想の支援があれば、理想的な地域があれば、子ども達の生活、未来は輝けるものになる、というのを素直に字義通りに受け取ってしまっている影響もあるのでしょう。 でも、はっきり言って、そんな理想的な支援、地域などは存在しません。 もしそのようなものがあれば、全国から人が殺到するでしょうし、国を挙げて公的なプログラム、制度にするでしょう。 そんな現実がないのが、何よりの証拠です。 むしろ、ギョーカイの言う理想的な支援を受け続けた人ほど、人生の選択肢が狭まり、自由を謳歌できずにいます。 ギョーカイの言う理想郷は、ギョー

不適応行動の意味

今も使われているかはわかりませんが、『不適応行動』という言葉があります。 いわゆる問題行動の言い換えです。 「問題」という言葉が「本人の問題」「本人が問題」という雰囲気をもろに出しますので、本人と家族への忖度であり、環境調整を支援の中心に据える集団の中で用いられていた言葉ですから、「あなた(支援する側)の支援が悪い」と言いたいがために、そういった言い換えがあったのだと考えられます。 こういったギョーカイ内の論理はどーでも良い話なのですが、「適応」という視点を持つことは大事だといえます。 ヒトは環境に適応することで進化し、生き延びてきました。 未熟な脳、身体で生まれてくることが、その人類の歩みを表しているといえます。 もし、まったく環境に変化がない世界だとしたら、柔軟に適応するための余地など残さない身体で生まれてくるはずです。 環境に適応できなければ、生きることも、自分たちの種を残すこともできません。 つまり、ヒトは環境適応を念頭に形作られており、柔軟に適応できるために繁栄してきた生き物だと考えられます。 このように考えると、子どもの発達は「環境への適応」と見ることもできます。 身体の形や機能など、基礎的な部分は受け継ぎ決められたものといえますが、どのように感覚を発達させ、どのように動きを発達させ、どのように知能を発達させるかは、環境によるところが大きいと思います。 環境が、その人のある部分の発達を促したり、抑制したりすることで、変化をもたらす。 ですから、より良く生きるとは、より多く、より高度に発達、成長することではなく、より環境に適した形で発達、成長することだといえます。 発達障害を持つ子ども達は、感覚や動き、認知に不具合があります。 感覚面に辛さがある子は、感覚面で環境との不適応を起こしているといえます。 その辛さを無くす方法には、二通りあります。 環境を変えるか、その環境に適応できるように育てるかです。 多くの特別支援は、本人に合わせて環境を変えます。 辛くなる刺激を統制することで、その場に適応できるように支援します。 もちろん、辛い刺激を制限し、心身を安定させることは大事であり、必要なことです。 しかし、環境を変え続けていると、その人工的な環境への適応が始まります。 その環境が居心地よくなりますし

特定の療育への傾倒が自立を遠ざけていく

「うちの子には、〇〇療法が合っているんです」と話す親御さんの横で、目が笑っていない子が立っていたりする。 特定の療育が話題の中心になると、熱量が高いのはいつも本人じゃない人。 熱量のバランスが崩れている親子、支援者と本人というのはよく見る姿であり、往々にして本人が伸び切れていない状況があります。 こういったとき、私は「特定の療育への傾倒は本人を救うものではない」と思うのです。 特定の療育への傾倒は、親を救い、支援者を助ける。 そんな風に私は感じます。 特定の療育に傾倒することで、親は主体性を預けることができます。 本来、子を育てるとは、試行錯誤、選択の連続です。 その試行錯誤、選択には、自分の中に軸がなければできません。 その軸を特定の療育に移譲することで、主体的に行動しなくて済むようになります。 主体性がなければ、ただただ特定の療育を信じ、求めるだけで良くなるのです。 そこにセンスや腕、責任などの個人が問われなくなる"間"ができます。 熱心さが唯一の価値基準になる。 ただ一心に求めるだけで、特定の療育を信じあう集団の中では、子ども想いの良い親として振る舞うことができる。 そして、その集団の中では、自分の居場所が確保され、生きやすくなる。 特定の療育だけで、すべてが万々歳、自立して生きていける、ということはありません。 その限界には、特定の療育を提供する支援者だって気が付いています。 何故なら、あまたある療育方法のほとんどが対処療法であり、対処の連続は真の意味での自立を生まないからです。 対処療法は、対処し続けることで、自立“的”な生活を送る、というのが目標になります。 私達がイメージする『自立』は、根本から育ち、治すことでしか達成されません。 本人の自立が中心でないとしたら、支援者の見る向きは親となります。 『自立』は本人の言葉、『対処』は本人以外の言葉。 「私は自分のことを対処します」「僕はこれからの生活に対処していきます」とは言いませんので、対処療法の対処をするのは、親御さんになるのです。 よって、対処し続ける親御さん、対処を気に入ってくれる親御さんが、特定の療育を存続させる土台になります。 自分のところの療育に傾倒してくれる親御さんを支援者が励まし、褒めたたえるのは、自分たち

