2018年4月15日日曜日

嫌われることを厭わない親御さんは治している

昨日のブログの最後に、支援者の多くが嫌われるのを怖がる傾向があることを書きました。
それで、ふと思ったのですが、嫌われることを避けたり、怖がったりしている間は、治らないし、治せないということです。


ある程度の年齢、キャリアになって、仕事上、自分のことを嫌っている人がいない、というのは、「真剣に仕事しているの?」「自分なりの信念、哲学をもって仕事をしていないの?」と感じます。
でも、特別支援の世界に入ってから、嫌われないようにしている姿をよく見かけるようになりました。
効率の良い仕事をするよりも、質の高い仕事をするよりも、嫌われない方が大事??と思うような人も少なくありませんでした。
あとから、その背景に愛着形成の課題があることや、支援者という仕事自体に愛着障害の人が多いことが分かりましたが、それまではただただ理解不能、ここは学校か!?というツッコミでいっぱいでした。


支援者の多くに愛着障害があり、嫌われたくない、嫌われることが怖い、という考えがある。
だからこそ、彼らの行う支援、SSTが、いかに好かれるか、いかに嫌われないようにするか、というような方向になってしまう。
だから、治せないし、社会の中では生きづらいまま、理解されないままになります。


で、今日のメインはギョーカイ話ではないので、この辺にして、親御さんの中にもこういった嫌われたくない人、嫌われることが怖い人が多い気がします。
教師や支援者に言いたいことがあっても黙っている人。
でも、本人以外の人には、「〇〇ってダメだよね」なんて言う。
私にも言ってこられる人がいますが、「じゃあ、直接、その方とお話しされれば」「じゃあ、そこを止めれば」と言っています。
だって、何か違和感を持ったまま、問題点に気が付いているのに、子どもをそこに通わせているのは、そっちも問題ですから。
子どもの大事な育つ時期にベストが尽くせないのは、子どもの未来への影響が決して小さくありません。
子どもが成人したあと、「小学校のあの先生が悪かった」「あの支援者の対応が良くなかった」など、いつまで経っても言い続けている親御さんも見かけます。


子どものため、自立のためと思えば、おのずと身体が動き出すのが自然だと私は思います。
でも、その動き出す身体を止めるものがあるとすれば、自分自身の中にある「自分が行動したことで嫌われたらどうしよう」という不安だと感じます。
未だに驚き、理解できないのですが、ママ友の子が通っている児童デイに、自分の子も通わせようとする人がいること。
子ども同士が仲良しなのかもしれませんが、それでも課題や伸ばしたい部分は一人ひとり違います。
結果的に同じ施設ならわかりますが、最初から同じところを選択する。
そして問題があれば、「あの施設はー」とやるだけで、辞めて、別の選択をすることがない。
「みんなが通っているから、うちも児童デイに通わせる」
「あの医師のところに行っても、何の意味もないけれども、申請書のために通い続ける」
「〇〇センターとうまくやっておかないと、あとあと支援が利用できなくなるかもしれないから、手伝いや講演会に参加する」
というのも同じだと思います。
だって、その視点が、子どもではなく、親視点だから。


子どものことを最優先に考えたら、おのずと意見を言わなければならない場面は出てきますし、闘わなければならない場面も出てきます。
特に一人ひとりの発達に大きな違いのある子ども達ですから、一人別の道を歩んでいくこともあるでしょう。
「うちの子には、こういう方法が合ってたよ。やってみたら?」
「あそこの支援を受けたら、問題が解決したよ。相談してみたら?」
と言われても、「うちの子の今の課題は〇〇だから」というように、子ども中心の軸をぶらすことなく、受け入れない、同意しない、という意思を出すことも必要です。
そうでなければ、常に周囲に流され、子どもにブレブレの歩みを後押ししてしまうことにもなります。


子どもを一人の社会人として送りだした親御さん、子どもの課題を解決し、子どもが治っていく親御さんを見ると、周囲に流されない人であり、嫌われることを厭わない人が多い気がします。
治している親御さんというのは、他の親や支援者、学校などに敵がいるものです。
それは「我が子のためにきちんと闘ってこれた」という表れだと感じます。
ですから、私は治していることよりも、そういった親御さん達の姿勢に尊敬の念を抱くのです。


よく「親の私達自身のことも大切にしなきゃね~」と言って、集まっている人達がいます。
もちろん、親も人間ですから、息抜き、休むことも必要。
でも、子育て中は、子どもが最優先だと私は思います。
それが嫌なら、子どもを作らなきゃいいのです。
ある日、突然コウノトリが運んできたわけではないのですから、子ども自身に主体性、選択する力がつくまでは、子を最優先にし、親が責任をすべて負うのは当然のこと。
だからこそ、子どもの今と未来を守るために、親は闘う必要があるのだと思います。
それがヒトの子育ての姿。


子どもは不思議なもので、年齢や発達段階、障害の程度に関わらず、親が自分のことを優先して考えてくれているか、どうかはわかるものです。
それが親子の間での愛着、信頼を育んでいく。
嫌われることを厭わない親御さんの子どもさんを見ると、しっかり愛着と信頼が育っているのがわかります。
ですから、そういった子どもさん達は、主体性、自発性があり、自らの意思で選び、自分の人生を力強く歩んでいっているのだと思います。


敢えて嫌われる必要はありませんし、嫌われるかどうかは相手の感情次第ですが、親御さんのこういった姿勢が子どもの土台作りに大きな影響を与えているといえます。
闘わなければならない場面で、しっかり闘えることこそが、みんな仲良くSSTよりも、より良く生きること、真実の社会の姿を教えるのだと思います。
嫌われるのが怖いと、社会が必要以上に怖く見えてしまいますね。

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