子どもの発達を止めるのは難しい

発達障害は、発達しない障害のことを表すのではないのですから、今、この瞬間にも発達しています。 特に神経発達が盛んな子ども達は、息をするように発達する。 ですから、子ども達の発達を止めようとするには、それなりの覚悟と労力がいるのだと思います。 子どもの発達を止めるには、刺激を与えないのが一番です。 神経発達の一番の栄養素が刺激だからです。 ひとたび、刺激が得られれば、待ってましたと神経が反応し、全身に電気が流れます。 そして繰り返し刺激が駆け巡れば、神経が伸び、繋がりが強くなっていく。 よって、大元の刺激を遮断するか、刺激が少ないような単調な生活、変化のない生活へと環境を調整するのが、発達を食い止めるには有効です。 「子どもの成長が見られない」「変化がない」と嘆く方がいます。 先に述べたように、子どもは息をするように発達するのですから、その人からは見えていないだけで、子どもの内部では神経が踊っている、ということもあります。 そんなときは、「まあまあ、もうちょっとお待ちになって」と言えば、私の仕事はおしまいです。 しかし、悲しいことに、「そりゃあ、そんな刺激のない生活を続けたら、無理もない」という場合もあります。 パニックを起こさないように、問題行動を起こさないように、が結果として、子どもから刺激を奪うことになる。 問題を起こす機会と発達を起こす刺激の物々交換です。 自分で交換しといて、あとから文句を言うのはよろしくありません。 また「子どもに変化が見られない」には、実は変化している、成長している、ということもあります。 一言で言えば、伸びる方向の違いです。 子どもの持つ躍動する発達を人工的な環境の適応に、特別な文化の学習に向かわせているのです。 社会に出る前の学び舎が、社会から陸続きではなく、分断されていると、その特殊な環境に適応しようと動き出します。 家と学校と児童デイで見せる顔が違う、というのは、それぞれの環境に適応するためにエネルギーを使っているとも言えます。 「場所場所で異なるルール、教え、文化を学ぶのを頑張っているよ。だから、神経の発達よりも、将来の自立よりも、こっちの勉強頑張ってる」という声が聞こえます。 社会では使えないSST。 助けるはずの構造化が必要なくなったけれども使ってます、からの特

時計の針を進める力

「今の日本はー」「今の世界はー」などと言う人がいますが、時間という縦軸で捉えると、少しずつですが確実に良い社会になっていますし、人類史上、一番良い時代を私達は生きているのだと思います。 飢えに苦しんでいる人もまだたくさんいますが、人類の歴史のほとんどは飢えとの戦いであり、今のように食料がある時代はつい最近の話です。 世界の平均寿命は延び続け、子ども時代に命を落とすものは減り、自らの命を全うすることのできる人達が大勢いる世の中。 争いによって命を落とす人も、争い自体も減ってきているのです。 ヒトが受精した瞬間から発達、成長へと進んでいくように、人類自体も少しずつですがより良い方向へと進んでいます。 私の中にはこういった考えがありますので、時計の針が進めば、より良くなっていくものだと思っています。 ですから、私が携わっている特別支援の世界もより良い方向へと進んでいく、変わっていくと思います。 一部の人間が自分たちの商売と愛着の埋め合わせのために、発達障害の人達をそのままにしておこうとしていても、社会のニーズと人類の歩みを見れば、より良い方向が治る方を向いているのが明らかです。 どんなに抵抗する人がいようとも、自然な流れ、治る流れは止められないはずです。 流れは治る方向へと進んでいますが、その時計の針をより早く進めている人達がいると私は感じています。 その人は自分が学び、深め、得てきた知見を伝えることで、時計の針を押しています。 その人は方々に散らばった知見を集め、縁を結び、一つの形として作り上げ、発信し、残すことで、 その人は自分の人生と真剣に見つめ、良かったことも、そうではなかったことも、向き合う勇気と力強さを発揮することで、 その人はより分かりやすく、より相手の心に直接的に語り掛けることができる資質を磨き、活かすことで、 その人は親としての本能とまっすぐな親心によって我が子を治し、社会に送りだすことで、時計の針を押してます。 こういった人達がいるおかげで、時計の針は5年、10年と早まっている、早めることができていると感じます。 人類の歴史から見れば、5年、10年などは一瞬といえます。 でも、今を生きる私たちから見れば、その5年、10年はとても大きな意味を持ちます。 5年早く時計の針が進めば、小学1年生の子が12歳になる